生まれ変わったらあなたに会いたい
「あんたのことなんて大っきらいよ」
物語のヒロインとして生を受けた。何度も、何度も。
無垢であったり天真爛漫であったり、まあ人から好感度を得られやすい性格で恋愛無双をしてきた私。迫りくる猛者をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……じゃないけれど、いい男たちが私を見染め、あまくてハラハラしたひとときを過ごしてきた。資産家に権力者に高貴な血筋、人外もいたし、あとはたまに神さまなんてのも。容姿だって乙女の理想を詰めこんだステキな人たちばかりだった。そんな多くの女性から慕われるだろう人たちが、なぜか私に恋をする。私自身が魅力的な姿の時もあるけれど、あんまり関係ないと気付いたのはいつのお話でだっけ。以前は砂糖菓子のようなあまいあまい笑顔で私を見つめるヒーローたちに頬を染め、気持ちが浮き足立っていた。けれど、いつからかときめく心とは別の場所で冷ややかにその光景を眺める自分がいた。無条件に向けられる好意になんの意味があるんだろう。
私がヒロインとして存在するかぎり、物語ははじまり、そして終わる。物語が終わってしまえばそこで意識はなくなり、気づけば次の舞台に立っている。
私は今、物語の終わりにいる。
この生もヒロインとして無事に波乱を乗り越え、ヒーローと結ばれつつある。普段なら氷のような冷たい視線しかよこさない彼が、とろけるように柔らかくほほ笑み、私にキスをした。
心臓がドキドキしてうっとりとそれに応じるけれど、どこか遠い場所から無感情にながめる私がいた。ゴーン、ゴーンと鐘が鳴る音がかすかに聞こえる。
ねえ、ここまで好かれる理由ってなに。
私なにかしたかな。ずっと笑ってただけだよ。
ヒロインだったら誰でもいいんじゃないの。
純白のドレスに身を包み、たくさんのひとから祝福を受ける。拍手が私と彼を包み込み、それに応えるように笑顔で手をふった。もうすぐ、物語は終わるだろう。
「愛している」
「私だって、愛してます」
心底そう思ってる。彼が大好きでたまらないし、幸せなこの瞬間を手放したくない。熱のこもった彼の瞳が私を射抜けば、全身が歓喜で打ちふるえた。
——キモチワルイ。
もうひとりの私がそう吐き捨てる。すべては偽り。ここが物語である以上、どうあがいても私はヒロインとして幸せを享受する。人の悪口なんか言わないいいい子ちゃんで、悩めるいい男たちの憂いを晴らし、虜にする。
私はなんて罪な存在だろう。
だけどそれにさえ救いがある。
「あんたなんて大っきらいよ」
鮮明に思い出すのは侮蔑のこもった彼女の瞳。
多くの好意を寄せられるなかで明確に向けられた絶対的な敵意。悪意。憎悪。彼女だけがそれを向けてくれる。彼女だけが、私を嫌ってくれる。殺そうとしてくれる。
私が憎くてたまらないって顔をして、忌々しげに去りゆく後ろ姿は孤独の匂いがした。今ごろあなたはどうしてるのだろう。食事に毒を盛ったと告発され、連行されていった彼女が心配だ。どうせなら毒だなんて間接的なことではなく、そのきれいな指先を私ののどに食い込ませてほしかった。その手で直接ふれてほしかった。憎々しいと蔑んだ目で見下ろされながら、命を散らしたかった。
持っていたブーケを投げると、白い花びらが宙へが舞う。小さなチューベローズの花がひとつ、私の手に残った。
次は会えるだろうか。何度目覚めたかわからない無限地獄のような世界で、あなたの存在にすがりたい。異様な生き物だと、軽蔑にあたいすると、指さして嘲笑ってほしい。
視界が闇となり、意識が深くしずんだ。
◇
「転校してきた鈴原さんだ。みんな仲良くしてやってくれ」
「……はじめまして」
物語がまたはじまった。かわいらしい制服に身を包み、壇上で紹介されるシーンからはじまるようだ。クラスには男女が半々、みんな私に興味津々という感じで見ている。次は学園ものか、と思っていると自分の生まれや環境、転校するにいたった経緯がすっと頭に入ってきた。ヒロインインストール完了。性格は正義感が強いはつらつ系で、困っている人には手を差し伸べる懐が大きい女子。ということは相手は粗野な男か腹黒かなと予想する。そういうのって強引でナルシストな人が多いし、まったく気がのらない。……とは言うものの、なんだかんだでヒロインには抗えないんだろうなと小さくため息をついた。
……いま私、ため息をついた?
