熊沢さんは推理をしない
落ち着いて熊沢さん、そんな風に“殺す”の目で見ていたら、さすがに――ほら、羽月さんがこっそりとこっちを伺っているよ。
人の視線って、何故か気付いちゃうものなんだよね。
あ! それだよ、熊沢さん!
熊沢さんが、あの目を止めてくれているよ。
そういう風に冷静さを装って、無表情を心がている間に殺意も落ち着かせようじゃないか。
ああ、良かった。
羽月さんも気のせいと思ったのか、すぐに前を向いたね。
これで一安心だね。
あれ?
井沢くんも、ちょっとだけビビってたみたいだ。
でも、熊沢さんが睨んでいたのは羽月さんだよ。井沢くんは狙われてないのに……
この井沢くんの反応に、さすがに熊沢さんは気付いたみたいだ。
さっきとは少し違う鋭い眼差しになっているよ。
そしてノートに向き直って、先ほどまで描いていた井クマと川クマの間に、新たなクマを描き始めた。
新しいクマは……その頭に刺さってるのは何だろう?
三つの星が今にも頭にぶつかりそうだ。
これは――もしかして羽月さんのヘアピンの飾り?
それなら普通に付けてあげれば済むのに……怖いね熊沢さん!
でも、いきなり羽月さんクマ――通称「羽クマ」を登場させるのは無理があるんじゃ?
熊沢さんは、井クマと川クマから矢印を引っ張って、それを羽クマに向ける。
一般に言うところの三角関係だね。
おおっと、熊沢さん!
あっという間に井クマ→羽クマのラインをぐちゃぐちゃにしてしまったぞ!
これはひどい!
絶対、公務員とかになっちゃダメなタイプだ熊沢さん。
公私の区別は付けないと……でも、おかしいな。
元々の三角関係でもおかしいけど、
川クマ→羽クマ
みたいに一方のラインが消えても上手く説明出来ないね。
熊沢さんは少し考えて、また矢印に手を入れた。
熊沢さん、川村くんも気になってるのかな?
元々書いてあった、
川クマ→羽クマ
の矢印を×印で消したその横に、
川クマ←羽クマ
と、方向を反対にした矢印を書いたんだね。
なるほど。
川村くんが羽月さんを好き。
……では無くて、羽月さんが川村くんを好き、というパターンだ。
でも、それで何が変わるんだろう?
◇ ◆
(今日の川村くんは……きっと放課後つかまっていたんだ)
熊沢さんが、心の中で呟いた。
なるほど。
授業で当てられることよりも、ヘマをすれば放課後も捕まる。
これが井沢くんには問題だったんだ。
もし川村くんが、羽月さんを好きだった場合、今日の授業で捕まっても問題は無い。
だけど羽月さんが――そう例えば、今日の放課後に川村くんを呼び出していたら?
これがポシャったら、結構微妙だよね。
それも肝心な時にやらかして、居残りだもの。
理屈だけなら先延ばしが出来るのかも知れないけど――ちょっと難しそうだ。
川クマと羽クマの間に書かれた矢印の方向はこれで間違いないね。
だからこそ川村くんは、今日一日ぼーっとしてたんだ。
クラスの可愛い子からの呼び出しだもの。
時々、視線が触れあったりもしてたんじゃないのかな?
それでヘマしたら――泣くに泣けないよね。
井沢くんはそれを見かねて、自分の放課後を犠牲にしたんだ。
うん。これなら随分、上手く説明出来ているような気がするよ。
――でも、おかしいよね。
いくら井沢くんでも、察しが良すぎるね。
羽月さんが川村くんを呼び出したのが今日だなんて、どうしてわかったんだろう?
もちろん川村くんの様子を見ていれば「今日、何かあるな」ぐらいはわかるかも知れない。
でもそれは、川村くんを井沢くんが注目していたら、だ。
あぁ、これはいけない。
熊沢さんの目が据わり始めたぞ。
さっきみたいに“殺す”の目では無いけれど、これはこれで危険な目だ!
