第二話
僕はアパートを出てから、明るい道を避け、庭から庭へを塀を飛び越えて、進んだ。
四軒目で見つけた。窓が割れた家をだ。カーテンで仕切られているが、窓ガラスが割れている。
割れた窓の窓枠のガラスの破片は血で染まっている。きっと割った窓のガラス処理をせずに、無理やり飛び越えたのだろう。そんな無茶をするのは、ゾンビに決まっている!
僕は、すぐに窓から家に侵入する事はせずに、家をぐるっと回り様子を見た。
窓が壊れているのは一箇所だけ。そして、血痕が庭側には無く、玄関ドアの前にも無い。
つまり入ったゾンビは、外に出ていないと考える事が出来る。
僕は、割れた窓まで戻り、ガラスの破片で自分を切らないように家の中にゆっくり滑り込んだ。
迂闊だった。
割れた窓にもカーテンが閉じられていたので、カーテンと体が接触する音だけは隠せ無かった。
入った部屋はリビングだったが、すぐに奥のリビングからスーツを着た青年社会人ゾンビが現れた。足をガラスで切ったような跡と首を噛まれた後が目につく。
同時に僕は動いていた。
手を真っ直ぐに伸ばし、キョンシーのように飛びかかってきたゾンビに対し、僕は中腰姿勢から横をすり抜けつつ、心臓にジャックを突き立てていた。
引き抜く事ができるナイフごと持っていかれたが、社会人ゾンビは、ゆっくりとこちらに向きなおすと、血が胸から溢れだし、口からもゴボゴボと血を吹き出し、ぶっ倒れた。
やったのか...
今のは危なかった。動きもかなり早く力もあったのだ。やはり奇襲で倒さなければ、負けれる。もし、今のが二体居たらと考えると肝が冷えた気がした。
二体居たら?
そう思い社会人ゾンビの口元を見る。
口元は、赤くない。つまり誰も噛んでいないのだ。
更に、周囲の音に神経を集中するが特に何も聞こえない。
僕はジャックを社会人ゾンビの胸から無理やり抜いた。血が吹き出し、一瞬反射なのかびくんと動いたが起き上がることはなかった。額に、十字を刻印する事を忘れない。
次に僕がやったことは、玄関の確認だ。
玄関が閉まってるのは見ての通りだが…
ガチッっとノブを回すが戸は開かない。
見ると外鍵と内鍵ともに絞まっている。
つまり、中に人がいるのだ。
床を見ると、女用のシューズが二足脱ぎ捨てられたように散乱している。
慌てて家の中に入ったのだ。そういう時は、土足で上がれば良いのにと思う。
現に僕は、今も土足のままお邪魔しているわけだし。
人か… 人とは接触するつもりはなかった。
面倒なことになるだけな気がしていたからだ。
『おーい、ゾンビはやっつけたぞ。出てこーい!』
と呼びかけるのは失策だろうと思い留まる。
二階だな… 階段を上がると二階には、手前と奥に二部屋あった。
奥の部屋の前にツカツカと歩き、ドアノブを軽く回そうとするが回らない。
つまりそういうことだ。
部屋をトントンと優しくノックしてから語りかける。
『下のやつは倒したぞ。冷蔵庫から何か取ってくるなら今だからな。』
それだけ言って、階段をまた音もなく降りていく事にした。
ドアから出ると鍵が掛けられないため、又割れた窓から出ようとに手をかけた時、二階からガチッとドアが空いた音が聞こえた。
『誰?』
とだけ二階から辛うじて聞こえたのは、女の声だ。
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お礼にと運ばれてきたお茶を飲みながら、僕は遥と二階の遥の部屋で小声で話した。
女の名前は上杉遥。家政科に通う短大学生だ。所謂花嫁修業中といったところか。
僕のボロアパートがあるような寂れた町内にしてはかなり立派な家だ。何より庭が中々に広い。
150坪はあるんじゃだろうか。そこそこのお嬢さんという事だ。
今日の経緯としては、大学からの帰宅途中で、スマホの緊急外出禁止令に忠実に従い、自宅に籠っていたそうだ。冷蔵庫に物を取りに行った後、窓が割れる音がしてから部屋でビクビクしていたらしい。
遥は、一言で言えば、ロングの適度に肉付きのいい女だった。白いブラウスの上から大きな胸が十分に伺えた。顔も可愛いとも綺麗とも言える。率直に美人である事は間違いない。
話をしているだけにも関わらず、部屋で美女を身近に感じ、僕自身は、パンツの中で窮屈そうにしていた。ああ、血を見ると性欲が高まると言うな…
遥は、ペラペラとよく喋った。
時折声が大きくなるのを制しつつ、僕は彼女の話を聞いていた…
途中から僕の目線は、崩して座る太ももや時折ちらつかされる胸元に向けられてしまう中でだ。
『準君、優しいのね』
遥は、しばらく続いた他愛ない話を唐突に区切ってそういった。
『優しい?僕が?』
『そう、準君が』
遥は、潤んだ目を僕に向け、まじまじと見つめながら言う。
『どこが?』
『色々。』
そういうと遥は、少し体を前に傾けて、紅茶をティースプーンでぐるぐる回す。今まで一番で胸元の谷間が強調される。そのままの姿勢で、下から目線で、悩ましい唇が動く。
『ねえ、準君、私を守って?