おかしい。いつも遠いところにあるはずの思考と行動がリンクしてる。ほんとだったら笑顔で挨拶しなきゃいけないシーンなのに。この違和感はなに? いや、違和感というよりは開放感だろうか。束縛されたものがないっていうか、心のありかたが自由っていうか……
「——うそ」
引きつったような声が室内に小さく響いた。声の主に目をやれば、一人の女生徒が私を見て顔を強張らせていた。その姿を見てビリビリと魂が震える。
「あたし、また悪役令嬢……?」
かわいい人はそう言って唖然とした。
突然、ガラガラと扉が開く音が聞こえた。どうやら誰か遅刻したらしい。ぬっと現れたのは髪を派手に赤く染めた背の高い男で、ヒロインレーダーがびびびと反応する。今回のヒーローはこの人か。ばっちり目が合うと赤髪の男は怪訝そうな顔をする。
「なんだそいつ」
「おい荒川、いいかげん時間通りに来い。そしてこの子は転校してきた鈴原さんだ。ちょうどいいお前、彼女の面倒みてやれ」
「はあ?」
私がなにも言わずに荒川と呼ばれた男を見ていると、小さく舌打ちが聞こえ、手首をつかまれた。
「……くそ、仕方ねえ——」
「さわるな話しかけるなこっち来るな赤ゴリラ」
思わず走った虫唾。でもその感覚が新鮮だった。
ヒーロー相手にときめかない。
ありったけの暴言が言えた。
私、もしかして自由なの?
荒川の手を振り払うと、私はさっきの女生徒めがけて飛んで行った。即座に名札を見れば『津ヶ谷』と書いてある。なんてかわいい名前なの。
「津ヶ谷さん。わたし、鈴原のどか」
艶のある黒髪にちょっとだけきつい目つきで、その目尻には泣きぼくろがあった。舐めちゃいたい。私のそんな不埒な欲求を感じとったのか津ヶ谷さんはその表情を恐怖に染めた。「ひっ」と小さく息をのむ音が聞こえる。ああ、空気になって津ヶ谷さんの体内に入り込めたらいいのに。
惚けながらかわいい津ヶ谷さんを見つめていれば、背後に立った影が私の肩をつかむ。もちろん嫌悪感からすぐに振り払うけど。
「おいクソ女。よくも——」
「うるさい黙れあっちに行け二度と話しかけるな」
振り返りもせずに冷たく言い放てたその事実に、興奮を覚える。やっぱり、私、自由だ。この男とくっつかなくていいんだ!
うれしくてつい口元がゆるむ。ぱっと顔をあげて、津ヶ谷さんのご尊顔を拝見と意気込んだところ、怒りに満ちた熱い視線が私に注がれていた。
背中にゾクゾクとした快感が全身に走る。
「荒川くんに、ヒドいこと言わないで」
黒く濡れたその瞳は今にも涙がこぼれそうだ。
「やっぱりあんたなんか、大っきらいよ!!」
荒川への想いや私に対する嫉妬。それからくる怒りや悲しみ。あらゆる負の感情が私に注がれる。
「……もっと、」
彼女だけ。
彼女だけが、この世界で唯一その感情を向けてくれる。
「おねがい、もっと言って」
はしたなく催促をする私に、さらに冷たい眼差しが注がれる。ああ、すごくいい。なんて危険な快楽だろう。
その背景にある『自分も愛されたい』という想いがよけいにいじらしく思える。それなら私が愛をあげたい。身がとろけそうなほど熱い愛を、あなたに捧げたい。
「……おまえ、津ヶ谷が気になんのかよ。残念だったな、そいつ俺に惚れてるんだぜ」
なあ津ヶ谷、とあまったるい声で私のかわいい人を呼ぶ赤ゴリラ。不敬だと思う。だけど津ヶ谷さんは顔を真っ赤にしてゴリラに見入っていた。かわいい。うるうるとさせた瞳がすごくおいしそう。だけどどうかその瞳をこっちに向けてほしい。侮蔑のこもった目で見下して、罵って、足蹴にしてほしい。殺意を向けてほしい。そして「誰かあたしを愛してよ」と泣き崩れてほしい。だってほら、彼女の動機は愛を欲してのことだから。
ぼろぼろになった彼女に愛をあげる私を想像したら脳が快感でとろけた。大っきらいな私から贈られる愛に、あなたはどんな表情をして手を伸ばすだろう。考えるだけで頬が熱を持って息が荒くなる。
……でもその為には。私は荒川に目をやった。彼女が私に嫌悪感を抱くのはこいつがらみ。こいつも私の気を引くためにわざと言っている気がする。津ヶ谷さん取られてもいやだし、私以外で満たされた津ヶ谷さんはもっといやだ。それだったら相手をしてやるかと荒川をにらみつけた。
視線がぶつかり、おもしろそうに奴の顔が歪む。
今度は絶対おまえなんかに捕まらない。私が欲しいのは津ヶ谷さん、ただひとりだけだもの。
「おーい……先生、泣いていいか……」
私と津ヶ谷さんに迷惑かけなかったら泣けばいい。私はもう、みんなから好かれるいい子ちゃんヒロインじゃない。