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「私に勝てたらお付き合いします」という天才美少女棋士がモブメガネに「くっころ」されるまで

掲載日:2026/07/11

※この物語はフィクションです。

「──王手!」

「くっ!?」


 僕の指した一手が、彼女の凛とした美貌を曇らせた。


 将棋部の部室として使われている空き教室。

 中央の学校机に置かれた盤面を挟んで、僕と対峙するのは制服姿に黒髪ストレートロングに雪肌の純和風美少女──その名を生天目(なばため) 慧子(けいこ)さんという。

 かの伝説的大名人・生天目九段の愛娘であり、さらに“美少女すぎる天才女流棋士”としても名を馳せる将棋界のスーパーアイドルだ。


 そんな彼女と同学年の迫田(さこた) 遊一(ゆういち)こと僕は、将棋を筆頭にしたボードゲーム全般のオタクなだけで、平凡が眼鏡を掛けたようなモブキャラである。

 将棋部室の隅っこに間借りしているボドゲ(ボードゲーム)部所属の僕にとって、月に数回だけ将棋部に顔を出す彼女とは、盤面に向かう横顔の美しさを一方的にチラ見するくらいの接点しかない。

 たまに合ってしまった目を逸らす速度にだけは自信がある。


 ──そのモブメガネが、なにゆえ雲の上の存在である慧子さんと対局しているのか?


 実は、少し前から噂になっていた。畏れ多くも彼女に交際を申し込んだ男子生徒が、こう言われたのだと。


『私に将棋で勝てたなら、あなたとお付き合いいたします』


 もちろん勝てるわけがない。ただし彼女は、きりりと涼しげに付け加える。


『将棋と名の付くものならば、どんな勝負もお受けします』


 挟み将棋、将棋崩し、将棋倒し、重ね将棋、回り将棋……たしかにそれらのルールなら、万が一にも勝てる見込みがある気もしてくる。

 この噂を鵜呑みにしたのがボドゲ部の部長、ひょろりとした長身の細野先輩だ。彼は慧子さんに「将棋崩し」で勝負を挑んだ。そして慧子さんは噂通り、即答で勝負を受けてくれたのだけれど。

 

「つ……つよすぎる……?」


 結果、ボドゲ部(われわれ)は戦慄することになる。勝てないのだ。部長だけじゃない、僕以外の部員五人全員が順番に将棋崩し、重ね将棋、回り将棋と挑み続け、そして撃沈した。そのことごとくで彼女は圧勝した。

 将棋の対局と変わらない真っ直ぐな背筋で、先の先まで見えているかのように冷静に淡々と勝っていく。一手ごと大げさに叫びのけぞるボドゲ部(通常営業)の面々にも、微かに眉を寄せるだけ。


 ──その姿は、百手先まで見通す“神の目”とも呼ばれた彼女の父・生天目九段を彷彿とさせた。


「なぜ、そんなに強いんですか……?」


 放心しながら問いかけた細野先輩に、彼女は淡々と応える。


「見えてしまうの、ぜんぶ。どんなことでも常に先を読みなさいと、幼少より父にしつけられてきたから」


 答える彼女の切れ長の目と、一瞬視線が合った気がした。いつもの癖で秒で目を逸らす。


「それに、将棋だけが私の遊び相手でした。そのほかの玩具もゲームも、触れることさえ許されず──かわりに将棋と名の付くすべてを、極めたのです」


 僕はそのストイックな生きざまに、感動さえおぼえていた。

 けれど同時に、彼女の言葉の奥底には寂しさが潜んでいるようにも思えた。幼いころから将棋漬けの英才教育。それは自ら望んだ生き方ではなかったのかも知れない。


「おい、何をボーッとしてる? 次はお前の番だぞ迫田」

「──は?」

「お前が最後の砦だ! ボドゲ部の名誉にかけて、当たって砕け散れ!」


 ボドゲ部の名誉、砕け散る前提でいいんだろうか。しかしこれは憧れの慧子さんと対局できるまたとない機会、どうせなら勝てないまでも印象を残して認知(・・)されたい。それがモブメガネにも許される最大限の願望だろう。


 ──そうだ、あれ(・・)なら!


