第1話 「代役、承ります」
「蘭珠、お願い。今日だけ、私の代わりに行ってきて」
朝餉の粥をよそっていた手を止めたのは、姉の蘭花が真顔でそう言ったからだ。
「行くって、どこに」
「後宮」
匙が茶碗の底に落ちた、乾いた音が響いた。
説明を要約すると、こうだ。三年に一度、国中の年頃の娘から次代の妃を選び出す「選妃の儀」に、姉はよりによって選ばれてしまった。本人の意思などお構いなしに届く召状。断れば一族郎党が不敬の咎めを受ける。そして姉には、幼い頃から想い合っている武官の恋人がいる。
「私、今日の式典が終わったらすぐ逃げる。だから、それまでの間だけ――名乗りと礼だけ、代わりにやってくれない? 顔なんて誰も見てないから」
姉は昔からこうだ。無茶を言うときほど、目だけは真剣だった。
結局、私はその日の午後、姉の衣を纏い、面紗で顔を隠したまま、謁見の間の隅に座らされていた。
噂に聞く選妃の儀とは、要するに面接だ。ただし、面接官が悪すぎた。
「そなた、なぜ妃になりたい」
玉座から低く響く声。皇帝・弦耀――即位してからというもの、媚を売る者を片端から見抜いては叩き落としてきたことで知られる、この国でもっとも機嫌を取るのが難しい男。
前に並んだ候補たちは、震える声で「陛下のお役に立ちたく」だの「幼き頃より憧れて」だの、涙ながらに述べては、次々と一言で退けられていった。
正直、他人事のように眺めていた。姉が逃げおおせるまで、あと少しの辛抱だ。適当に相槌でも打って、目立たず終わらせればいい。
「そなたは」
順番が回ってきた。面紗の奥から、皇帝の視線がまっすぐこちらへ向くのが分かった。
「なぜ妃になりたい」
――知るか。
とは、さすがに言えないので、代わりにこう答えた。
「なりたくありません。できることなら、今すぐ家に帰りたく思っております」
謁見の間が、水を打ったように静まり返った。
しまった、と思ったのはその後だ。姉の代わりに来ている以上、余計なことは言わずに大人しくしているべきだった。案の定、脇に控えていた女官長の顔が青ざめている。
だが、玉座の主だけは、様子が違った。
「……ほう」
低い声に、初めて笑いに似た響きが混じった。
「正直な娘だ。他の者どもと違って、世辞のひとつも言わぬ」
いや、世辞を思いつく余裕がなかっただけです。
そう訂正する暇もなく、弦耀は玉座から立ち上がり、居並ぶ大臣たちを一瞥してから、こう言い放った。
「決めた。此度の妃候補、これ一人でよい」
「陛下!?」
悲鳴に近い声を上げたのは、女官長と、そして面紗の下の私自身だった。
「名は」
こちらの都合など知る由もなく、弦耀は続けて問う。
答えられるはずがなかった。私は蘭珠であって、蘭花ではない。だが今さら「実は入れ替わりです」と白状すれば、姉の恋も、実家の首も、まとめて危うくなる。
苦し紛れに、姉の名を騙った。
「……蘭花と申します」
「蘭花か。よい名だ」
弦耀は、初めて見せる類の――満足そうな表情を浮かべた。
こうして、姉の代わりに謁見の間へ足を踏み入れただけだったはずの私は、その日のうちに、たった一人の妃候補として後宮の奥へ迎え入れられることになったのである。
……冗談でしょう?
面紗の下で、私はそう呟くほかなかった。




