第1話 出会いと継承
学園がある街から外れた場所、人間の気配がない森の中を魔法学園の制服を着た少女が歩いていた。その少女は視線を少し下に落としており、この森に入ったのも1人で考える時間が欲しかっただけで、偶然見つけたから入ったようだった。
数歩ごとに溜息をついている少女は、魔法学園に入学したその日からほとんどの時間、学園のトップを走り続けていた天才少女だった。そう、昨日までは。
少女は学園を追放されたのだ。理由は単純で、王家側の人間の嫉妬を買ってしまったから。努力家で、奢るには十分すぎる実力を持ってなお研鑽をやめようとしなかった少女に、親の七光り達は強く嫉妬していた。その結果、少女は追放され、少女の家族は偶然ギルド長が街を離れた数時間の間に畑に責めてきた魔物によって殺された。
齢16になったばかりの少女には、受け止めきれない程に残酷な現実だった。
だから少女は、行く当てもなく彷徨ってこの場所に来た。何かに導かれるように。
「あれは……光?」
木漏れ日すら入っていない森の中で、不自然なほど輝いている光を見つけた少女は、まるでその光に誘われるように少し背の高い草をかき分けて進んだ。魔法を使って草を操ることもできたが、そのことすら忘れてゆっくりと進んだ。その先で、少女は神秘的な光景に出逢った。
そこには、広く開いた場所があった。大きな湖とそれを囲うように植えられている背の高い木、さらには小鳥やリス、ウサギや猿等の多種多様な動物が住んでおり、湖の対岸に家が一軒建っていた。少女は、非現実的なその光景に見とれていた。
「……あの家、誰か住んでいるのかな」
少女は、少しだけ顔を上げて歩き始めた。この場所に住民がいるのなら、もしかしたら今までの全てが夢で、この悪い夢から出る方法を教えてもらえるかもしれない。そう、少女は考えたのだ。
家の扉の前に立ち、少女は二回ほど深呼吸をしてから木でできた扉を押した。
「んむ?」
「……え?」
家の中にいたのは、おいしそうに木の実をかじりながら顔だけをこちらに向けている、少女とほとんど同じ顔をした女の子だった。
2人の少女は目をぱちくりさせながら数分間見つめ合った。お互いに初対面のはずなのに、ずっと昔から知っているかのような感覚が拭えない。この状況を頭の中だけで整理することが、お互いにできずに思考回路と体の動きが停止してしまっていた。
「……まずは挨拶から、ですかね。ようこそ」
「え?あ、その……初めまして」
「ここまで遠かったでしょう?椅子なら空いていますから、どうぞ座ってください」
「そ、そこまでしていただくわけには……!」
「ここで出逢えたのも何かの縁です。一緒にお話をしながらご飯を食べませんか?木の実しかありませんが」
「えっと、その……」
「う~ん、そうですね。では言い方を変えましょう。私からのお願いです。一緒にご飯を食べてくれませんか?私、誰かと一緒にご飯を食べるのが久しぶりなので」
「ほ、本当によろしいのですか?」
「もちろんです。こちらにどうぞ」
森の家の主に促され、迷い込んだ少女――アリス・フォーミアは向かい合う位置に座った。机の上にはアリスが見たことのない木の実がたくさん積まれていた。
「ふふっ。こうやって見ると本当に同じ顔ですね」
「そう、ですね」
「……ではこうしましょう」
木の実を食べる手を止め、鼻歌を歌いながら左手を軽く振った。小さな魔力の奔流が、少女の手から空気中に流れ出してオルゴールにも似た穏やかな音楽を奏で始めた。無詠唱で、さらに空気中というあまりにも不安定な場所にも関わらず安定した魔法の維持。何十年も修行しないと身につけられないとされている技術を、さも当たり前かのように目の前でやって見せたのだ。
それによって、アリスの中の疑問はすべて確信に変わった。それと同時に、あの写真を思い出したのだ。魔法を学ぶと決めたきっかけとなった、あの写真を。
「これで少しは落ち着くと思うのですが……あ、他にも――」
「もしかして、あなたが『原初の魔女』ですか?」
「えっと、その……久しぶりですね、そう呼ばれるのは……そうです。私が『原初の魔女』です。もしかして、私の名前も知っていますか?」
「いえ……先生はそれを頑なに教えてくれなかったので」
「……君の先生は、もしかしてフレイザですか?」
「はい。魔法学園に入るために、私に付きっきりで魔法を教えてくださいました」
「そう……」
『原初の魔女』は、少し考えるそぶりを見せてから、懐かしむような笑みを浮かべた。
「そういえば、あなたの名前を聞いていませんでしたね。あなたの名前を教えてもらっても良いですか?」
「あ、アリス・フォーミアです」
「アリス……素敵な名前ですね。ここに迷い込んだと言うことは、何かあったのですか?」
「えっと……聞いてもらっても、いいですか?私1人じゃ、どうしようもなくて……」
「いいですよ。ここには私しかいませんから」
そしてアリスは、今日起きたことの全てを話した。
学園を、冤罪による追放という形で退学させられたこと。
そこに重なるかのようにフレイザが王宮の方に呼び出され、その間に家族が家ごと無残に殺されてしまったこと。
そしてその罪すら自分に被されそうになってしまったこと。
それを払拭するためにフレイザがもう一度王宮に向かい、その間にただただ歩き続けていたらここにいたこと……
溢れ出す涙と一緒に、ぽつりぽつりとこぼし続けていた。
『原初の魔女』は、一切口をはさむことなくアリスの話を真剣に聞いていた。まるで大地の母のような、どんなことも受け止めて優しく包み込んでしまうような、そんな面持ちで。
