第6話 修行と将来
アリスが魔法を習得する日々が始まって、6か月が経った。毎日のように魔法の練習をしては眠る生活を続けていた結果、アリスは二属性複合魔法をすべて習得するまでになった。その数、実に3000。その日々の中で、二人の魔力の質はほとんど同じ状態になっていた。
何も変わらない森の中。
その中で、変わり続けているものが確かにあるということを、その生活の中でアリスは感じていた。
「ねぇ、シェリア」
「急に神妙な顔してどうしたの?」
「えっと、今日から三属性以上の複合魔法になるんだよね?その中にはこの森を消し飛ばしちゃうくらいの魔法があると思うんだ。こんな場所で撃って、本当に大丈夫なのかなって」
「あ~、そのことなら心配いらないよ。だって、この森は魔力そのものなんだから」
「魔力そのもの……?それって、シェリアの作った結界みたいな感じ?」
「ううん。ここは、世界が始まったころからある場所だよ。最初は何もなかったんだけど、私がここで魔法の研究をし続けてたらこんなことになってたんだよね」
「じゃあ……この場所で魔法を使い続けるなら、どこにも被害が出ないってこと?」
「むしろ、この森が喜ぶよ」
「……もしかして、最近動物たちが持ってきてくれる果物の種類が増えてたのって」
「うん。この森がアリスの魔法で成長しているからだよ」
「この森が……この後10年間離れるのは少し寂しく感じちゃうかも」
「わかるな~。正直、この場所がこんなに立派な場所になるなんて思わなかったから、自分が考えていた以上に愛着がわいてるんだよね。森も、動物たちも、この家も……全部私の魔法と一緒に歩んできたものだって思ったら、覚悟も少し揺らいじゃうんだ」
いつの間にか家の中に入ってきていた猫を膝の上に乗せ、どこか物悲しそうに呟いた。
シェリアは優しい手つきで猫をなでながら、話を続けた。
「さて……少し話を戻そっか。アリスは今日から、複合属性魔法の難しいところに入っていくわけだけど、学園で使ったことある魔法は何かある?あるなら、その感覚を全部捨ててほしいんだ」
「感覚を、捨てる……?」
「そう。二属性の時は、どれだけ膨張しても扱え切れる範疇に収まっていたけど、三属性以降は暴発した瞬間に一気に大きくなる。学園では魔障で出力が抑えられていたけど、今はその枷もない。最悪の事態が起きそうなときは私が止めるけど、習得を考えるなら当てにしないでほしい」
6か月間、今までにないほど魔法に触れ続けてきたからこそ、シェリアの言葉はアリスの心に重く響いた。今まではただの基礎の部分でしかなくて、ここからが本番で、一番大変な時間が始まるんだという考えにアリスが至るまで、あまり時間はかからなかった。
魔障のことを、シェリアは今「枷」と言った。
「今までの修行でもそうだったけど、アリスは属性を複合する時に必要以上に魔力を使う傾向がある。それはきっと、学園時代の癖だと思う。アリスが学園内で生き抜くために体に叩き込んだものが、今になって邪魔になってる。本当に厄介なことをされたんだね」
「あっ……」
「でも安心して。基礎の基礎をフレイザが教えてたおかげで、ずれた感覚を戻すだけだから。最初から歪んでたらどうしようもなかったけど……これは、会った時にしっかりと褒めてあげないとね」
「昔師匠に教えてもらったことが、今も助けになってくれるんだね」
「今どころか、この先ずっとね。ほんと、誰に似たのやら」
猫をゆっくりと自分の頭に乗せ、シェリアは立ち上がった。
この猫は、最近この森に現れた動物だった。現れたその日から、シェリアの頭の上で居心地よさそうにしながらアリスの修行風景を眺めていた。一度アリスの頭の上に乗ったこともあったが、何か違ったようで首をかしげてからいつもの場所に戻っていった。
玄関に向かって歩いていくシェリアの後を追うように、アリスも歩き出した。いつもの場所で、魔法の修行をするために。
「なんでこの子、シェリアの頭の上にしか乗らないんだろう?」
