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9、想いを懸けるもの1

 山肌の残雪がすっかり溶けた頃には、すでに夏が始まっていました。

 木々や草は急ぐように花を開き、せわしなく飛び交う虫たちの羽音が高くうなりました。やがて漂っていた青葉と花の香りは消えていき、冷たい風が駆け抜けるようになりました。木々の葉は赤みを帯び、枝には、鳥や獣たちが冬を越すための恵みの実が垂れました。

そしてまた、冬がやってきました。


「ハヤよ、聞いておくれ」

 あるとても冷え込んだ朝のこと、キドは胸に登っていた思いを口にしました。

「どうしたの あらたまって」

 灯心とうしんの皿に油を注いでいたハヤが微笑みを返しました。キドは囲炉裏の端からじっとハヤを見つめました。

「わしらはもはやわらべではない。ただに山を駆け回っていてもよい時は過ぎた。山里の村の衆のように、ひもじい時の蓄えを持ち、しかと夫婦めおととして歩みださねば」

 毅然きぜんと響くキドの声にハヤの表情は曇りました。

「なぜ、ただに山を駆け回っていては駄目なの。獣たちは皆そうしているわ。蓄えなんていらない。必要なものは、その時に手に入れればよいではないの。もしや、春に来た武士の言葉を気にしているの」

 キドは優しく首を振りました。

「おまえが何者かであったかは関わりのないこと。だが、わしらは獣ではない。明日を見据えて日々を送らなければ、安心して家を持ち、子を授かることはできない。山歩きばかりしていたあのサッダだって、先への備えは怠ることはなかったのだ」


 思いが理解できないと目を伏せたハヤを後ろに、キドは立ち上がり、棚の奥から小さな木箱を取り出しました。

「その前に、わしにはやっておかねばならないことがある。それをやらなければ、おまえとの新しい生活を始めるわけにはいかないのだ」

 キドは木箱を開けました。山鳥の羽根の中に、白い欠片かけらが埋もれていました。それはずっと以前、サッダが射留めた金色の鹿の骨でした。


「観音様はおっしゃった。我が思いの全てを懸けられるような物をこれで作れと。それが何であるのか、やっとわかった。

 わしの心には、あの美しい鹿がいる。おまえと話をする時も、森で獣を追いかける時も、いつもだ。あれから十年あまり、鹿の寿命の五、六年はとうに過ぎている。だが、わしは確信している、あいつはまだ生きていると。わしはあいつを射る、そして心のかすみを晴らし、目の前にいるおまえをしっかと見つめるのだ。そう、あの鹿を射るための矢じりを、これで作るのだ」

 そう言ってキドは小刀を握り、白い骨を削り始めました。


 骨は非常に硬く、小刀は幾つか刃こぼれを起こしましたが、やがて鋭い矢じりとなりました。次いで細く割った竹の束から慎重に四本を選び、ヤジリと大鷲の羽根を挟み、あけびのつるを巻きつけました。

「うむ、これで」

 頷きとともに手に握られたのは、寸分の歪みもない美しい矢でした。


夫婦めおとになること、急な申し出だった。事が済んだらすぐに戻ってくる。その時にまた話を聞いておくれ」

 キドはじっとうつむいたままのハヤを残し、小屋を出ました。




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