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ぼんやりした不安

作者: 漱石かぶれ


高校生になって半年経った。体育祭や文化祭を通して学校生活に慣れ、クラスにも恵まれ、中学の時よりは楽に過ごしている。

だが、少し外界からの刺激が途切れると、どこからともなく重い感覚が自分を襲い、底の無い沼に引きずり込もうとする。

自分のこの感覚は中二の後半からあって、時間が経つにつれて、度合いが酷くなっていっている。

自分は最初これを思春期特有の感覚だと考え、少し経てば終わるだろうと思っていた。だが時間や環境が変わっても、全く収まる気配が無いのに気がついた。

そして、自分の中にあるぼんやりした不安は自分の将来、人生全体を覆い尽くし、内側からじわりじわりと自己を蝕んでいく毒だと悟った。

この毒は自分が今後どんな人生を送っても、決して治らないものだと考えた。

自分はこの考えに至った時、現実に抵抗しても無駄だと考え、その場に座り込み、自分の中の不安について考えることをやめた。

その結果、最初は楽だったが、次第に生への関心が薄まり、熱中できるものを見つけることができなくなり、内向的になっていった。


今の自分の部屋はただただ白く、一冊の漫画も、一枚のポスターも無い。

周りを見渡しても、焦点が合うのは天井に吊るされたライトだけである。


だが時々、自分よりも酷い環境、酷い境遇の人を見て自分の不安のちっぽけさに情けなくなる時がある。

しかし、それは一時的なものですぐに過去と未来から重い霧が流れてきて、視界を覆い尽くす。


ある日、自分はこの不安を他人に断片的であるが吐露したことがある。

だが、それは自分の惨めさを他人を通して噛みしめるだけで、何の解決にも、発散にもならず、ただ憂鬱になるだけであった。

自分はこれで他人に自己の内部の不安を話しても不安から救われないということを知った。

また、自分の不安や悩みを他人に打ち明けるということは、相手に自分の不安を背負わせるということで、相手を苦しませることになるのではないのだろうかと考えた。


これらの経験が重なり、より一層自分の内向化が進み、感性が剥がれ落ちていった。

自分の様な生に関心の無い人間は、「死」の方へ関心を向けるのだろうが、今の自分には全く死への関心すらも湧いてこない。

「死」という言葉は、自分にとってはただの言葉でしか無く、全く親近感が湧かず、救済とも捉えていない。


現実や不安への抵抗をやめた結果、生と死への関心が薄まってしまった。


他人から見て自分のこの感慨は、全く現実を見ていない、現実逃避を拗らせている中二病の子供と見られるだろう。

まさにその通りである。そのくだらなさが自分の全てである。人生である。

今の自分はその不安に全てを支配されている。

段々堕落していくことしかできず、反発心は掻き消され底に溜まり、ゆっくり染み込んでいく。


外界からの刺激が続いている間は自分の不安を感じなくて済む。

自分はそのおかげで今は人並みの生活を送っている。

人並みの生活を送っているので、誰がから特異な目では見られないが、もし何かの手違いで悪い刺激が外界から与えられ続けられた時、自分はどうなるか分からない。


ぼんやりした不安。それは確かにあるという感覚はあるが掴もうとしても掴めず、逃げようとしても逃げられず、自分の心を蝕んでいく。

今夜も自分は、夜の静寂の中で不安の蠢きを胸の底で感じながら奇妙な眠りに落ちる。

明日も明後日も来年も、この不安は続く。







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