 そのとき天啓が閃いて、部屋の隅っこのボドゲ部スペースに走った僕は、ロッカーの中に渦巻く混沌(カオス)から、布製のきんちゃく袋を引きずり出す。


「──将棋なら、なんでもいいんですよね?」

「ええ、将棋ならなんでも構いません」


 対局机へと歩み寄る僕の問いかけを、相も変わらず涼しげに肯定する彼女。その目の前に、袋の中から取り出したそれ(・・)をバーンと叩きつける、ぐらいの気持ちでそっと優しく置いた。だって、慧子さんに嫌われたくないし……。


「これは──!?」


 けれど彼女は切れ長の目を見開き、両の手を口に重ねて絶句している。どうやら予想以上に衝撃を与えた様子。──もしかしたら、ひょっとするかも知れない。


「どうぶつ将棋です」

「ど……どうぶつ将棋……ですか……?」

「知ってますか?」

「聞いたことはあります。見るのは、はじめて……」


 どうぶつ将棋はコンパクトな盤面と少ない駒数で遊ぶシンプルな将棋入門用ゲームだ。そして実は、最善手を指し合えば必ず後手が勝つことになっている。

 つまり、もし僕が後手ならば……憧れの慧子さんに……そうしたら……

 いやいやだめだ目の前の勝負に集中しなくては。負けフラグの立ちそうな妄想を振り払い、僕は二つ折りの盤をひろげて、キュートな動物の描かれた四角い駒を淡々と並べていく。


「……ッ……」


 息を呑む音が聞こえた。見れば彼女は両手で口元を覆ったまま、僕の並べた駒を凝視している。


「……ひよこさん……きりんさん……ぞうさん……」


 そしてふるふると小刻みに首を振りながら、かすれた小声で、うわごと(・・・・)みたいに動物たちの名を呼んでいく。

 見開いた瞳はきらきらと潤んで、頬もほんのり赤らんでいる。


「それに……らいおんさん……」


 最後にため息のように、彼女は言った。


「……かわ……いい……」


 そのとき僕は場の全員が「可愛いのはあなたですからッ!」と唱和する心の声を確かに聞いた。しかも机の対面の至近距離、普段のクールな凛々しさとの高低差で生じる致死量のギャップ萌えにさらされながら。

 ピンク色の(もや)に包まれて薄れかけた意識のなか、さっきの「将棋だけが私の遊び相手でした」という彼女の言葉が浮かんで、ぎりぎり現実に引き戻される。


 きっと、彼女はこの手の「かわいいもの」に一切触れてこなかったのだろう。勝ち負けは置いても、どうぶつ将棋を彼女が楽しんでくれたら、それだけでも嬉しい。


「……どちらが先手にしますか?」


 ルールペーパーにさらりと目を通し、いつもの凛々しさを取り戻した彼女が問いかける。さあ、ここでいかに後手を勝ち取るかが、運命の分かれ目だ。


「たしか後手有利らしいから、じゃんけんで負けた方でいいんじゃないか」


 そこに余計な助言をしてきたのは、ぴっちり七三分けがトレードマークの将棋部部長・角多(かくた)先輩だ。なんでも、最初に彼女に交際を申し込んで瞬殺されたのが彼らしい。

 ともあれ、そんなふうに言われてしまったら拒否もできない。このじゃんけんに全身全霊を賭けるしかない。


「「じゃんけん、ぽん」」」


 ──彼女の白くて細い二本指(チョキ)に切り裂かれ、僕の拡げた謀略はあえなく白紙(パー)になってしまった。


「「よろしくお願いします」」


 そうして二人の声が開戦を告げたのだけれど。


「……だめ、やっぱりできない……こんなかわいい()たちに……」


 初手で小さくそう呟いてから彼女は、まるで駒をひとつも取られたくないかのように、そしてこちらの駒も取りたくないかのように、完全に責めを放棄し逃げに徹した。僕らを囲む両部の部員たちも、ざわついている。


