2、キドとサッダ2
夏も終わり頃のこと、夜ともなれば冷たい風が山の木々を揺らしました。この時、腹を空かせた山の獣が現れなかったのは幸運としか言えません。キドは温かい衣の中で静かに眠り、時折目を開けては、空に浮かぶ月を瞳に映していました。
そこに一人の老人がふらりとやってきました。その老人の名はサッダ。数年前に女房を亡くして以来、時に小川の魚を採りながらも、酒に明け暮れる日々を過ごしていました。独りで村はずれの川岸に住み、キドのことはもちろん、疫病のことも知りませんでした。
今は社の備え酒をくすねに来たのですが、軒下の石段に置かれたキドに、危うく足を取られそうになりました。
「こいつは…、なんと赤子じゃねえか」
干涸びた声をもらして驚きました。
顔を間近に寄せてのぞくと、キドは堰を切ったように泣き出しました。待っていた出逢いに縋りつかんとばかりに、幼気な手を差し出しています。
「わしを求めてくれる者がまだおったのか」
サッダは節くれ立った腕を伸ばし、キドを抱き上げました。
この日から、二人の生活が始まりました。
生きるよすがを取り戻したサッダはすっぱりと酒を断ち、その背には、いつも愛らしい笑顔を振りまくキドが負われるようになりました。
「サッダの瞳に再び光が宿った」
二人の姿を見かけた村人は驚き、胸を撫で下ろしました。だいぶ老いたとは言え、以前のサッダは、誰もが一目を置く弓の名手でした。そして自ら決めたことは最後までやり遂げる尊敬される男でもあったのです。
「赤子の育て方なんぞ、わかりゃしねえが」
時にぶつくさ言いながらも、サッダは手厚くキドの面倒を看ました。川魚をぐつぐつと煮込んだ汁を、肌の温もりに冷ましてあてがったり、自分の古着を仕立て直して着せたり、もちろん、下の世話だって厭わずにしたのです。
女たちは、できることがあるならと遠目から見守っていたのですが、無用のことでした。キドはやせ細ることもなく、すくすくと育っていったのです。
床を這って回るほどにしっかりしてからは、背負子に負われ、山の奥に狩りに連れていかれるようになりました。
「目ん玉ひろげて、よう見ておきよ」
かけられた言葉の通り、サッダが木々の間を走る獣に首を向ける時には、キドも広い肩越しに暗い森を見つめました。弓を引く時には、鈍くきしむ背に口を当てて息を殺し、矢の飛びゆく先を見据えました。
小屋の中では、射とめた獣の皮はぎや、肉の燻し、さらには弓の手入れや矢作りなど、様々な熟練の手さばきを瞳の奥に焼きつけました。
こうしてキドは、狩人として学ぶべきことを、赤子の時から身につけていったのです。
一人で夜の山歩きができるようになった頃には、もはや一端の射手でした。父から授かった弓をたずさえ、すばしこく跳ねる野兎を射ることはもちろん、木の枝の栗鼠の頭に、栗のいがを落とす芸当さえできるようになっていました。
「そろそろわしから得ることも、なくなりそうだわい」
サッダは、そんなキドを寂しくも誇らしげに見ながらつぶやきました。