第4章 don’t cry anymore
大切なものを失ってから、二週間。
時間は進んでいるはずなのに、
俺の中では何も変わっていなかった。
ただ繰り返すだけの日常。
そんな中、隣にいる相棒が言う。
「……それでいいの?」
止まったままの心と、
もう一度走り出すための小さなきっかけ。
これは、立ち止まった俺が
少しだけ前を向くまでの物語。
ルルがいなくなってから、二週間が過ぎた。
時間は流れているはずなのに、俺の中では何も進んでいなかった。
朝起きる。
仕事に行く。
帰ってくる。
酒を飲む。
寝る。
それだけだった。
生きているというより、ただ動いているだけ。
名古屋港からほど近い小さなアパート。
テーブルの上には、ルルの写真が置いてある。
散歩の途中で撮った一枚。
少し得意げな顔。
俺はそれをぼんやり見つめながら、ウイスキーをグラスに流し込んだ。
氷も入れない。水も入れない。
そのまま口へ流し込む。
味はよくわからない。
ただ喉が焼けるだけだった。
「……ルル」
名前を呼んでも、返事はない。
部屋は静かだった。
仕事も同じだった。
病院の廊下を歩く。
俺は今日も先輩の後ろについて歩いていた。
「これ、患者さんの検温お願い」
「はい」
「あと処置の準備」
「はい」
返事だけはする。
でも、頭はほとんど動いていない。
看護師として働いているはずなのに。
やりがいも、誇りも、何も感じない。
ただ指示されたことをこなしているだけ。
笑いたくもないのに張り付いたような笑みを浮かべるしかできない。
心身ともに居心地が悪く
窓際みたいな立場だった。
ある日の休み。
気づいたら俺は横浜にいた。
理由はなかった。
ただ、じっとしていると壊れそうだった。
その日はあいにくの曇りであり
空はまるで鉛のような色をしていた。
当てもなく、桜木町や中華街
元町と彷徨い歩いた。
夜になり、日本大通り近くの路地裏に
小さなアンティークショップを見つけて足を止めた。
ショーケースの中。
中古の小さな銀色のロケットペンダントが飾られていた。
どうやら1930年代にイギリスで作られたペンダントのようだった。
俺はそれを見ていた。
店員が声をかける。
「プレゼントですか?」
俺は首を振った。
「……家族の写真を入れるやつです」
店員は優しく笑った。
「いかがでしょう?もうすぐ店じまいですし、少しお安くしますよ。」
俺は無言で金を差し出し押し付けるようにして、それを買った。
そのまま新幹線に乗りアパートに帰った。
ルルの写真を小さく切ってロケットの蓋を開け、写真を入れた。
カチッ。
小さな音がして閉じた。
まるで映画の兵隊が首にかけるドッグタグに使うような、シルバーのボールチェーンを指でつまみ首にかけた。
ロケットは胸の上で止まった。
軽い。
とても軽い。
それでも、その小さな重みは確かにそこにあった。
「……ルル」
小さく呟いた。
土曜日の夜
港の風が届く、いつものアパート。
その日は風が強い日だった。
俺は駐輪場に立っていた。
髪はボサボサのまま。
自分でもわかる。
今の俺は、風が吹けば消えてしまいそうだった。
「ねえ」
後ろから声がした。
こはるだった。
「最近さ」
「ずっとそんな感じだよね」
俺は苦笑した。
「普通だろ」
「普通じゃない」
即答だった。
「全然普通じゃない」
俺は黙った。
風が吹く。
こはるの水色の髪が揺れる。
「悲しいのはわかるよ」
こはるは言った。
「ルル、大事だったもんね」
その瞬間だった。
「でもさ!」
こはるが声を上げた。
振り向く。
こはるは泣いていた。
涙をぽろぽろ流しながら怒っている。
「失ったものばっかり数えないでよ!」
声が震える。
「あなたにはまだいっぱいあるじゃん!」
「仕事もある!」
「友達もいる!」
「家族もいる!」
そして。
拳を握る。
「それに」
涙を拭きながら言う。
「私もいる」
風が吹いた。
こはるは真っ直ぐ俺を見ていた。
「私は」
「あなたの相棒になる」
声が震える。
「だからお願い」
「立ち止まらないで」
「現実に抗って」
しばらく沈黙が続いた。
俺は空を見上げた。
群青色の空は広かった。
そして小さく笑った。
「……お前」
「なに」
「泣きながら怒るなよ」
こはるは鼻をすすった。
「だって!」
「私だって悲しいもん!」
俺はハンドルを握る。
「こはる」
「ん?」
「少し走るか」
こはるは小さく頷いた。
キーを回す。
トコトコトコ…
エンジンが目を覚ます。
俺たちは夜の港を走り出した。
目的なんか何もない、ただ行く先も決めず、走らせた。
名港中央大橋の灯りが遠くに見える。
コンテナクレーンの赤いランプ。
港の風。
しばらく走り——
金城ふ頭の奥。
貨物岸壁の近くで、俺はバイクを止めた。
エンジンを切る。
さっきまで吹いていた風は、いつの間にか凪いでいた。
コンテナの影が並び、遠くで船のライトが揺れている。
俺は空を見上げた。
そして言った。
「知ってるか?」
こはるが首を傾げる。
「なに?」
「軍隊ではさ」
少し笑う。
「戦死した戦友を悼むために、空に空砲を撃つんだ」
こはるはニヤッと笑った。
少し悪い顔。
「へぇ」
そして言う。
「誰もいないし」
「鳴らしちゃう?」
俺も笑った。
「そうだな」
アクセルを軽く開ける。
そして。
クラクションを鳴らした。
パァーーーーーッ!!
音は港の夜空へ響いていった。
愛すべき弟。
何も言わず、隣にいてくれた存在。
役目を終えたように、静かに旅立ったルルへ。
兄としての、最後の贈り物だった。
その音色に応えるように、静かに海風が吹いた。
俺はロケットを指で触った。
そして、小さく呟いた。
「……ありがとう」
ルルへ。
そして。
隣にいる、水色の相棒へ。




