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服従

「バスト様……食事の用意ができました……」

 レッドが呼びかけると、本を読んでいたバストは顔を上げる。

「やっとッスか。お腹ぺこぺこッスよ」

 彼女は腹部をさすりながら食卓につく。テーブルの上には野菜をふんだんに使ったグラタン、鶏の丸焼き、三日月パン、蒸し玉子、トマトのスープといったかなりの量のメニューが並べられている。レッドの分はなく、すべてバストの為のものだった。

 バストはまず、グラタンに手をつける。

「ふんふん。だいぶ料理の腕が上がったッスね」

 高評価だった。レッドは胸をなで下ろす。

 レッドがバストと共に王都で暮らすようになってから、一月近くが経過している。家事は妹のクッキーに任せきりにして、ろくに経験のなかったレッドは、料理も簡素なものしか作れなかった。

『奴隷のくせに、ご飯もまともに作れないってどういうことッスか!』

 食に重きを置いているバストは当然ながら激怒し、一月の間みっちりとしごかれることとなった。元々レッドは、要領を心得た(たち)である。バストの教え方は上手だったとはいえないものの、一日に五人前の料理を三度も作っていれば、腕前はめきめきと上達していった。

 ちなみにレッドがいつも用意するのではなく、バストが用意することもあった。もっとも、レッドがバストの料理を食べたのは一度きり。いざこざがあった為か、バストはいつも自身の分しか用意しなかった。

「ごちそうさま。ブヒヒ、おいしかったッスよ」

 かなりの量があったのだけれど、バストはたちどころに平らげる。喉を詰まらせて死ねばいいとレッドは思っているが、態度には出さない。

「そろそろ免許皆伝ってとこッスね。師匠として、アタシも鼻が高いッス」

 胃袋を満たしたバストはベッドに横になり、読書を再開する。彼女が読んでいるのは巷で流行している、騎士と街娘の恋愛模様を描いた物語だった。

 バストが言葉を話せるだけでなく、文字も読めることを知ったレッドはたいそう驚かされたものだ。いろいろと探りを入れることはあるけれど、どうやって習得したのかはわかっていない。人間のおばあちゃんと暮らしていたらしいが、それについても詳しくは聞かされていない。

 バストがテーブルを離れた為、ようやくレッドは自分の食事にありつける。三日月パンにバターを塗って、もくもくと咀嚼していった。

 食事が終われば食器を洗い、部屋の掃除をし、バストにマッサージをしなければならない。

 その後バストの買い物に付き合い、干している洗濯物を取り込み、今度は夕飯の支度だ。夕飯が終われば食器を洗い、風呂の準備をし、バストの背中を流し、湯上がりのマッサージをする。やるべきことはたくさんある。休憩の時間はなかった。

 レッドは完全に奴隷という立場を受け入れてしまっていた。……実際には、奴隷というほど苛烈ではない。せいぜい召使いといったところだろう。

 しかし召使いにしても、かつてのエリート魔導騎士である少年が甘んじるべき境遇ではなかった。二月前の自分が今の自分を見れば、いったいどのような顔をすることだろう。

 すでに反抗心は欠片も残っていなかった。逃げ出そうとして失敗すること四回。バストはかなり耳がいいらしく、小さな物音でも気づかれてしまう。捕まるたびに気絶寸前まで睾丸を指で弾かれた。いまだに睾丸が一度も潰れていないことを、レッドは奇跡だと思っている。

 寝首をかくことなんて、できるはずがなかった。バストの眠っている間に剣で胸を一突きすれば、殺すことができるかもしれない。ただ、それはあまりにもリスクが大きい。失敗すれば、こちらの命もただではすまされないだろう。反逆を決行する勇気がレッドにはわかなかった。

 そのような調子で一月が経過し、すっかり奴隷っぷりが板についている。今のレッドは、たとえ意識していなくてもバストへの丁寧な口調を崩さなかった。


     ☆


 昼寝から目を覚ましたバストは、朝に申しつけていた通り買い物に行くと述べた。レッドはそれに同伴する。全裸で。

 全裸で。

 買い物というのは要するに、食料の買い出しだった。バストが五人分を食べる為、毎日のように食べ物を購入する必要がある。

 その際、バストは必ず自ら足を運んだ。レッドが一人で買い物に出かけたことは、これまで一度もない。彼は単独での外出を許されていなかった。

 まずバストは、商業区の東にある行きつけのパン屋へと向かった。バーガーという男の営むそのパン屋は、王都でも評判の名店である。すでに昼下がりを過ぎているけれど、店内は大勢の客で賑わっていた。

