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駅で落とす財布

作者: 小城

「財布、落としましたよ。」

 帰りの電車から出た改札内で、若い女性に声を掛けられた。

「ありがとうございます。」

「あっ。真也君?」

「えっ?」

「中学校のときの、麻実まみ。浅野麻実です。」

「浅野…。ああ、浅野か。」

 俺たちは、駅構内のカフェに入った。

「浅野。あの、浅野か…。」

「本当に、覚えてる?」

「覚えてるよ。バスケ部だったか?」

「そう。」

 浅野は、バスケ部。俺は、野球部。接点などなかった。

「よく、覚えていたな…。」

「なんで?」

 確か、一度だけ同じクラスになったことがあるはずだった。なぜなら、俺と浅野は、そのクラスのとき、運動会の男女混合リレーのチームメイトだったからである。

「それしか、覚えてなくて。悪いな。」

「私もそうよ。あのときの印象が強かったから。」

 そのときの男女混合リレーで、俺たちのクラスは、出だしから、最下位だった。

「ごめん。」

 しかし、女子アンカーの浅野が、5位から3位に上げた。

「(どこまでいけるか…。)」

 各クラスとも、アンカーは、陸上部を始めとしたエース級の走者を揃えている。その中で、野球部の、先頭打者で、一塁守備の俺は、多少、脚に自身はあったが、それでも、陸上部のやつらと、やり合えるとは思っていなかった。

「行け!行け!行け!」

 そんな俺の思いは、杞憂となり、3位から1位に上がった俺は、2位の走者にも差を付けて、トップで、ゴールテープを切った。

「やったぞ!!」

 走者である俺、本人が、その結果に一番驚いた。

「あのときの、真也君。かっこよかったね。クラスの英雄って、感じでさあ。」

「言い過ぎだな。それは…。」

 英雄。たった中学の運動会のリレーで、相手を、ごぼう抜きにしたぐらいで、大袈裟だと思った。しかし、自分のことを、英雄だと思っていたのは、多分、俺、自身だったと思う。そのリレーの後、俺は、陸上部のやつらも、他の運動部のやつらも、実は、大したことはなかったのだということに気が付いた。世の中は、自分が思ったよりも、すごいところではなく、逆に、自分は、世の中の中で、案外、すごいやつだったのだと思った。それは、小さな町に、ひとつしかない、中学校の野球部の先頭打者だった男子に、自信を付けるのには、ちょうどよかったであろう。しかし、中学校を卒業し、他の町の高校に通うようになると、そんな過去の栄光は、恥ずかしい思い出以外のなんでもないということに、気が付いた。

「こいつ、すげぇ、脚、早いんだぜ。」

 同じ中学校から、その高校に、通っていた同じクラスの同級生の男子が言った。

「13,15秒」

 1年の体育の授業の100m走で、俺が出した記録は、周囲が、期待する程ではなかった。

「あいつ、遅えじゃん。」

 周りの生徒の声が聞こえた。俺は、高校でも、野球部に入部したが、それも、2年の半ばで、辞めてしまった。卒業後は、専門学校に行って、今は、会社員として、普通の生活を送っている。

「そろそろ行こうか。」

「ああ。」

「私が奢るから。」

「嫌、悪いよ。」

「その代わり、今度は、真也君が、奢ってね。」

 浅野は、俺のコーヒー代を、ちゃちゃっと、払い終えてしまった。

「連絡先、交換しよっか。」

「そうだな。」

 浅野と別れた俺は、少しだけ、駅ビルのテナントを見てから、帰ろうと思った。辺りに、人は、まばらだが、これから帰宅するであろう人たちは、一心不乱に、足音を立てて、歩いている。

「やばい!?財布。」

 私はよく財布を落とす。それも、今日のように、実際に、駅でも、よく落とすし、夢の中でも、駅で、財布を落としている夢を見る。それは、何故なのか、何を表しているのかは分からない。

「よかった。」

 二、三歩後ろの床に、落ちていた財布を、拾った。床に、しゃがみ込んだ私と財布を尻目に、周囲の人々は、ものすごい早さで歩いて行く。

「(皆、こんなに早かったか…。)」

 周りを行く人たちを、そう思い始めたのは、いつからだろうか。彼らのスピードを見ていると、時折、俺の心は、その光景に、不安を感じることがある。それは、中学校の男女混合リレーのときに見た光景とは、真逆のものだった。

「ふぅ…。」

 大きく息を吐き、俺は、財布をポケットにしまった。

「着信…?」

 ポケットの中のスマホが鳴った。それは浅野だった。ずいぶん、長い時間を、俺は、駅で過ごしていたらしい。

「俺、ごめん。まだ、駅だ。」

 俺がそう言うと、浅野は、笑っていた。

「それじゃあ、また、掛けるね。」

1、2分の短い通話だった。

「(行きますか…。)」

 スマホをポケットにしまうと、俺は、家路に向かった。その足は、若干、いつもよりも、早かった。

 自宅に到着した俺は、コーヒーを入れると、浅野に電話を掛けた。

「久しぶり。」

「真也君って、そんな人だった?」

 俺と浅野は、特に用もないのだが、1時間ぐらい、会話をしていたのだと思う。

「それじゃあ。おやすみなさい。」

「ああ。また。」

 シャワーを浴びて、夜食を済ませると、ベットに横になった。さっき飲んだコーヒーで、眠れないかとも思ったが、そうでもなく、ベットに横たわった俺は、間もなく、眠りについた。そして、いつものように、その日の夜、俺は夢を見た。しかし、それは、いつもの、駅で財布を落とす夢ではなく、何故か、水の中のいるように、手足を広げて、自由に空を飛ぶ夢であった。

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