一通り話し終わったアリスを落ち着かせるように、『原初の魔女』は小さな体を少し乗り出して、アリスの頭を手でポンポンと撫でた。まるで、鏡に向かって現実を嘆いている少女に、鏡の中から出てきた同じ顔の少女が手を差し伸べて慰めているようだった。
「……落ち着きました?」
「はい……なんとか。すみません、急に泣いてしまって」
「ううん、それくらい本気で吐き出してくれたという証拠ですから。気にしなくて大丈夫ですよ」
「ありがとう、ございます……なんというか、不思議な感覚です」
「ふふっ。アリスさん、1つだけ聞いても良いですか?」
「はい。どうしました?」
「アリスさんは、これからどうしますか」
「どう……というのは?」
「今から私と一緒に生きるか、それとも……また人間の世界に1人で戻るのか、です。ただし、私と一緒に生きる場合は1つ、契約をしていただかなくてはなりませんとだけ言っておきます」
アリスは、この二択を悩むことはなかった。アリスにとってあの街は地獄のような場所。味方と呼べる人はフレイザを除いてほとんど存在しないとすら思えるほどに、アリスの居場所はなくなってしまっていた。裏で結託して追い出そうと画策していた王家はともかく、無駄な期待だけを持ち続け勝手に裏切られたと感じている市民や農民すらアリスの敵になっていた。
アリスの目はまっすぐ、『原初の魔女』を見ていた。その意図が何であるのか、誰が見ても明らかであった。『原初の魔女』はずっと奏でていた音楽を止め、机に手のひらを向けて魔法の詠唱を始めた。
「……さ、私の手の上に手を重ねてください」
「はい!」
「それでは……アリスさん、私に名前をください」
「名前、ですか?」
「はい。時間はたっぷりありますから、手を重ねたまま考えてください。その考えは、手を通じて私にも流れ込んでくるので、お互いに納得できると思う名前を口に出してください。それまでは、口に出してはいけませんから注意してください」
「わ、分かりました」
アリスは、恐る恐る手を重ねた。
その瞬間、アリスの中に膨大な魔力が流れ込み始めた。学園では誰にも負けないほどのアリスの魔力量が、本当に微かなものであったと思うほどに。それほどまでに『原初の魔女』の魔力は、果てしなかった。
それでも、アリスは負けなかった。魔力の波を必死に耐えながら、『原初の魔女』が言っていた「名前」を考え続けた。「ヒナ」「シズク」「アリア」……どれも言ってしまえばありきたりで、その場しのぎで考えている名前のように感じていた。「ミーシャ」「マリ」「レイカ」……どの名前を思い浮かべても、アリスは納得できなかった。『原初の魔女』は、浮かんでは消えていく名前達を感じながら優しく目を閉じて待っていた。
消えた名前の数がいくつか分からなくなってきたとき、アリスの中に自然に入り込んできた名前があった。考えを共有している『原初の魔女』は、閉じていた目をゆっくりと開いて問いかけた。
「決まりましたか?」
「はい。お待たせしました」
「それでは……『稀源たる魔に刻む。我サフィールは、命名の儀によってアリス・フォーミアと契約を結ぶ』……ではアリスさん、私の名前を呼んでください。詠唱は魔力を使って伝えますので、ゆっくり、慌てずに」
「はい……『我、アリス・フォーミアが原初の魔に刻む……名は――』」
アリスがその名を口にした瞬間、魔法陣が光り輝いて収束した。『原初の魔女』改め、『シェリア』の胸に魔法陣を形成していた魔力が吸い込まれた。
「……素敵な名前をありがとう、アリス」
「なんというか……めちゃくちゃ悩んでしまって、本当にすみません」
「大丈夫だよ。あとね」
シェリアは、左手でアリスの眉間あたりをコツンと叩いた。
「敬語禁止。私とアリスは契約者なんだから。対等だよ」
「えっと、その……」
「まぁ、すぐには難しいと思うけど、遠慮なんてしなくて良いからね。あと数週間くらいしたら旅に出ないと行けないから」
「旅って、どうしてですか?」
「また敬語になっちゃって……まぁいいか。えっとね、簡単に言うとこの契約は、いわゆる鍵の受け渡しなの」
「鍵?」
「そう。その鍵は寿命の鍵。私と魔王だけが持ってる、創造神からの呪い。寿命の進行を止める、受け継ぎ式の呪い。同じ顔をした相手に、新たな名前を付けてもらうことで受け継がれていくんだ」
「つまり、その呪いは今……」
「そう、アリスの中にある。ごめんね、本当は先に伝えたかったんだけど、厄介なことにこの呪いのことを知っている相手には受け継げないの」
アリスはさっきのことを思い返しながら、シェリアの懺悔とも取れる説明を聞いていた。手を重ね、名前を思案している間に繋がっていたのは鍵を受け渡すためで、おそらく次は自分が同じように同じ顔の他者から名前をもらって鍵を受け継いでいくことになることを、アリスはおぼろげにも感じ始めていた。
「なんとなく、分かってくれた?」
「……本当におぼろげに、ですが」
「うん、今はそれで十分。ねぇねぇ、いろんなお話を聞かせてよ。暗い話だけじゃなくて、楽しかった思い出とかさ」
「……多分つまんないですよ?」
「それはアリスの中で、でしょ?私にとっては、今外で起きている全てが新鮮なんだから」
「そうですね……それじゃあ――」
そして2人は、長い永い旅の出発点に立った。思い出と現実、そして自分がいなくなった時間と自分が取り残された時間、その全てを清算し、「鍵」を完全に受け継いでいく旅。その出発点である森の中にぽつりと建っている家の中で、思い出を話しながら笑っていた。