「えっと……この子、魔力の流れが穏やかな場所が好きっぽいんだ。だから、私の頭の上とか膝の上がお気に入りになってるんだと思う。私もまだ何日かしか関われてないし、話しかけてもあまり答えてくれないから憶測だけどね」
「つまり、私の頭の上で首をかしげたのって」
「多分、思ったより激しかったんじゃないかな。それが無意識の癖ってことなんだと思うよ。もちろん、お互いにね」
シェリアはそう言うと、「さて」とアリスの方に向き直りながら手を打ち合わせた。
「今からすることは、何でもいいから三属性の魔力を複合するだけ。それをイメージした通りの形にしてちゃんとした魔法にするのは、まずそれができてから」
「わかった。危なくなったら教えてね」
「もちろん。私だって、最初からすべてのことができたわけじゃない。失敗を繰り返して、最終的にできるようになるものだよ。そのために、私とこの森があるんだから。アリスは安心して自分の中の魔力に集中してね」
「ありがとう。私、頑張るね」
アリスは目を閉じ、言われた通りに魔力の分解と複合を始めた。
多重平行詠唱魔法を一人で行う場合、一つになっている魔力から必要な量を決められた属性分だけ切り離し、それぞれを別の属性に変化させた後で再度切り離したものだけで融合する必要がある。このすべての段階において、少しでもバランスを間違えたり、切り離した魔力と切り離す前の魔力が融合したりしないように意識する必要がある。
そして、これを無意識下でコントロールできるようになってから、初めて魔法へと昇華することができる。
体の外に魔力を溢れさせることなく、ただずっと目を閉じ続けているだけのアリスを、シェリアは見守るような表情で、猫は心配そうな表情で見つめていた。
「そこまで!」
「えっ……ってちょっ、うわぁっ!」
「おっと危ない」
急なことで魔力のバランスを崩したアリスを、シェリアの魔力で優しく包み込んだ。
あわや魔力が暴発しかけたアリスは、急に声をかけてきたシェリアをむすっとした顔で見つめた。
「なんで止めたの?」
「わかる人は絶対に止めるよ。もちろん、この子も止めてた」
「この子……?」
「そう。この子」
シェリアは、自分の頭の上にいる猫をなでながらそう言った。猫は嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らしながら、小さくうなづいた。
「今、アリスの中では成功していた風に感じていたかもしれない。でも、歪なんだ。その歪さが、さっき話していた『癖』っていうこと。それに、魔力の複合中に攻撃されるなんて日常茶飯事だし、急に止められても暴発しないバランスで魔力を切り分けられないと魔法中断した瞬間に大変なことになるよ」
「……じゃあ、どうすればいいの?」
「その癖を捨てる。あと、魔法を使える最低量の魔力量を見極められるようになる。この二つかな」
「間に合う……かな」
「今からなら大丈夫。多重平行詠唱魔法の一番難しいところは、魔力の使い方のところだからさ。それに、魔力を正確に扱うことができないなら……はっきり言って、星属性を習得するのは死ぬまで時間をかけても無理だよ。死ぬまでって言っても、星属性が使えない限りそもそも契約ができなくて鍵が受け渡し不可能ってことで死ねないんだけどね」
「むぅ……もしかして、今シェリアがしていることを私も将来的にしないといけなくなるってこと?」
「もちろん」
包み込んでいた魔力をほどきながら、シェリアはこれからのことを少しアリスに話した。
その話を聞いて、アリスは首を傾げながら質問した。
「思ったんだけど、旅しているときに少しずつ習得していくんじゃだめなの?」
「うん。星属性魔法は、習得過程で世界を壊しちゃう可能性があるからさ。特に、契約に関する魔法は『原初の魔』とその契約者以外知られてはいけない魔法だから。一応、魔導書には載せてあるけどね」
「そっか……あれ?でも、図書館に置いてあった魔導書には星属性の記載なんてなかったよ?」
