第2章 ロビンソン
バイクに乗り始めた俺は、まだその楽しさを掴めずにいた。
そんな中、幼なじみのそうたと再会し、
彼の相棒・みどり、そして俺の相棒・こはるが出会う。
少しずつ広がっていく世界。
初めてのツーリング、初めての海。
「この向こう、行ってみたいな」
その一言をきっかけに、
俺の日常は、静かに動き始める。
秋の空は高かった。
どこまでも抜けるような青。
でも、風は少しだけ冷たくなり始めていた。
トコトコトコ……
エンジンの音が、やけに大きく聞こえる。
9月の終わり。
俺はまだ、バイクに慣れていなかった。
(怖いな)
信号で止まる。
足をつく。
少しだけバランスを崩しかける
横をトラックが抜けていく。
風圧に、身体が揺れる。
「……大丈夫?」
こはるの声が頭の中で聞こえる
「まあな」
強がる。
「ゆっくりでいいよ」
その声は、いつも通り優しかった。
でも。
(遅い)
そうも思っていた。
コンビニに止まる。いつも同じ場所。
缶コーヒーを買い、ゆっくりと飲む
全ていつも通りだ。
「ねえ」
「なに?」
少女の姿になったこはるが心配するように聞いてきた
「楽しい?」
俺は少しだけ考える。
「……まあ」
嘘じゃない。
でも。
あの夜みたいな感覚は、まだなかった。
10月の頭。
実家の駐輪場。
遠くから、エンジン音が近づいてくる。
トコトコトコ……
「おー」
「久しぶりじゃん」
そうたがヘルメットを外して笑った。
「帰ってきてたのか」
「つい最近な」
その横に、緑のカブ。
「……みどりか」
車体が、淡い緑色の光を放ちふっと揺れる。
「よっ、久しぶり」
現れたのは、ショートボブの女だった。
東京のジャージ姿とは異なり
緑のブレザーに白いシャツ。
緑と白のストライプ柄のネクタイは少し緩め。
緑色と少し紺色が混じったチェックのスカートにスニーカーを履いてる
なんとなくだが、どこかスポーツをやっていそうな雰囲気の少女
「久しぶり、東京以来だね。髪、切ったの?」
みどりは自分の髪を軽く触る。
「これ?」
そうたが笑う。
「この人さ、峠で無茶してコケて」
「私のレッグガード折ったんだわ」
みどりが軽く息を吐く。
「で、怪我して直したんやけど、そん時なんかめんどくさなってさ、で、イメチェンしたんだわ」
あっさりしていた。
その時。
「……誰?」
淡い水色の光とともに、リトルカブが少女の姿に変わり
こはるが顔を出した
白い長袖のセーラー服。
スカイブルーのスカーフ。
その上から、ボタンをきちんと閉めたベージュのカーディガン。
どこか、図書館に居そうな雰囲気が漂う様子だった。
「あの子もカブ?」
「うん」
「おっリトルやん!」
「うん、そうだよー 私こはるって言うの」
みどりが少し笑う。
「私はみどりって言うんや」
みどりが簡単に自己紹介をした。
「自分、ええ色しとるね」
「そっちも」
2人で笑い合い
自然と距離が縮まる。
「走る?」
こはると俺は2人で顔を見合わせて
頷いた。
名古屋空港近くの公園。
夕焼けが広がっていた。
二台のカブが並ぶ
「いいねここ」
「やろ?」
カブの姿であるが、お互いに声は伝わる
風がサッと抜けていった。
少し離れて見ていた。
(違うな)
同じカブでも走り方が違う。
みどりはラフに立つ。
どこでも走れそうな軽さ。
こはるは姿勢を崩さない。
なんとなくだが“整って”見える。
同じ相棒でも、全然違う。
「腹減ったな」
「ラーメン行くか」
帰り道、旧41号線沿いの道にラーメン屋を見つけた
2人で店に入った。
外。
駐車場の隅。
こはるとみどりが並んでいた。
「……つまんない、彼全然遠く行ってくれないし‥」
みどりが小さく笑う。
「まあ、そのうちやに」
「たぶんあいつはいっぱい走るようになるよ、それこそ、こはるがため息つきたくなるぐらい」
少し間が空いた
「あいつさ」
みどりが口を開く
「東京と名古屋、私で二往復したんよ」
「え?」
「当然下道で」
「初めて箱根越えたときとか」
「こいつ、いよいよ頭おかしくなったかと思ったわ」
面白そうに遠くを眺めながらみどりは語った。
こはるは、ふっと笑った。
「楽しそう」
「楽しくないよ」
肩をすくめる。
「トラックに煽られて、本気で死ぬかと思ったに」
二人でケラケラ笑った
「おーい、何話してるんだ?」
男達が出てくる。
2人で顔を見合わせて、とびきりの笑顔で答えた
「内緒」
⸻
数日後。
「走るぞ」
外に出ると、こはるの姿が変わっていた。
緑のフライトジャケット。
黒ストッキング
焦茶の編み上げブーツ。
肩にはベージュのバッグ。
「どう?」
少し得意げに言う。
「……それっぽいな」
「でしょ」
2人で笑いながら駐輪場で過ごしてると
そうたとみどりがやってきた
みどりの姿も以前とは違った
緑のスカジャン。
カーゴパンツ。
トレッキングシューズ。
黒色のリュック。
「準備ええ?」
「いつでも」
その差が、妙にしっくりきた。
そうたとみどりはガンガン飛ばす
道中ついていくのがやっとだった。
速い。
置いていかれそうになる。
「……大丈夫」
⸻
こはるの声が頭に優しく響く
⸻
「見失わないで」
必死に追う。
「あいつ‥原付の法定速度わかってんのか?」
ふと愚痴をこぼした
その時。
「ヒュイーン!!」
甲高いサイレンが後ろから響き
何かが風を切って走り抜ける
白バイだ!
