173 猫は空気なんて読まない
さて、キッチンハウスで朝食の準備だ。
と言ってもそんなに凝ったものを作るつもりはない。昨夜の残りの、本当は不寝番の人用に作っておいた野菜スープに具材とお湯を足して嵩増しして、そこに洗ったお米を投入して煮込んで雑炊にする。
本当は他に何か副菜も用意したいところだけど……うーん、招かれざるお客がいるからなあ。
いや、別に食べさせないっていう選択もないわけではないんだけど、流石に良心の呵責がね……。
味見してみるとちょっと塩味が薄い感じがするので塩を追加してぐるぐるとかき混ぜているとリリーさんがやってきた。ぱっと見、既に洗顔とかも済ませたようだ。
「おはようございます……和解したんですか?」
「おはようございます。和解というか、謝罪は受けました。それに彼女の態度に色々と問題があったのは別の人が原因なので、反省して今後の態度を改めてくれるなら彼女自身に対しては特には……なので、別にいいかなーと」
「なるほど、そうだったんですね……えっと、その辺りの話は……ああ、いいです。そういう凄い顔してる人に説明させようとは思いませんので、後であの人に聞いてみます」
「そうしてください」
またしても顔芸してしまっていたようだ。でも本当に迷惑極まりなかったからさあ……。と、こんなもんかね。
「あ、出来ました? 鍋は私が持って行きますよ」
「それじゃお願いします」
キッチンハウスから出て焚火の方へ移動。
すると何やらアリサさんがしかめっ面でテスの話を聞いているようだった。
「あー、おはよー」
「おはようございます……なんです、その顔」
「いやー、ちょっとこの人の話を聞いてて……なんていうか、酷いね!」
「……ソウデスネ」
あぁ……ニールの話でも聞いてたのかな。
「レンさん大変だったねー、よく頑張ったよー」
「ハハハ……」
思い出しても乾いた笑いしか出てこないよ、本当に。
「本当に申し訳ないです……」
「あ、謝罪はもう受け取ったので、もうこれ以上貴女が謝る事はないですよ」
「そうは言いますけど……」
「この話はもうここまでにしましょう! それより朝ご飯にしましょう、もうお腹ペコペコです」
「あ、はい? って、えっと……あの、私は……」
「貴女の分もありますので、どうぞ」
雑炊をお椀によそって差し出す。
「え、いいんですか?」
「あー、もうそういうのいいので。はい」
「すみません、ありがとうございます」
ええい、問答やってる場合じゃないんだよ! もう本当にお腹が空いてるんだよ、こっちは! さっさとご飯を食べさせろ!
という訳でようやく食事開始である。
食べ始めるとすぐにアリサさんがテスから聞いた話を小声でリリーさんに説明しだした。内容はぶっちゃけニールの所業に関して。
……改めて横で話を聞いてみても、本当に酷いな!
「あー……そういえば居ましたね、宿の前で出待ちしてた人。そっか、あの時の……」
「私もさっき話を聞いて色々思い出したよー」
そんな感想を漏らすリリーさんとアリサさん。その反応を見て目を泳がせているテス。私は虚無の顔で黙々とご飯を食べる。そんな私の横でクロは眠そうに頭をゆらゆらさせながらご飯をもぐもぐ。
あー、良い出汁が出てて美味しいなー、もぐもぐ。
多めに作った雑炊を綺麗さっぱり食べつくし、食後である。洗い物も済ませ、さて、これからどうするか。
いつもならもうとっくに移動し始めてる時間なんだけど、なんだか今日はもう既に移動する感じでもなくなっていたりする。主にテスの処遇をどうするのかとかまだ未定だし、なんとなく話し合いの雰囲気というか……。
食後の麦茶をちびちびやりつつ、みんながみんなチラチラとお互いの出方を窺っていると、ノルンとベルが小走りに帰ってきた。そうそう、私が朝食の準備を始めようとした時、朝食を獲ってくるって狩りに行ってたんだよね。
あれ、ノルンが口になにか咥えてる? いや、でも既にご飯は食べたっぽい感じだし……拾い物かなにか? ……確認すると、テスが落として無くしてしまったという野営道具などを含めた大荷物だった。
ご飯のついでにちょっと探してきてくれたらしい。流石ノルンだ。
なおこの荷物を【アイテムボックス】に仕舞わないで口に咥えて持ってきたのは、知らない人の前で【アイテムボックス】を使わない方がよさそうだと判断したからっぽい。賢すぎる……!