「落ち着けきみたち、慧子くんには何か考えがあるはずだ」

「ほう。さすが生天目さんに五十戦五十敗した部長の言葉は説得力ありますね」

「うぐ」


 角多先輩を副部長のメガネ美人・鮫島(さめじま)先輩が半笑いで黙らせる。

 そのとき僕は、雑誌で読んだ生天目九段のインタビューでの言葉を思い出していた。


『将棋は戦国合戦の再現、駒と駒の命がけの殺し合いなのである』


 もしかしたら慧子さんは父親の言葉のままに、かわいい駒たち(どうぶつ)に殺し合いをさせたくなくて、逃げに徹しているのではないか。

 そのことに薄っすらと察しがついたころには、盤面はもうすでに──


「──王手!」

「くっ!?」


 こうして僕の指した一手が、慧子さんの凛とした美貌を曇らせたのだった。


「ころ……殺すのね……私の……らいおんさんを……」


 彼女は諦めたように、ライオンさんを逃がしながら言葉を絞り出した。

 それでも僕は、容赦なく最後の一手を指す。見るに堪えないとばかりに、彼女は両手で目を覆う。


「これで、僕の勝ち(トライ)です」


 しかし、ヒヨコさんから()った僕のニワトリさんが、追い詰めていた彼女のライオンさんを殺めることはなく。ただ僕の手駒のライオンさんが、彼女の陣の一番奥まで到達していた。


「え……」


 指の隙間から盤面を覗いた彼女が、呆然と声を漏らす。


「どうぶつ将棋では、敵陣の一番奥に到達したライオンさんが次の手で取られなければ、勝ちになります」


 僕のライオンさんはニワトリさんに守られ、取ることができない。──そう、駒たち(どうぶつ)を殺し合わせて彼女を悲しませることなく、僕は勝利をもぎとったのである。


「うおおお! やったな迫田!」「おめでとう!」


 ボドゲ部から歓声が上がり、将棋部のみなさんはざわざわしている。

 なかでも角多先輩は放心状態だ。


「くっ……どうぶつ将棋とはな……俺ならもっと、完勝できたのに……」

「ほら、いいかげん諦めなさい部長。かわりにデートしてあげるから」

「ううっ、いいのかい鮫島くん?」

「特別ですよ。もちろんデート代は全額部長の奢りね」

「は……はい……」

「よし、それじゃあみんなで行きましょ! あとは二人でね……」


 鮫島先輩が一瞬だけこちらに微笑みかけた気がした。

 彼女の先導で、両部員は揃ってぞろぞろと部室の外に出ていく。


「いやあ悪いねえ角多くん、我々まで奢ってもらえるなんて」

「は!? なんでボドゲ部(おまえら)が……っていうかみんな(・・・)ってどういうこと鮫島くん?」

「ええ。両部の懇親会を兼ねた合同デートですよね」

「えっと、そんな話だっけ……?」

「そうですよ」

 

 などという会話が廊下を遠ざかる。角多先輩にほんの少しだけ同情しつつ、こっちもそれどころじゃない。気付けば部室に慧子さんと二人きり。どうするどうしよう。

 会話のきっかけがわからず、席を立ってどうぶつ将棋をきんちゃく袋に片付けながらチラ見すると、彼女は僕の手元を名残惜しそうに見詰めていた。


「あの、これ、よかったら貰ってください」

「……!? そんな、いいのですか?」

「うん、もともと僕の私物だから」

 