白バイが一瞬で距離を詰めたかと思うと
そうたとみどりが止められる。
「……やってんな」
少しだけ笑う。
そうたは警察官に平謝りしながら書類を書き、
みどりはバイクの姿のまま、少しだけバツが悪そうだった。
そしてしばらく走ると、視界が開けた。
「……え」
海だった。
どこまでも続く青。
空と繋がっているみたいだった。
風が変わる。
少し湿った、優しい風。
「ここ、新舞子」
二人で止まる。
俺は動けなかった。
その横で。
「わあっ……!」
こはるが駆け出す。
「すごい!すごいよこれ!」
フライトジャケットを揺らしながら、波の方へ走る。
「ねえ見て!」
「水、動いとる!」
普段は出ない、岐阜の訛りが出ていた
思わず笑った。
「海だぞ」
「知っとるよ!」
こはるが答える
でも、その顔は本気だった。
「こんなの、初めて見た」
少しだけ、胸が軽くなる。
「……ねえ」
「見て、あれ」
沖合に船が見える
「どこまで行くんやろ」
「向こうって、どうなっとるんやろね」
俺は答えなかった。
でも。
(遠いな)
そう思った。
こはるが、小さく笑う。
「……行きたいな」
そして。
「海ってさ」
振り返る。
「どこまでも続いてるじゃん。」
風が吹く。
「私が見てる海は、広い世界への入り口みたいに思えるんだ」
少しだけ間を置いて、続けた。
「それにさ、同じ海を、世界中の名前も知らない誰かも見てるかもしれないって思うと……なんだかワクワクする」
こはるは真っ直ぐ海を見たまま言う。
「だから好きなんだ!」
俺は頷いた。
「……だな」
「……だな」
10月の終わり。
走ることには、だいぶ慣れていた。
怖さは、もうほとんどない。
その代わり。
(物足りない)
その感覚が芽生えてきた
坂道は分かってはいたがスピードが落ちる。
車に抜かれるし、流れに乗れない
「……なあ」
「なに?」
「もうちょい速くならないのか」
少しだけ間。
こはるは何も言わなかった。
11月。
以前に比べ少しだけ、距離が伸びた。
今まで行かなかった道を走る。
コンビニも変わる。
最近は夜に走ることが増えた。
トコトコトコ……
街灯の下を走る。
風が冷たい。
でも、気持ちよかった。
「……いいね」
こはるが言う。
「なにが」
「夜の道ってなんか走っててワクワクする」
この頃、俺は近所の車校に通い始めていた。
250ccの教習車は、こはるよりずっと大きくて、重かった。
クラッチ操作にも戸惑った。
それでも、根っこのところは同じだった。
少しずつ、少しずつ。
走ることそのものに、身体が馴染んでいく感じがした。
⸻
12月。
さらに少しだけ遠くへ行くようになった。
でも。
まだ足りない。
どこかで止まっている。
そんな消化不良なモヤモヤを感じていた。
実家のリビングでくつろぎながら、テレビを見ていた。
ふと横目で見ると、愛犬というより弟と言った方がしっくりくる パピヨンのルルがおもちゃを咥えて一人で遊んでいた
目が合うと、俺のとこまでおもちゃを持ってきて
投げろ!と言わんばかりに押し付けてきた。
お気に入りのおもちゃを投げると、ぱっと走っていく。
咥えて戻ってきて、もっと投げろと言わんばかりに俺の手へ押しつける
それの繰り返し
「お前、元気だなぁ飽きないのか?」
その問いに、笑ってるようないつもの顔で見上げる
元気だった。
ある日の駐輪場。
その日はルルの散歩の帰りだった。
駐輪場にさしかかると
リトルカブの姿が、ふっと揺れる。
こはるの姿になり
ルルに向かって、小さく手を振る。
ルルは何かに気がついて
ふと、視線の方向に目をやるが
そこにはバイクしかない
「……またね」
バイクの姿に変わった状態で
心の中で小さく呟いた。
年の終わりにさしかかり
ある日、病院から連絡が来た。
「復職の準備をしてください」
短い言葉だった。
「ようやくか‥けど俺の居場所なんてあるのかなぁ‥」
荷物をまとめるが心境はどこか重い
こはるに積む。
いつもより重い。
「ちょっとー……」
こはるが頬を膨らませる。
「私は引っ越し用のトラックとかじゃないんですけどー」
そう言いながらも、どこか楽しそうだった。
やがて荷造りが終わり
なんとか出発できる準備が整った
「行くか」
「うん」
エンジンをかけギアを入れる
トコトコトコ……
夜の小牧の街を駆け出す。
途中、少しだけ振り返ったが何かを振り切るように前を向き直した。
名古屋港へ向かう足取りは重く
お世辞にも早いとは言い難い
だが、
まだ、何も始まっていない。
そして、確かに。
少しずつ、2人の人生が動き出していた。




