夢
「将来の夢は、空を飛べるようになることです」
一瞬静まり返る教室。徐々に漏れ出すクラスメイトの乾いた笑い声と教師のため息。
「それはすぐにでも叶えられるぞ。週末航空券でも取って、空の旅を存分に楽しんでこい」
「空を飛ぶことが目的ではありません。僕自身が空を飛べるようになる事が夢なんです。そもそもなぜ僕が自力での飛行という夢に至ったかと言うと、」
「あぁ、いい。次の者…」
教師は仕草で着席するよう指示し、僕はそれに従った。
もちろん、本気で空を飛べるようになりたいなどと思ってはいない。空を飛べるようになれるとも思っていない。
空を飛べたら気持ちがいいだろうなと妄想することもたまにはあるが、それは多分個人の努力でどうにかできるレベルの問題ではない。眠っていたもの凄い力が覚醒する的なイベントが発生すれば別だが、そんな事はまぁ、ないと思う。
周囲の反応からも明らかなように、高校3年生に対して出された「将来の夢を発表せよ」といった趣旨の課題に対して、僕の成果物は余りに幼いと言えるだろう。
大体、高校生にもなって将来の夢もなにもないだろうに。
すでに未来は、ある程度確定している。能力別に分けられ、似たような連中と共同生活を営んでいれば自然と思考も似通ってくる。
確固たる道を定めている者はすでに行くべき道を進み始めているし、そうでないものは何となく日々を送っている。
本当のところの僕の将来の夢。
それは、逸脱することだ。
例えば一般常識からの逸脱。例えば、社会通念からの逸脱。
或いは悪魔の頭脳と評された数学者のように。
或いは万能人と称えられる芸術家のように。
「凡人の発想だな、平次くん」
昼休みの屋上。
そんな僕の内に秘めた夢を、シイタケは一笑に付した。
「逸脱ねぇ。そんなこと考えてるあたり、お前ごく普通の高校生だよ」
にこーと笑いながらそう告げられ、僕はそれなりに傷ついた。
「今、ちょっと傷ついたろ?」
シイタケは彼女特有のスマイルを少しも崩さずに断定した。
心の中を見透かされているようで、顔が少し赤くなるのを感じた。
「ぅるっさいな…」
彼女には、僕の逸脱したいという願望も、その願望から来る行動も、すべて見透かされているようだった。
シイタケは僕の目の前まで四つん這いで歩いてきて、瞳を覗き込むようにして追い討ちをかけてくる。
「おいおい、気づいてるのはたぶん俺だけじゃねーぜ。案外クラスの奴らもそんな平次くんの願望に気づいてて、知らないフリをしてるのかもな。わお、それちょっとさすがにいたたまれない。平次くん、ただの中二病こじらせちゃった人みたいに思われてるんだぜ」
「~~~っ!」
息がかかりそうなほどの距離に女子の顔がある気恥かしさと、内面まで覗き込まれているような気恥かしさが相まって、僕は思わず顔を背けた。
うひひひと誂うように笑いながら、シイタケは天を仰いだ。
傷つく事を平気で並び立てるシイタケだったが、僕は彼女の事が嫌いではなかった。
僕の知る限り、彼女は逸脱している人間のイメージに近かった。それは、僕にとってはとても魅力的な個性に見えるのだ。
「俺なんかに言い当てられてるようじゃ、平次の言う逸脱なんてのはできないからせいぜい安心しなよ。そして、それに越したことはないさ」
シイタケは、もっともらしく適当な事を言うのが得意だった。
そしてどうやら、今回もそうだったみたいだ。
ほんの数日後、僕は意外と簡単にも、逸脱してしまったのだから。
それは僕が夢に描いていた逸脱とは、ちょっと違う形だったのだけれども。
初めまして。
お久しぶりです。
よろしくお願いいたします。