そしてテスの方だけど、リリーさんの予想通りに魔物に襲われて命からがら逃げ延びたところだったそうだ。
テス曰くオーク三匹の集団だったとの事。ノルンに確認したところ、テスの荷物はそのオーク達が持っていたらしい。ついでにその三匹のオーク達はノルン達の朝食になったそうです、南無南無。
無くした筈の野営道具も手元に返ってきたし、これはテスとはここでおさらばかな? という雰囲気が漂い始めた。リリーさんとチラリとアイコンタクト。それを受け、小さく頷くリリーさん。
こういうパーティーの方針を伝えるのはリーダーのリリーさんのお仕事だ。
と、リリーさんが口を開こうとしたその時、寝ぼけ気味のクロがリリーさんよりも先にテスに聞いてしまった。
「なんで独りであんな所にいたの?」
純粋に疑問に思って聞いただけっていうのがよくわかる表情、だけどこのタイミングでそれを聞くのは不味い! 非常に不味い! 下手に事情を聞いたりしたら別れづらくなるでしょ!
あああ……思わず何とも言いがたい表情になる私。横目で見ると、こめかみに指を当てて頭が痛いというような表情のリリーさんとしかめっ面のアリサさん。……これはクロは後でリリーさんからのお説教確定だな。
そうして語られ始めるテスの事情。
「実は……」
……端的に言うと、ベクターさんから戦力外通知を受けてしまったらしい。
とは言っても正確には即パーティーから解雇という訳ではなく、かなり厳しめの警告だったという。実は以前からそれらしい苦言は何度か呈されてたとかなんとか……。いや、その時点で努力しなさいよ。え? 一応してたの? ……ふーん。
っていうかベクターさん、あんな人の好さそうなイケメン面してても言うべき事はちゃんと言う人だったんだなぁ。もっと甘い人かと思ってた。
……まあ私にはそれが逆に腹黒く見えてたんだけど。ああ、でもよく考えると王族だし、逆にそういうところはしっかりしていると言う事か。
曰く『このままだとかなり厳しい。これから先はより強い魔物と戦う機会も増えてくるだろうし、下手をすれば命に係わる』とかなんとか。
色々と言いにくそうにしながらも、その辺りの事情を説明するテス。
実はベクターさんはとある高位貴族の子息で、元々冒険者稼業は自分が領地を継いでからの有能な人材集めを目的としていたという事。
比較的ニール達と行動を共にする事が多かったけれど、実際は自身がリーダーを務めるクランのクランマスターだったという事。
そしてベクターさんはニールに剣の才能を見出し、一年ほど前から自分の部下にと勧誘していたらしい。その流れでニール達のパーティーの強化の為に、自分のクランから新たなパーティーメンバーを連れてきたりもしていたという。ちなみにその新メンバーは既にベクターさんの下で働く事が決まっていたとの事。
……実はベクターさんは王族だった、というのは秘匿案件だろうから貴族の子息って事にして濁した感じかな。
しかしあのニールを勧誘……まあ性格や私へのストーカー行為などは兎も角、去年の剣術大会での試合を見た限りではそれなりの腕前には見えたし、そういう事もあるんだろう。
そしてニールへの勧誘が始まってしばらくたった頃から、ベクターさんはテスとコリーに対して冒険者として上を目指すならもっと頑張った方がいい、と助言をするようになったという。
恐らくその頃にはもう自分達に対して見切りをつけ始めていたのではないか、とはテスの弁だ。
それでもいきなり厳しい事を言わず、自ら努力をするようにと話を向けてきたのは多分、仲間に対しての情だろう。
そんなベクターさんからの苦言と言うか助言と言うか、そんな感じの声掛けに思うところがあったテスは、自分なりに色々考えて試してはみたらしい。
とは言え学も何もない開拓村出身の彼女としては努力とは言っても何をどうしていいのかさっぱりわからない。何をするにも空回りばかりで、碌に身につく事は無かったそうだ。
……ああ、現代日本で教育を受けてた身としてはあまり理解できないけど、そもそも『長く教育を受けてきて』『学習する事に慣れてる』自分とは感覚や考え方、発想に至るまで何もかも違うんだな。
そっか、そう考えるとベクターさんも王族という生まれだし、教育水準や環境等、この世界ではほぼ最高峰の物に囲まれてきた人だ。真面目そうでもあったし、当人の学習意欲も高かった事だろう……そんな彼にとっては努力の仕方が分からないというテスの感覚は理解できないものに違いない。
一応魔法に関してはだけど、聞けばベクターさんは答えてくれてはいたらしい。とは言えその解答は人に教える事に慣れた人の物ではなく、努力する事に慣れている人の物だったようだ。
うーん、色々と悪い方向で酷い齟齬とすれ違いが発生してないか、コレ……?
