第2話 家族と夢
「そう言えば私、旅についての説明をしてもらってません」
話が一区切り付き、2人でゆったりとお茶を飲み始めたときにアリスは言った。鍵と呪いについての説明は受けたが、肝心の「旅」についての説明はされていなかった。シェリアは、あれ?といった感じで考えた後あっ!という表情になった。
「ごめん、完全に忘れてた」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それで、旅というのは……」
「簡単に言うと世界一周だね。人間の世界も、魔物の世界も関係なく歩いて旅をする。時間は、鍵の契約をしてから10年。10年かけて世界中を契約者と旅して、自分の死に場所と鍵の完全受け継ぎの場所を探すんだ」
「10年も、旅をするんですね」
「まぁね~。でも、私にとってはたったの10年だよ」
「後悔は、ないんですか?」
「あると思う?あったら、あなたを追い返してるさ」
お茶を飲み終え、自分のコップを洗い場に持って行きながらシェリアは笑った。
「私は、やるべきことを全てやったからこの場所にいる。弟子達に人間の未来を託したのも、人間と魔物の世界を分けたのも、魔法の研究を終わらせたことも。何も後悔なんてしてないし、間違っていなかったって思ってる」
「私も……シェリアみたいに思える日は来るんでしょうか?」
「来るよ、必ず。時間なら腐るほどあるからね。それに、今は私がいる」
アリスは、コップの中に残ったお茶に反射している自分の顔を見ていた。そこには不安と自信のなさで潰れてしまいそうな顔をした自分が映っていた。
そんなアリスの顔を、シェリアは水面越しに見てからアリスの頭を優しく撫でた。目線の高さは椅子に座っているアリスが少し低いくらいだったが、その様子は不安に押しつぶされそうな我が子をそっと元気づけようとする母親のような、そんな温かさに満ちていた。
「不安になるのは当たり前のこと。でも、大丈夫。その不安は時間が解決してくれるものだから」
「本当に、私は『鍵』の後継者にふさわしいんでしょうか……」
「もちろん。もし、魔法のことが不安なら、私が全て教える。人間界での生活が不安なら、私が王含め全員を説得する。魔物が怖いなら、その認識が間違っていることを私が教えてあげる。この全てが、これからの私の使命で、あなたへの最大限の謝罪なんだから」
「なんというか、先生みたいですね」
「逆。フレイザが私に似たの」
「そうでしたね。ふふっ……なんか、色々考えちゃってる私が馬鹿みたいに思えるの、久しぶりです」
「初めて笑ってくれたね」
「あっ」
「覚えておいて。本当の平和は、笑顔の中にしかないってこと」
そう言うと、シェリアはゆっくりとアリスから離れた。
家の真ん中に立ったシェリアは、目を閉じて歌い始めた。綺麗な声1つ1つに魔力が乗った、不思議な歌だった。その歌に歌詞はなく、まるで動物たちの鼻歌のようなのに、体全身で聞いていく内にその歌に歌詞があるかのように感じるような、歌そのものが魔法のような……気がつくと、すべてを忘れて聞き入ってしまうような歌だった。
歌が終わり、目を開けたシェリアは少しだけ呼吸を整えてからアリスの方を見た。そしてすぐに、ドアの方を指さした。
「さ、行こっか」
「え?ど、どこにですか?」
「ドアを開ければわかるよ」
シェリアに促されるままに、アリスはドアを開けた。ドアの前には、さっきまで少ししかいなかったはずの小さな動物たちが集まっていた。一匹一匹がキラキラとした目で2人の方を見ており、その手にはさっき家の机に置いてあった木の実が握られていた。
「この場所がアリスの家になるんだし、この子達と顔合わせをすべきだからさ」
「す、すごい数ですね」
「数は日によるけど、今日は最大数って感じだね。全員でアリスを歓迎したいんだって」
「なんだか、かわいらしいですね」
「でしょ?」
アリスが一歩前に出てしゃがみ込むと、我先にと木の実を渡しに来た。みんな必死に何かを訴えようとしていたが、アリスはただ何かを伝えようとしてくれていることしか分からなかった。
「え、えっと……」
「ふふっ。みんなアリスによろしくって言ってるよ」
「え?!わかるんですか?」
「もちろん。だってこの子達は家族だから。アリスもわかる日が来るよ。今はまだ、焦らなくて大丈夫」
「そうですね……みんな、ありがとう。これからよろしくね」
アリスがそう言うと、動物たちは嬉しそうにその場で回って喜びを表していた。動物たちがアリスと出逢えたことが嬉しかったということが、十分すぎるほどに伝わった。
動物たちとお別れし、家の中に戻るためにアリスが立ち上がろうとしたが、立ち上がれなくてそのまま地面に尻餅を付いてしまった。
今日の朝に学園を追い出され、帰った場所で待っていてくれていたはずの人たちの無残な死骸を見てから、心を落ち着けるために一切休まずにずっと歩いてこの場所まで来ていたのだ。緊張の糸が完全に切れてしまったせいで、疲れがどっと押し寄せてきたのだろう。アリスの意識も完全に寝る寸前まで落ちてしまっていた。
「……もう寝る?」
「はい……すみ、ま…………」
「大丈夫だよ。安心して眠ってね」
シェリアの言葉を聞き終える前に、アリスの意識は完全に落ちてしまった。シェリアの肩にもたれかかって、穏やかな呼吸の音を立てて眠っているアリスを見て、シェリアはそっと後ろの扉を魔法で閉めた。寝室まで抱えていくことも考えたが、もし起こしてしまったら申し訳ないからこのままにしておこうと思ったのだ。
シェリアは、森に降り注いでいるぽかぽかとした暖かさと、隣で眠っているアリスの寝息で少しずつ眠気が生まれてきていた。
「たまには……悪くないかもね」
そう言うと、アリスにもたれかかるようにしてゆっくりと瞼を落とした。自分の力ではなく、眠気に促されるままに。完全に目を閉じきる前に、風邪を引かないように魔力で暖かい空気を包み込んだ。
2人の幼い少女が、春の陽気にも似た暖かい日差しの下で頭を寄せ合いながら眠っていた。その様子を様々な小動物が優しい目で見守っていた。森の中にある小さくて平和な場所で、2人の少女につられるように動物たちもひなたぼっこをしながら2人を見守っていた。
シェリアが作り出したこの場所には、家族と同じ空気と温かさができていた。それは、シェリアが弟子を取っていた時から……それよりももっと前から大切にしていた、「想い」だった。
この「想い」は、シェリアが人間達に持たせたかった魔物にはない宝物だったのだ。だからこそ、弟子達にも学園でその「想い」を持って教鞭を執っていることを期待していたし、必要以上に自分が関わることでそれが歪んでしまうことを嫌った。だから、こんな遠い森の中に家族で静かに暮らせるような場所を創ったのだ。人間も同じ世界を作り出せていることを信じながら。
毎日のように、シェリアは夢を見ていた。人間達が、格差無く生活を続けている様を。
だが、今日の夢はいつもと違った。王政に虐げられた市民と、その市民の上であぐらをかいている王族の光景。その腐った人間界を、旅の途中でアリスと一緒に変えていくという夢だった。