「あっ! バストさん、レッドさん、いらっしゃい!」

 店に入るなり、焼き上がったばかりのパンを棚に並べている少女が声をかけてきた。バーガーの娘の、パティーだ。年の頃はレッドと同じくらいだろうか。金色の髪を赤いバンダナで後ろ側へと寄せている。

「パティーちゃん、久しぶりッス!」

「久しぶりって、一昨日も来たじゃないですか。抱えきれないくらいパンを買って」

「このお店のパン、本当においしいからあっという間に食べちゃうんスよ」

「えへへ。そうなんですか。そう言ってもらえて、お父さんも嬉しいと思います。あとで伝えておきますね」

 バストとパティーはしばらく話し込む。二人はすっかり仲良しとなっていた。初めこそバストの巨体に怯えていたパティーだけれど、今や少しも臆する様子がない。

 バストを受け入れているのは、何もパティーだけではなかった。バストが街中を闊歩していたとしても、誰も遠ざかろうとしない。それどころか、気さくに挨拶をしてくる者が大勢いた。異形の姿のバストがちっとも凶暴ではなく、むしろ温厚であることを人々は知ったのである。

 レッドは納得がいかない。己が鎖を繋がれていることが、皆の目には入らないのだろうか。かつての英傑をコキ使っている魔物と、どうして仲睦まじくできるのだろうか。

 レッドは納得がいかない。人々が狂ってしまっているのではないのかと思う。このような狂人達の為に尽くしていた自身のことを、呪いたくなる時もあった。

 パティーと話し込んでいたバストは、購入するパンを選びに店の奥へと向かった。その場にはパティーとレッドの二人きりとなる。

「いい人ですよね、バストさんって」

 丸裸のレッドへは視線を向けないようにしながら、パティーは言った。

(いい人? あいつが? 正気か? だいたいあいつはオークだ、人じゃない)

 そのように思うレッドだけれど、声には出さない。このくらいの距離ならば、小さな声でもバストの耳に届いてしまうことを知っている。

「レッドさんは、うちの店のパンで、何が一番好きですか?」

 レッドの無言が気まずかったのだろう、パティーは話題を変えてくる。

「……うん、そうだな。僕はスモークチーズパンとベーコンエッグパンが好きだ。このお店のパンはどれもおいしいけれど、この二つは別格だと思う」

 レッドは会話に乗る。自由に外出のできなくなったレッドにとって、人々と話をする機会を逃す理由はなかった。他人と会話することによって、レッドは己がれっきとした人間であることを再認識する。

『貴様はもはや人間ではない。貴様は卑しい魔物の奴隷だ』

 一月前のチェロの言葉は、レッドの中で尾を引いていた。もしも彼が他者のとの会話を許されていなかったら、本当に狂ってしまっていたことだろう。

「なるほどなるほど。ガッツリ系がお好きなんですね。じゃあ、これはおいしくないっていうパンはありますか?」

「おいしくない? うーん、食べてはいないけれど、キノコを使ったパンはダメだな」

「キノコ、ですか?」

「うん。僕はキノコが苦手なんだ。個人的すぎるから、参考にならないと思うけど」

「嫌いなものの一つや二つ、誰にだってありますもんね」

「バストは……バスト様はなさそうだけどな。僕がキノコを嫌いになったのは、ちゃんと理由があるんだよ。八歳の時、妹の採ってきたベニコンランダケを食べてしまったんだ」

「ベニコンランダケって……毒キノコじゃないですか!」

「毒キノコって言っても、命に支障はない。ただ、数日は幻覚と幻聴に苦労させられた。何が現実で何が夢なのかもわからなくなって……。その一件以来、僕はキノコを見るのも嫌になってしまったんだ」

「見るのも嫌って、相当な重傷ですね」

「キノコを見ると思い出してしまうんだ。顔が十個もあるバケモノに追いかけられたことや、頭の割れるような金切り声を」

 話しているだけで気分が悪くなってきた。忘れたいと思っているのに、あの時幻視したものはいつまでも忘れることができない。

 と、パンがあふれんばかりに詰まった袋を抱えてバストが戻ってきた。

「ブヒヒヒ。バーガーさんの新作、買っちゃったッス。ヨダレが止まんないッスよ」

 バストが差し出してきた袋を、レッドは無言で受け取る。いくら中身がパンとはいえ、ずしりと重かった。

「それじゃパティーちゃん、また今度」

「はい! また来てくださいね!」

 パティーに挨拶をして、バストは店を出ていく。レッドもパティーに一礼してから、バストに続いた。店の前に停めてあった荷車に袋を詰め込む。バストが大量の食材を買い込む為、荷車は必要不可欠だった。

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