兄タクロース
兄がその妙な楽器を持って帰ってきたのは、1月の終わり。都会で接客業をしている兄の、遅めの正月。まだ寒い冬の日のことだった。白い息のかかった顔が白く白く映る。
真ん中に穴の空いた木製弦楽器。ギターのようで、それにしてはサイズが小さい。全長はちょうど片腕分くらいか。ウクレレという楽器らしい。手に持った感じになんとも云えない心許なさを感じた。
「何これ軽」
利き手一本で軽々と持ち上がる。まるでお伽話に出てくる妖精が作ったと言っても通用しそうなくらいに。
最も、これを片手でひょいと持ち上げるような私には似合わない。
身長はそれほど高くないにしても、生まれ持ったがさつさが滲み出ている。例えば足の組み方とか言葉使いとか、そういう生活に染み付いたこと。髪だけは伸ばして2つに括っても、そう簡単に女の子らしくはさせてくれない。
難しいよなあ。
ぷらんとぶら下がったウクレレが華奢で可憐なあの子を連想させた。
「もっと丁寧に扱ってくれよ」
そう言って兄は私の手からその妙な楽器をすくい取る。神妙な手つきでウクレレを愛でる兄はちょっと気持ち悪い。愛でるのが楽器じゃなかったら通報しようかと思った。
「チッ…… 」
いっそ楽器振り回したろか。
「今なんか言ったか? 芽衣」
「別に。つか、芽衣って呼ぶな」
その妙な楽器を奪い返して、勝手気ままに鳴らしてみる。弾いたことも、生で見たこともないギターに想いを馳せて。初めて弾いたその妙な楽器は、何とも不思議な音で響いた。
それから数日。学校から帰ってきたばかりの私に、兄はウクレレを弾いては感想を求めに来た。
うろ覚えの英単語で唄うブルース。ブルースならギターで弾けばいいものを、わざわざその貰いものに固執して。淡い桜色のカラーリングが、またそれに不似合いな下手くそ極まりない音を立てる。
ペイントは兄が自分で施したものらしかった。本人曰わく、今流行りのピンク男子らしい。主張の少ない、いかにも優しそうな風合い。空気に溶け込んでは消える儚い色。
チャラくて流行ばかりを追いかけるバカ兄は、私よりもずっとその色を近くに手繰り寄せているような気がする。
華奢で可憐なあの子のような。
「バッカじゃないの」
「うん」
「ピンクなんて似合わないし」
「そうだな」
「……へたくそ」
「はは」
生暖かい返事しかしない能天気な兄のウクレレを奪い取って、ピンクの塗装に爪をたてる。あ、はがれそう。はがれてしまえばいい。そしたら私が代わりに、……一体何を塗るというんだろう。芽衣のささくれた指先と似た、はがれかけたウクレレの端を横目で眺める。兄はやっぱり困った顔で私がウクレレを手放すのを待っている。
「そうだ芽衣。今年も遅くなったけど、お年玉」
「いらない」
「そうか」
兄のジーパンの後ろのポケットがくしゃりと歪んだのが見えた。白い顔にえくぼが深く濃くなる。それでも兄は何も言わない。
毎年恥をしのんで可愛いポチ袋に入れてくれているのを知っている。1日に1回はお年玉の話をして、それで結局受け取らないとサンタさんみたいに枕元に置いて帰ってしまうのだ。それを知っていて、私は何も言わない。だってだってすごくむごい。
どんなに汚い言葉で罵っても黙って許してくれるような優しさは、むごい。自分がどれだけ嫌な人間なのか、まるで判別させてくれないから。こんな自分、いっそ嫌われて欲しいのに。怒鳴りつけて叱って欲しいのに。甘えたくないのに。
「悪かったって。芽衣」
いつも先に謝られていまう。
眉毛を八の字に歪ませて困ったような笑ったような顔をされたら、もう何も言えない。また兄のえくぼが深くなる。
10近く離れた年の差がそうさせるのか、芽衣が俗に言う反抗期であるのか。兄はどこまでも大人だった。芽衣なんて可愛い名前、私には似合わない。
「芽衣って呼ぶな、バカ」
嗚呼。明日にはまた一人暮らしをするあの家に、兄は帰ってしまうのに。この可愛い可愛い名前の名付け親は、今目の前にいる兄だというのに。また兄はサンタさんのように優しい優しい、おとぎ話であり続ける気だ。いつまでも子供扱いしないで。置いて行かないで。
「……泣くなよ、芽衣」
兄の優しい困ったような声が、また私の心を尖らせた。
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