「あれは私が弟子たちに持たせてた本だからね。意図的に星属性とか、始祖魔法とかその辺は省いたやつだよ。一応、この場所に三回会いに来たフレイザには契約に関する魔法だけを除いた魔導書を渡してあったんだけど……その感じだと、読んだことはなさそうだね」
「それは……うん。読んだことない。読もうとしたら師匠に止められたから」
「フレイザらしいね。やっぱり、あの子が持っていてくれてよかった」
アリスが、自分の魔力が落ち着いてきたと感じ始めたとき、シェリアは「それじゃあもう一回行こうか」と地面に座り込んでいたアリスに手を差し伸べた。
それからは何度も何度も、同じような失敗を繰り返し続けた。その度に、少しずつシェリアに止められるまでの時間は長くなっているが、それでも毎回暴発し続けていた。
ここからが本当の始まりで、ここを超えることがスタートラインに立つということ。アリスはそれを頭で理解できていたが、学園時代はうまくできていた感覚が残っているせいで失敗するたび必要以上に落ち込んでいた。そんなアリスの様子を見て、シェリアは今日の修行を普段よりも半分くらいの時間で終わらせることにした。
「今日はここまでにしよう」
「ううん、まだやれる。まだこれからだから!」
「いや……ここまでだよ、アリス。それ以上は無意味だ」
「無意味って……確かに、今のところ全くもって全然だけど、そこまで言わなくても……!」
「……気づいていないなら本当に無意味だ。それに、私がこの修業を始めたときになんて言ったか覚えてる?」
アリスは初めて、シェリアの言葉の中に「怒り」を感じた。今まで共に過ごしてきた中で初めて向けられた「怒り」という感情、その質の重さに完全に怖気づいたアリスは、ゆっくりと呼吸を整えながら記憶を掘り返した。
そしてシェリアの質問に対する答えを見つけたとき、静かで、優しさを感じるような風が吹いた。
「……あっ」
「気づいた?」
「もしかして私、失敗をしないようにしてた?」
「二回目以降は特にね。もちろん、暴発が怖いのもわかる。だからって、変に意識すると余計暴発するし、何よりこれから将来のことを考えると、恐怖や焦りみたいな負の感情で押さえつけられた状態で魔法を習得しても本当に意味がないんだ。だから、今日はもうおしまい」
「わかった……ほんと、私って未熟だね」
「そういうところ。言ったでしょ?誰だって最初から全部できるわけじゃないって。未熟なのは、新しい自分になれる可能性が残ってる証拠」
「新しい、自分……」
「そ!アリスにぴったりでしょ?」
そう言っていたずらっぽく笑うシェリアは、悔しそうにうつむいているアリスの前にしゃがんで頭を優しく撫で始めた。励ますように、なだめるように。さっきの強くて厳しい雰囲気をまとっていた人と同一人物とは思えないほど、正反対の優しくて母のような雰囲気に変化していた。
厳しくするべきところは厳しく。優しくするべきところでは優しく。アリスの師匠がそうであったように、シェリアも……いや、シェリアがそうであったからフレイザが弟子に対して同じような関わり方をしているのだと、アリスはなんとなく感じていた。
「下を向いてもいい。蹲ってもいい。どうしようもない壁を前に、立ち尽くすしかなくて絶望してもいい。それまでの自分を恨んだってかまわない。それは、ちゃんと自分を見つめることができていて、失敗を受け入れられている証拠なんだから」
「シェリアは、『前を向け』って言わないんだね」
「それを決めるのはアリスだからね。もちろん、『助けて』って言っているのなら助けるよ。でも、それは下から押し上げるだけ。前を向かせたって、前には壁しかなくて余計苦しむことになるんだからさ。そうでしょ?」
「ほんと、怖いくらい学校の先生たちとは逆なんだね」
「……家に戻ってから、聞かせてもらってもいい?」
「いいよ。もう少しで、ちゃんと乗り越えられそうだし」
「ありがとう。それじゃあ戻ろっか。もしかしたら、話す内容の中に答えがあるかもしれないしね」
アリスは、何度も何度も差し出してくれているシェリアの手をしっかりと握りしめて立ち上がった。本当の意味で、自分の過去と向き合うために。




