姉さんと私 一
私は常にその女性のことを姉さんと呼んだ。だから、ここでもただ姉さんと呼ぶことに留める。これは世間を憚る遠慮であるとか、姉さん個人に対する配慮であるとかではなく、私にとってその女性を呼ぶことにこれ以上に適当なことはないからだ。よそよそしい頭文字であるとか、偽名を使うなどという気にはとてもなれない。
私と姉さんの関係は実の姉弟ではない。端的に云うなら、職場の先輩と後輩の関係である。但し、私が姉さんと呼んではいるし、実際姉さんのほうが九つ年上であるが、私のほうが一年先輩で姉さんは後輩であった。
私の務め先というのは病院の食事を担う部署であり、私は実際に作業をする丁稚のようなものであったが、この職場は年中人手不足が深刻であり、より大変であった前職から転職した私にとってしてもなかなかに辛いものがあった。そんな環境であったが仕事を覚え入社一年で同年代の中では、前職の経験も相まって少しばかり出来る人であったという自負を持てる程度にはなった。上司や先輩からも、一定の信頼が得られてきた。
私にも現職で後輩ができたのだ。それが二十歳上の後に兄さんと呼ぶことになる男と、件の姉さんであった。実にこれが私と姉さんの出逢いであったのだ。
夏目漱石の『こゝろ』に強く影響を受けています。
夏目漱石先生に心から敬意を込めて書きました。