目の前に奴はいた(前編)
私の名は成瀬奈々子。
私のジョブを簡単に説明するならば、しがないサラリーマンだとかOLだとか、まぁ平たく言うならば社会の歯車だとか? そんな風に形容されるべき存在だ。
――私は今、そんな“村人A”ごときがいるべきでは断じてない、現実とは一万光年ほどはかけ離れた場所に立っていた。
……わかってるよ? 光年は距離ではない。時間だ。知ってるよ?
でもね。そういったツッコミはいいんだ。
ぜひともその理由を聞いてほしい。だってそれくらい今、私の脳内が大絶賛爆裂錯乱中なのだから。
数十メートル先で轟音と共に何かが爆ぜる。
あの場所は確か、シーソーがあったっけなぁ。
そう、ここは公園だ。普通の公園だ。そのはずなんだ……。
星々がほとんど煌かない、都会じゃないけど空気の汚れた地方都市の団地前公園。
それが今、私の立っている場所だった。
空には半月をやや過ぎた程度の、満月とはちょっと遠い程度の月。
そう、夜だね。
私は眼前の光景に呆然とするしかなかった。
散乱した木片とゆらめく砂煙。
中から現れたのはなんと、眩い白銀の鎧に身を包んだ金髪の青年。
彼はその手に持っている“なんかものすっごい豪華で装飾過多な美しすぎる剣”をひるがえし、目の前にそびえ立つなんか……眼の沢山ついたヌラヌラ蠢くコールタール状のものっそい気持ち悪い不気味で巨大な怪物へと向けて疾走して行くのだった。
そう、私はそんな現実離れした光景を、ただ呆然と眺めていた。
――てか、それしかできなかった。
轟音をたてながら砕け散るベンチだったもの。
その前にはブルンブルンと無数の触手を振り回すグロテスクな怪物の姿。
そんなものすっごい勢いで、ものすっごい威力であろう、ものすっごい速さの攻撃を、モーションブラーな残像を残しつつ余裕で回避する“なんかもう勇者としか形容できない謎の金髪鎧男”。
まさに高レベル、異次元の戦い。
できればそんな素敵素晴らしい光景は、ぜひともブラウン管の中で、というかブラウザの中とか銀幕の中とかでやっていただきたかった……!
「――なんぞこれ?」
ここはとある県にあるしがない地方都市。
星海市。黄星区。陽条町。
そのホームタウンである地区たる団地。
とどのつまりは、灰色のコンクリート建造物が無数に立ち並ぶ一般的で現実的、まさに21世紀なうな地球の町並みである。
そう、私の目の前にあるのはファンタジーな世界でもなんでもない。
――現実なのだ!
異世界転移とかでは断じてない。
だっていつも部長に嫌味言われた後とかに心の癒しとしてお汁粉とかコンポタとか夏ならビールとかストゼロ様とか、そんなんキメキメするベンチが、今でも目に見える範囲に残っている。
砕けたの別のベンチでよかった。
いや違う、そうじゃない。
――そうじゃない!
なんなんだこの目の前のトンチキな光景は!?
言っておくが私は誰がなんと言おうと普通の一般人。
つまりは無力な雑魚である。
秘められた謎の力がどうだとか? 実は勇者だか魔王だか天使だか悪魔だかの血を引く何かだとか? 親が実は宇宙から来た皇族だとか? 転生だの転移だのチートだの聖女だの悪役令嬢だの? そんなありきたりな昭和アニメ設定みたいな不可思議な謎パゥアーだの、昨今のクソテンプレ作品のようなクソご都合主義なんざ一切無ぇ! ありえねぇ! 持ってるはずとかありえねぇ! レーザーディスクは何者だ? そんな物はファンタジーなフィクション以外ではまったく無縁な普通系女子。ザ・無力なノーマル一般人様な訳で。
そんなクソショボナメクジ野郎のジョブと言やぁそりゃあもう、悲しき物語を背負いし時給と言う名の誓約と制約に縛られた狩人(もう一生お茶汲みなんてできなくてもいい、ってかしたくないという制約で無敵になりたい人生だった)である訳で。“もう遊ぶ時間など無くなってもいい”という制約と覚悟の下、全てを捨てて戦うお~と~こ~♪ デビルなマンもびっくりなほどに己の命もかえりみずに命をガリガリと削りながら任務をこなす業を背負いしまさに現代の暗黒剣の使い手にして哀しき企業戦士とでもいうべき存在なわけだが当然の如く今絶賛目の前の怪物はもうそんな暗黒界王拳なんざ通じる相手ではまったくない訳で。
そう今私が立っている世界を例えるならあれだ、パラディンだとかナイトだとかウィザードだとかクレリックだとか何かやたらと裏切りそうな竜騎士(07)だとかが黄色いダチョウに跨り「フォロミー」と草原を駆けずり回るほどの非現実的光景な訳でして……。
――何を言ってるかさっぱりわからないって?
はっはっは奇遇だね私もだ。
なぜなら当然の如く私は今この通り理解不能な謎珍文を大量に脳内で垂れ流しまくるほどに、脳が絶賛音速で駆け巡りながらもバグって宇宙広し猫ヒロシと現実逃避の真っ最中な訳だからして――
あぁお汁粉が美味しい身に染みる……。
股間も染みてる……。
大人なのに。
涙目。
私は手に持ったお汁粉缶をチビチビとキメつつ、ついでに大絶賛ドバーッとチビりつつ、夢見心地放心状態で目の前のクソ現実を受け入れようとしている真っ最中なのであった。
こんな一般成人女子のお漏らしシーンとか誰得なんだよ。