私、準君その事も嫌いじゃなさそうなの。
準君の困った事にも、応じられそう。』
そういって、遥は一番上のボタンを外していった...
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遥は、一言で言えば、天国だった。
僕は、僕を卒業した。
たった1日で、僕は疑似殺人とセックスを経験したわけだ。
戦場に赴く兵士に慰安婦が連行されていた理由が分かった気がする。
時計を見ると、午前3時。
隣には、裸の遥の顔があった。
遥の目は、パッチリと開いていて、目が合う。
『おはよう、準君』
『おはよう、遥』
窓を開けて、外にゆっくりと顔を出す。
外は、驚くほど静まっていた。
車の走る音もなく、ただ静寂。
街路の電灯は消えていた。
逃げる側の人間が逃げやすくするためだろう。
『準君、凄いね。こんな時でも、寝れるんだね。まだ高校生二年生なのに。』
『音で起きれる自信があるんだ。でも、しっかり休まないと一旦寝た時に、眠りが深くなりすぎて逆に危ない。』
『ふふ、変な人ね。こんなことにならないと役に立たないことを考えて、今まで生きてきたの?』くすっと笑顔で、遥は言う。
『俺のやって来たことは全てそうなんじゃないかと思うんだ。
だから、この時のために僕は存在している。遥のように生きる者とゾンビの中の人のためにも、ゾンビを殺すよ。』
『私のためと言ってくれるのは嬉しいけど、ゾンビになった人のためにもって言うのは何?』
俺は、窓から街灯が消えていつに無く星が多く見える空を眺めながら言った。
『Killing is saving。殺す事は救う事。』
はっとした表情を遥は浮かべて、少し悲しい表情を見せた。
『そう、準君は、優しいのね。』
『俺が?優しい?』
『見ず知らずのゾンビになった人をこれからも回って殺すのでしょう?そんなことをしなくても、自分や大切な人だけを守ればいいって普通考えるわ』
『自分を守る?そんな事は考えた事も無かった。でも、そういうものなのかもしれない。
自分は兎も角、遥は、俺が守るよ。そしてそれは、救済よりも優先する。約束だ。』
俺はナイフを出して、自分の手を十字に切った。
『このナイフをもう十年使ってきたけど』
『こいつで、自分を切ったのは初めてなんだ。』
呆然とする遥を見て、俺は続ける。
『ごめん、おかしいよね。手を切って約束するなんて。』
『ううん。』
遥は、首を横に振りながら、言葉を続けた。
『私こそ、どうかしてるのかな?』
『どうかしてるって?』
『準君が自分の手を傷つけるのを見てね...』
『凄く濡れちゃったの...』
『…』
僕は、赤面している遥を強く抱きしめて言った。
『人生初めての言葉を、今日会ったばかりの人に言うことじゃないかも知れないけど、喉まででかかってる言葉があるんだ』
『君を愛してる』
僕らは、歪んでいる。お互い歪んでいるから一つになれるんだ。