君の言葉は いつだって
「習慣っていうのは、とても大事だよね」
ゼェゼェと息を切らしている僕に、上から黒の声が降ってきた。
「毎日のサイクルに組み込んでしまえばいいんだよ。もちろん言われて出来るようなら三日坊主なんて言葉は存在しないからね、ここをいかにして続けるかといったところなんだけど」
僕は極力黒の言葉に耳を貸さないように、ひたすら腕の伸縮運動を繰り返していた。いわゆる、腕立て伏せである。
「やらないと気持ちが悪いと思い始めたら、しめたもんだよ。もうそれは、日常の一部だ」
31…32…33…
「一番大事なのは相性なんだけどね」
ひたすら自重を持ち上げる作業に没頭する僕に、黒は勝手に話し続ける。
「イカスモノからの力の供給の事さ。力の増幅率についてはパートナーとの相性が一番大事ではあるんだけど、自身の元々持っている力も重要なファクターになってくるんだ。だから平次君、君自身もトレーニングを怠ったらだめなんだぜ。それがんばれがんばれ!」
黒の応援は残念ながら僕の力を底上げするには至らなかったらしく、35を数えたところで僕は縮めた腕を伸ばすことができなくなってしまった。
仰向けになって天井を見上げ、早くも痙攣を始めた腕の筋肉をさする。
「あぁっ、ちょっとへーじ君、もう少し頑張ってもらわないと困るなあ」
黒がパイプ椅子から立ち上がってこちらにやって来た。
「35回って、私たちの組織の中でぶっちぎりで最下位だよー。もうちょっと頑張ってもらわないとね」
「27…28…」
25回を越えた辺りから、僕の腕は急に重さを感じ始める。自分の体重が倍にもなったような気がする。
「32…33…」
昼休みの屋上。柔らかな日差しの下、ひたすら腕立て伏せをしていた。
黒の言うことに従うのは少し気分が悪かったけど、あのように言われてはやらないわけにはいかない。
自らの怠慢のせいでコロスモノに殺されてしまっては、後悔してもしきれないだろう。
「37…38…」
わざわざ屋上で直射日光を浴びながらやることもないと思うのだが、教室でやるわけにもいかない。
いきなり腕立て伏せを始めたら、奇異の目で見られることは確実だろう。遠巻きにヒソヒソ話をするクラスメイトが容易に想像できる。或いは、僕のことなんて誰も気に止めないかもしれない。それはそれで、余り出会いたくない光景だ。
かと言って、球技で遊ぶ者たちで賑わっている体育館でひとり腕立て伏せをするのも憚られた。
場所を考えていると、自然と屋上に足が向いたのだ。
「40!」
回数のカウントを終えると、僕はまた大の字になって倒れた。
4月の終わり。過ごしやすい陽気ではあるものの、汗が頬を伝った。
タオル…持ってくればよかったな…
息を切らしながらそんなことを思っていると、
「ほらよ、平次くん」
聞きなれた声とともに、顔に何かが覆いかぶさってきて視界を塞がれた。
同時に、清潔な香りが鼻をくすぐる。
「…シイタケ?ありがと」
声の主に礼を言うと、僕はタオルで汗を拭った。
「一体どうしたって言うんだ、らしくないぜ平次くん」
「らしくない?」
仰向けになったまま呼吸を整えながら、僕は尋ねる。
「だって、平次くんが一生懸命何かをするなんて事、18年間の人生の中で初めてのことだろう?」
「…」
この前の話の続きだった。幾分かの憐れみを言葉尻に含ませながら、シイタケは言った。
「まぁ、平次くんは俺より弱いからなあ。少しは筋肉つけたほうがいいぜ」
「あのな…いくら僕だって、さすがに女の子よりは力は強いと思うぞ」
「ほほう。では試してみようか?」
言うが早いか、シイタケは未だ仰向けで倒れていた僕に馬乗りになると、両手を押さえつけて押し倒した。
「っ!」
「どうだい平次くん、動けないだろ?女子に組み敷かれて身動きとれない気分はいかが?」
シイタケの言う通りだった。どれだけ力を入れても、はねのける事ができない。力が分散されてしまっているような感覚だった。
「さて、どうしてくれようか。にへへ」
太陽を背負ったシイタケの表情は逆光でよく見えなかったが、薄っすらと笑っているように見えた。
徐々にシイタケの顔が、息遣いも感じられそうな程の距離まで近づいてくる。
「お、おいっ!」
「くさい」
「…え?」
いつだってシイタケの言葉は、的確に僕を抉ってくる。
もちろん超至近距離でシイタケの口から発せられた言葉も、ご多分に漏れず。
「くさい。なんかくさいぞ、平次くん。ちゃんと風呂入ってるか?」
「は、入ってるよ。え、僕そんなに臭う?」
思わず自分の匂いを確認してしまう。
「体臭ってのもマナーだぜ、平次くん。ちゃんと自己管理しないと」
シイタケはそれだけ言うと、びっくりするぐらいあっさりと行ってしまった。
なんだろう。
風呂に関しては、きちんと毎日入っている。腕立て伏せをしていたから、汗臭かったんだろうか。
教室に戻る前に、汗の処理をして行ったほうがいいかもしれない。
自分の体が発する臭いは気づきにくいだろうから。
「でもその前に…」
昼休みの終わりには、まだ少し時間がある。
僕は再びうつ伏せになり、腕立て伏せを始めた。
「5…6…7…」
女の子に押さえつけられて身動き取れなかったのが多少ショックであったのは、言うまでもない。