だけど、そうやって考え込む内に、
(あ! こんなことに気付かないなんて……)
、熊沢さんは気付くことが出来たよ。
井沢くんが、羽月さんにも反応していた事を。
さっきはまるで冷静じゃなかったからね。
川村くんの反応だけで井沢くんが行動しているのなら、羽月さんに反応出来るはずがない。
つまり井沢くんは、先に羽月さんの動きに気付いていたんだ。
ここで先ほどのように、熊沢さんの目が――よかった随分と真剣だよ。
それどころか――
“推理”することに熱中し始めたようだ。
しばらくそのまま、じっとしていた熊沢さん。
そして目を閉じた。
授業を続ける細田先生の声が聞こえてるけど、それも気にした様子はない。
しかし実際のところ、こうしている時の熊沢さんは本当に美しいと思うよ。
となりの井沢くんも、目を閉じたままの熊沢さんを気にしているじゃないか。
そうして1分ほど経った後、熊沢さんは目を開いた。
あんまり集中しているものだから、せっかく井沢くんが見ているのにも気付いていない。
井沢くんは、すぐに視線を元に戻してしまったしね。
まったく残念――おや、いきなり何か描き始めたね。
これは……井クマだね。
ただそれだけじゃない。胸に名札みたいなものが描き込まれている。
その名札には――
――『日直』
と、あるね。
◇◆
そうか。
黒板を確認するまでもなく、今日の日直は井沢くん。
こういう見かけだけど井沢くんは、真面目な人だ。
実際、熊沢さんのように五分前行動してるしね。
だから彼は、当たり前に朝早くに登校したのだろう。
――そして、ラブレターを川村くんの下駄箱に入れようとしている羽月さんを目撃した。
熊沢さんは、そんな光景をクォータービューで描き始めた。
……言っちゃあなんだが、上手すぎないかい?
熊沢さんは続いて、井クマに手を加え始める。
これは何だろう?
日直の井クマがぺたんと座り、その足に靴を履かせている。
これはよくわからないな……おや、もう一匹出てきたぞ。
何故かジャージを着込んだクマで――これはもしかすると細田先生?
……そうか。
この靴は体育館シューズなんだ。
もちろん、それを校内で使っているのを先生に見られたら怒られる。
生活指導担当の細田先生に見つかったらなおのこと。
でも、井沢くんはスリッパに履き替えることが出来なかったんだ。
だって、靴箱の周りには羽月さんがいたから。
ラブレターのことを、羽月さんは誰にも知られたくない――川村くん以外には。
井沢くんは、当然のことかも知れないけど、そう考えたんだね。
そして、それだけに留まらず実行した――ラブレターのことを知らない“ふり”を。徹底的に。
羽月さんが、井沢くんに見られたかも、と不安にさせるのも問題があると考えた。
だからスリッパを無くしたことにした。
そうすれば、体育館シューズを履いていても仕方なくなる。
靴箱に行くことが出来なかった、という本当の理由を覆うことが出来る。
そうやって苦労していたら、肝心の川村くんが今日はフワフワしっぱなし。
仕方の無いことだけどね。
だけどリーダー授業に潜む危険な罠に、さっぱり気付いた様子がない。
そこで井沢くんは――
――自ら厄介ごとを引き受けたんだ。
細田先生に体育館シューズで怒られたことも利用してね。
熊沢さんのシャーペンが止まる。
描かれているのは、川クマ&羽クマの仲睦まじい様子を満足げに見ている井クマだった。
熊沢さんも満足げに、ニッコリと笑みを浮かべた。
――そして、ゆっくりとノートのページをめくる。
◇ ◆
(今日の“妄想”も良かった)
今まで、熊沢さんがしっかり推理していたように見えるね。
けれど、熊沢さんは決して自分から“推理”とは言わない。
なぜなら――
井沢くんが何も言わないから。
井沢くんが自分のしていることを隠そうとしているから。
だから熊沢さんも何も言わない。
悔しく思う事もあるけれど、そこは我慢。
――“推理”って、結局、最後に発表しなければ、絶対“推理”にならないから。
いつか熊沢さんはそんなことを言ったね。
だから今日も熊沢さんは“推理”をしまい込む。
ただ一人、井沢くんの活躍を“妄想”して――頬を染めるだけ。
ほら、今も教科書に隠して、熊沢さんが何かを呟いたぞ。
さっきよりもずっと頬を真っ赤に染めて。
だから、こう言うしかないんだ。
――熊沢さんは推理をしない。
とね。
というわけで終わりです。
感想、評価お待ちしてます。
あと、実際スマホで見やすかったか? というのが知りたいところ。
お時間のある方、よろしくお願いします。