 どうぶつ将棋入りのきんちゃく袋を、立ち上がって遠慮がちに受け取る彼女。


「それで、その。お付き合いの件ですが」

「はい」

「しなくていいから」

「えっ」

「たぶんだけど、告白を断るのが苦手だから、かわりに勝負を受けてたんですよね?」

「……どうして、わかったのです……?」

「だって慧子さん、どうぶつの駒を取れないくらい優しいひとだから」


 断って相手を傷付けたくない。だから将棋に勝つことで間接的に断るという方法を選んだ。

 そんな優しい彼女は僕の言葉に切れ長の目を見開いて、それから深くため息をついた。


「父にいつも言われます。お前は心理を読むことにかけてなら自分にも優るのだから、あとはその(なさけ)さえ捨てられたらもっと強くなれるって」


 彼女の沈んだ表情に、胸が締め付けられる。だから僕は思わず口走っていた。


「──でも! 優しいからこそ、相手をよく見てるから、気持ちがわかるのかも」

「え……?」

「だから心理(こころ)を読むのに長けてる、ってこともあるんじゃないかな。それは捨てずに、得意な部分として伸ばしても……」


 そこまで言ってようやく気付く。自分が生天目九段の言葉に反論していることに。

 焦って取り消そうとしたけれど、彼女の表情がぱっと明るくなったから、そのまま言葉を飲み込んだ。


「そんなこと言われたのはじめて。やっぱり、迫田くんこそ優しいです。私のらいおんさんも救けてくれたし」

「あれは……」

「すごく驚いたし、嬉しかったの!」


 朗らかな声で楽しげに言葉を紡ぐ、いつもとは違う彼女に思わず見惚れてしまう。お互いの目を見つめ合っていることに気付いて、でも目を逸らすことはできなかった。


「言ったでしょう? 見えてしまうって。どんなことでも先を読めるから、予想の範囲のことしか起きない。驚きも、楽しさもない。だから、もしお付き合いするとしたら私に勝てる人──先の読めない人がいいなっていうのも、本心でした」

「そう、なんだ」

「うん、でも今日はすっごく楽しかった。ボドゲ部のみなさんはリアクションが面白くって、ずっと笑いを堪えるのに大変で」


 もしかしてあのとき、眉を寄せながら笑いを堪えていた? その事実と、机を挟んだ目の前でくすくす思い出し笑いをする彼女が重なって、あまりの可愛さに頭がぼーっとしてきた。こっそり自分の太ももをつねって気を逸らす。


「実はね、みんなが部室でゲームしてるとこ、ときどき盗み見てたの。楽しそうでいいなあって。特に迫田くんは、いつもおとなしい感じなのに、興奮すると立ち上がって変な動きするでしょ? あれ、可愛いなって鮫島先輩とお話してたの」


 ──ちょっと待ってほしい。つまり、ときどき目が合ったのは偶然ではなくて、彼女も僕のほうを見ていたということ?


「そんなあなたと対局できるのも嬉しかったけど、どうぶつ将棋を持ってきたのも本当に予想外すぎてびっくりしちゃって」


 僕はすっかり動揺していた。いやいやそんなはずない、そんなはずないけれど、もしかして彼女はこんなモブメガネのことを、先の読めない特別な人と認識してくれているのだろうか? それってつまり──


「あの、じゃあもしかして、今も僕のことは先が読めなかったり……?」

「ううん。今日のことで迫田くんがどんなひとか、よくわかったから。もう先は読めました」


 ──淡い期待は、あっさりと砕け散った。


「じゃあ、質問です。もし私とお付き合いするなら、最初はどこに連れてってくれますか?」


 続けて問いかける彼女は、打って変わって真剣な顔だった。これはどういう意図の質問だろう? ここで彼女の予想外の答えを出せたなら、逆転の一手になるのだろうか?

 しかし、僕の中には当然ながらセンスのいいデート先の引き出しなんてあるはずもない。だからあきらめて、本当に連れていきたいと思える場所を伝えた。


「ええと……動物園……かな……」

「ほら! やっぱり私の読み通りです」


 彼女は勝ち誇ったように宣言し、僕は絶望する。


「だからね。私とお付き合い、してくれませんか?」


 ですよね。──ん!?


「え!? なぜそうなるの!?」

「言ったでしょう、もう先が読めちゃったの。これから、私が」


 はらりと黒髪が肩を流れる。うつむいた彼女は、どうぶつ将棋の袋をギュッと胸に抱きしめ、恥ずかしそうに続けた。


「迫田くんを、大好きになるって」

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