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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ムカデ

作者: 駒棚同志郎

 俺はエサを求め林の中を這い歩く。落ち葉の下の腐葉土の上で小さなアリを踏みながら右に左に体を捻る。アリなんてものは眼中にない。今日の俺はもっと噛み応えのある獲物を求めているのだ。これまで食べたことのないような大物を。

 ふと俺の嗅覚は濃厚な蜜の香りを捉えた。甘ったるくて豊潤な、いかにも俺のエサが好みそうな匂いだ。

 他のムカデもそうなのかは知らないが、俺は甘いものが嫌いだ。俺のエサどもの食事の嗜好はまるで理解できない。昔、奴らが好む蜜の味がどんなものか気になって舐めてみたことがある。あの時は大変だった。蜜を口に含んだ途端、脳が揺れ全身に痺れをきたしたのだ。幾ら脚が多かろうと力が入らなければ樹から落ちてしまうということをあの時学んだ。頑丈な俺の甲羅と柔らかい土のおかげで落下によるダメージはなかったが、麻痺のせいで一晩中そこから動くことができなかった。その後遺症か第七右足と第十八左足は今も動かない。

 さて、俺はそんな憎たらしい蜜の香りを葉避け草分け辿って行く。次第に蜜の香りは強さを増し、侵入者を阻むように身体中にねとりと絡みつく。それでも力任せに進む俺の脚は止まらない。

 やがて俺の目の前に一本の大樹が現れた。夥しい生命の気配を身に纏い泰然自若とした様子で腹立たしい。周囲の草木を枯れさせるほどに取り込まれた栄養は濃縮された樹液となって太った幹の裂け目から溢れ出ている。その樹液の周りには大小さまざまな虫たちが隙間もなくへばりついていた(醜い奴らめ!)。俺はその中に一等大きなヘビトンボを見た。今まで見た中でも強烈にでかい。

 ヘビトンボは俺が最も嫌う昆虫の一種だ。奴らの幼虫はその姿や凶暴な肉食性から川ムカデと呼ばれている。全くけしからん。奴らは俺たちのような強い毒を持っているわけでもなく、ただ顎がでかいというだけなのに。それになんといっても情けないのはあの弱々しい羽を持つ成虫の姿だ。ヘビトンボは成虫になると樹液を好んで食べるようになる。そして、幼虫期に活躍した大きな顎はただの飾りに成り下がるのだ。防衛手段として噛み付くことが稀にあるが、普段使うことがないためか酷く弱々しい。じゃれついて甘噛みしたのかと疑うほどだ。

 だが、そんな奴らでも使い道はある。俺たちムカデのエサになることだ。ヘビトンボの美味さといったらそれはもう半端じゃない。顎のついた頭はゴリゴリとした噛み応えがあり、単眼内を満たすぷるとした液体のまさしく目が冴えるような苦味も一度口にすれば忘れられない。羽はその見た目に反して濃い野生の味わいが香ばしい。そして、羽元の肉。これはもう大変である。その神々しいほどの柔らかさを口に含んだ途端、脳は揺れ全身が痺れるような快感に襲われる。そして、脚の一本一本つま先から少しずつこの大自然に昇華されてゆくような錯覚に陥るのだ。そのあまりの美味さに一晩中動けなくなったこともあるほどだ。その時の後遺症か第十九右足と第三左足は今も動かない。

 さて、そんなヘビトンボの一際大きい個体が目の前にあるというのにそれを逃す俺ではない。俺は奴に気づかれないように木の裏側に周り音を殺して素早く駆け登った。ほどなくしてヘビトンボのいる高さまで辿り着くと、頭を落ち着かせようと体勢を立て直した。濃密な樹液の香りももはや感じないほどに興奮している。一息ついた俺は再び奴に向かって歩き出す。今度はゆっくりと慎重に近づいていく。じり。じり。奴の羽が見えた。じり。じり。まだ奴は気づいていない。じり。じり。目と鼻の先には既に奴の尻がある。じり。遂に俺と奴の目が合った。一瞬の間の後、そこには首元を噛み切られた奴と噛み切った俺がいた。

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