第一章 始まりの出会い 廃墟の教会
突然、聞こえてきた風を切り裂くような音に、反射的に身を捻る男。
後を追うように、その音は幾度か発生した。
無意識に腕で受け止めたそれは矢だった。
苦い顔になる男。
すぐさま、腕に刺さった矢を引き抜くと教会の中に逃げ込む。
容赦なく放たれる矢に、さすがに逃げるほかに無い。
息を潜めて辺りを窺う。
どうやら、先ほどの三人は男の油断を誘うための陽動だったようだ。
もちろん、本人たちはそのことを知らないだろう。
もし、そのことを知っていれば、無理をせずに体制を整えるために一度引いていたはず。
無意識に舌打ちが漏れる。
刺客を退けた事による、気の緩みを突かれた。
しかし、今の男に自分の迂闊さを責めている余裕は無い。
幾人の刺客が身を潜めているのか分からない。
呼吸を整え、辺りを窺う。
……三人……いや四人か
再び、巨剣の柄に手を掛ける男。
いつでも引き抜けるように構える。
矢が尽きたのか、剣を手に男の潜む教会に駆け寄る人影が三人。
先ほどの、闇に隠れて虚を突く戦法から一転してあまりにも深慮に欠ける。
おそらくは、三人との戦いを見ていたはずだ。
ならば、男に対して接近戦を挑むなど、愚の骨頂だと言う事が骨身に沁みて分かっているはず。
呼吸が荒くなるのを抑えることが出来ない。
教会内に侵入した刺客は、すぐに男の姿を確認した。
「覚悟しろ」
同時に襲い掛かる三人の男。
今まで感じたことの無い脱力感が全身を支配する。
……おかしい
握り締めた巨剣が、やけに重く感じる。
それでも歯を食い縛り、振り下ろされた三本の刃を受け止める。
その様子を、驚愕の表情で見つめる刺客。
「馬鹿な!」
「即効性のはず」
「に……逃げろ」
それが三人の刺客の最後の言葉となった。
巨剣が、鈍い閃光を伴い駆け抜ける。
続いて後を追うように紅の飛沫が舞い散った。
普段の男にとって、このような一撃など造作も無い。
しかし、今はこの巨剣を支えることが出来ない。
……おかしい
呼吸が荒くなる。視界が狭まり、痺れが全身を襲う。
「お前の負けだキリア」
勝利を確信したような口調が聖堂に響く。
堂々と入り口から現れた人影に、男は苦い顔になった。
「……ファーガン」
窓越しに差し込む月明かりが照らし出す人物は老人だった。
年の頃は六十を幾つか超えたくらいだろう。
薄くなった頭髪は真っ白に染まり、特徴的な大きな鷲鼻。
庶民では一生涯身に着ける事が出来ないだろう、着込んだ高価な黒のローブは特別な地位に老人が付いている事がわかる。
「まさか、執事頭のあんたが出向いてくるとはな」
かすれる視界の中に、たたずむ老人を睨みつける。
「それだけ、お前に生きていてもらっては困るのだ」
吐き捨てるような、容赦の無い言葉だった。
見据える冷たい視線には、殺意以外には何もない。
「今の三人も、最初の三人同様の使い捨ての駒……本当の狙いは先ほどの矢か」
「そうだ。たっぷりと、神経系毒が塗ってある」
最初の三人も後の三人も、男を発汗するほどの運動状態にするためだけに集められたのだろう。
目的は、神経毒の回りを早めるためだ。
もちろん、本人たちはその事も知らないはず。
非情な手段である。
「あの者たちも主人の役にたって死ねたのだ。騎士としてこれほど名誉なことはあるまい」
老人を冷ややかな視線で見つめて、男は嘲笑するような口調で訊ねた。
「ハロックは、元気でいるのかい?」
「……様をつけろ。貴様如きが、主人の御名を気安く呼んでいいものではない」
怒気を孕む強い口調。
「お前はここで終わる。そして、ラティーカ様はこれからも国王陛下の寵愛を受けてレガリオン王国の発展に尽力されるのだ」
そっと、懐に手を差し込み、短刀を取り出すとゆっくりと男に近づく。
「せめて、己の不遇を嘆き、祈りながら死ね」
両手で握り締めた短刀は、迷うことなく男に、その切っ先を突き立てた。
噴出す鮮血。
「?!」
「惜しかったなファーガン」
心臓を狙った短刀は、確かに男の体に突き立っている。
太く、多くの傷が刻まれている左腕に。
「まだ、体を動かすことが出来たのか!」
激しく舌打ちを漏らす。
「ならば、もう一度」
そう言って短刀を抜こうとしたが、浅く突き立った刃がどうしても抜けない。
「そんな、玩具のような剣で俺は殺せない」
血管が浮き出るほどに力の篭もった左腕は、筋肉が硬直して刃を締め付けているのだ。
「ば……馬鹿な!」
激しく狼狽するファーガン。
そして気付いてしまった。
男の右手に巨剣の柄が握り締められていることに。
……ドン
衝突音が聖堂内に響き、うめき声に掻き消された。
最後に残った力を振り絞って、男が巨剣を振るったのだ。
驚愕の表情を貼り付けて、ファーガンは床に倒れこむ。
その光景を、重たくなり始めた瞼を開きながら見つめる男。
ついに、男も地面に蹲り、やがて意識を失った。