そんな微妙な状況ではあったものの、どうやら向上心がかなり強かったらしいテスは微妙な努力を積み重ね、それなりに能力は伸ばしていったようだ。
とはいえそれは、ベクターさんが満足する水準ではなかったようで、遂には戦力外通知に至ってしまった、と。
それを受けてテスは流石に危機感がいや増したのか、ニールやコリーとも色々話をしたりもしたらしい。
テスとしては将来的にはニールと結婚するつもりでいて、ニール自身の反応もそう悪いものではなかったものの、それはあくまで将来的な希望であって今すぐという事は全くなく、彼女自身は冒険者としてもっと成功を収めてからと考えていた。
ところがニールはそうではなかったようで、自分がベクターさんの部下として働くなら収入は安定するだろうし、そう遠くない時期に結婚するのも悪くないのではないかと考えていたらしい。
この辺りの将来設計への意見の相違で、ニールとは結構派手に言い合いの喧嘩になったようだ。ちなみにまだ和解はしてないらしい。
……意外だけどニール、テスに対して責任は取るつもりがあったんだな……。でもそんな人が何でストーカー行為なんて……いや、深く考えないでおこう。
ニールとの口論の後、テスはコリーと話をしに行った。ところがそっちの方も結果は散々だった。
なんとコリーは冒険者を廃業しても故郷に帰るつもりはまったくなく、恐ろしい事にニールに面倒を見させるつもりでいたらしい。
曰く、バカ弟に付き合ってなりたくもない冒険者になってやったんだから、その道がダメになったなら責任を取って面倒を見るのは当たり前、だそうだ。
これには流石にコリーの事を親友だと思っていたテスも絶句、即座に引き返してニールにその事を告げた。当然の事ながらニールとコリーの間で大喧嘩勃発。
そもそもコリーは嫌がるニールに無理矢理ついて来て、自分で勝手に冒険者になったのだ。その後にパーティを組んで活動していた事だって、ニールの意思を無視して勝手にパーティー登録していたというのだからコリーのアレっぷりは推して知るべし。大体にしてニールにはコリーに対して取るべき責任なんて欠片も有りはしないのだ。
だがテスにとって最も許せなかったのは、コリーがテスの事を自分の同類だと思っていた事だった。つまりコリーは、テスも一緒にニールに寄生して楽に生きる道を選ぶと思っていたのだ。
先述したように、実際は向上心のあったテスにとってこれは到底許せることではなく、その場で絶交を叩きつけて部屋を飛び出したそうだ。親友だと思っていたからこそ、彼女にとっては絶対に許せなかったのだろう。
その後はベクターさんの下へ行き、自分は己を高める為にしばらく別行動する旨を告げ、翌日にはパーティーで滞在していた街を飛び出したという。
そうして一人で活動するようになってからは小さい町や村を転々として、ソロ冒険者でも出来る依頼を細々と続けていたらしい。時には臨時でパーティーを組んだりもしていたとかなんとか?
そんな感じで活動を続けていた時、薬の素材採取の依頼を受けて遠出していた帰りにオーク達に襲われ、大荷物を放り出して逃げ延びた、という話だった。
そんなテスの自分語りが終わり、何とも言えない静寂が辺りを支配する。
なんというか……人には人の事情があるんだなーって感じ? テスの視点だと巻き込まれた被害者感がなかなか凄い。
彼女から見たニールは一つ年下の、親友の弟で、村にいた頃はなんとなく悪くはないかな、と思っていた程度の相手だったようだ。ニールと一緒に街に出て冒険者になった事も、実際にはコリーに無理矢理誘われて仕方なしについて行っただけだったらしい。
とは言えド田舎の開拓村に住む年相応の子供にとっての冒険者というのは、吟遊詩人の弾き語りを聞いたりすることで或る種の憧れを抱く職業である事は事実で、思春期の少年少女達にとってはその憧れの職業に就けるというのはとても魅力的に映るものだったのではないだろうか。
冒険者になった後は一緒に活動するニールを見て見直したりとかなんやかんやあって、いつの間にか好意を持つに至って、コリーの後押しもあって押しに押して恋人関係になり……まあ、その後も色々あったりなかったりして今に至る、と。
でも喧嘩別れしたままなんだよなあ……ここまで話を聞いていた限りでは、テスは実際にはそんなに悪い子じゃなかったっぽいし、ニールなんかとは別れてもっといい相手を見つけた方がいいのでは……? なんて考えていた。
そんな詮無い事をつらつらと考えていると、テスが再び口を開いた。
「それで私、朝からずっと考えていたんです……私の病気を治した薬を作ってくれたのって、レンさんですよね? じゃあ、この野営の為の色んなものを作ったのも、レンさんなんじゃないかなって」
あー、なんだか嫌な予感がしてきた。
「私、もっと強くなりたい……ううん、自分を高めたい! 本当は私、冒険者としての魔術師よりも錬金術師としての自分を高めたいんです! だから!」
あー……これ、アカンやつだ。次に出て来る台詞、あれでしょ? お決まりの奴。
「私の事、弟子にしてください! お願いします!」
ほらね? だけどうん、普通にいやですけど。
「いやですけど」
「えっ」
「えっ」
「……」
「……」
「……だっ!」
だ?
「だ、駄目ですか……?」
「駄目っていうか、いやですけど」
「えええ……」
……え? むしろなんで弟子にしてもらえると思ったの?
 






































