第13話 旧友と本音
「んぅ……あれ?朝?」
「おはよう、アリス。よく眠れた?」
木漏れ日が森を温め始めた頃、最初に目を覚ましたのはアリスだった。
「おはよう、シェリア。相変わらず早いね」
「これはまぁ、毎日の習慣かな」
「ふぁ~あ。みんなは……まだ寝てるんだね」
「うん。毎年こんな感じなんだよね……いつもは自分たちで寝る前に家に帰るのに、この日に限ってはみんな私の周りで幸せそうに眠るんだ。長いときはこのまま全員が起きるまでお話会が再開して結局夕方まで続いたこともあったね」
「そんなこともあったんだ。よく覚えてるね」
「忘れるわけないさ。家族との思い出以上の宝物がある?」
「確かに」
アリスはそう言うと、立ち上がって大きく伸びをした。
それと同時に、一番近くで寝ていたにゃーこが目を覚ましてアリスにつられるように大きく伸びをしていた。
「あ、にゃーこおはよう~。良い朝だね」
「おはよう、にゃーこ。寝るの一番遅かったのに早いね」
シェリアの言葉に反応してにゃーこが話しそうになった時、シェリアがこっそりとにゃーこの口に指を当てた。にゃーこは一瞬戸惑った顔で固まったが、すぐに状況を理解して安堵したような表情に変わった。
それから少しして、他の動物たちも起き始めた。起きる時間や起きてから動くまでの時間はみんなそれぞれだったが、起きた後の行動は示し合わせたかのように同じだった。
「……みんななんでシェリアに抱き着いたり、いろんなところに飛び乗ったりしてるの?」
アリスはその光景をただ横から眺めていることしかできなかった。動物たちの表情は、決まって寂しそうだったり、泣いていたりしていた。そして、全員が順番に並びながらじっくりと時間をかけてシェリアと触れ合っていた。
「……そっか。みんなも、同じ気持ちなんだね」
そしてその状況を全く飲み込めていないのは、アリスただ一人だけであった。
そんな時間がしばらく続き、最後の一匹になるころには空が茜色に染まり始めていた。
「……久しぶり、元気にしてた?」
『あぁ。魔女さんはあの時から変わっとらんのぅ。もう50年ぶりか』
その一匹は、まるで長老のような雰囲気を漂わせたサルだった。白くなって立派になったひげや細い目のせいで表情までは読み取れないが、何か懐かしんでいる雰囲気があった。
「そうだね。どう?この森も立派になったでしょ?」
『知っておる。まさかわしも、こんなに立派な森になるとは思ってもみなかったわ。これには感謝してもしきれんのぅ』
「でも、ご隠居人生を宣言したセドリックがわざわざ重い腰を動かすなんてね。何か特別な用でもあったの?」
『とぼけておるのぉ。わしが何も知らんとでも?』
「そっか……じゃあ話は早く終わりそうだね」
『終わらせんぞ?わしが魔女さんに会うのは今日が最後になるからのぉ。少しくらい老いぼれの話し相手になってくれんか』
「最後、最後かぁ。いいよ。私も久しぶりに話したかったし」
『決まりだな。それじゃあ場所を移そうか。そこの……弟子さんや、ちょいと師匠借りてくぞ』
「え?あ、はい。どうぞ」
「そんなわけだから、ごめんね。修行の続きは明日からにするから、今日は一人でお願いね」
「うん……それはそれとしてどこに行くの?」
「二人だけの秘密の場所。それじゃ、行ってきます」
そう言って、セドリックという老サルと一緒に森の木々が密集した場所に入っていった。その背中を眺めながら、完全に置いてけぼりになったアリスはにゃーこの方にゆっくりを視線を動かしてから「ご飯でも食べようか」と話しかけた。
・・・
暗い森の中をセドリックと進んで行く。どこまで連れていかれるかなんて、誘われた瞬間にわかった。私とセドリックだけの秘密の場所。私たちがこの森で初めて巡り逢った、昔は今にも枯れてしまいそうだった巨木の下へと、私たちは歩みを進めていく。会話はない。必要ないのだ、今は。
目的地に着いて、その場所に置かれていた椅子に座った瞬間に、セドリックが口を開いた。
『いつ、この森を出るつもりだ?』
「2月。それまでにあの子は星属性を習得できるからね」
『……変わらんのぅ。わしが聞きたいのはそういうことではない』
セドリックの声色からわかる。これは少し呆れている時の声だ。なんで呆れられてるんだろう。私何か変なこと言ったかな。
『その顔……この際だからはっきり言ってやるぞ?お主はもっと自分を出すべきだ。あの時も、そして今に至るまでずっとだ』
「そうかな……この森で過ごしてきて、結構自分を出せるようになってきたと思ってるんだけどね」
『あぁ、そこは認めておる。でもな、それは自分の強いところだけだ。お主は自分の弱いところを見せたことは一度もない。思い返してみろ。推測も入るが、魔王の前以外で「魔女」じゃない、本当のお主らしく振舞えたことが一度でもあったか?』
「……無いかも」
『そういうところじゃ。ここでくらい、本音で話してくれんか』
「だからこの場所に連れてきたの?」
セドリックは答えない。でも、その反応が答えだった。
セドリックは昔から、不思議と私のことを理解していた。私がこの場所に逃げるように辿り着いたことも、私が魔王と対になっている存在であることも。そしてこの森が、魔法を使うことによって成長していくことも。
だからきっと、全部知っているんだろうな。でも、そのことを今まで言わずに見守ることだけに徹していたのは、それがセドリックの本質なのかな。そのことすらもかなぐり捨てて、今私にそのことを打ち明けてきたと言うことは……
「……少し、魔女をやめてもいい?」
『この場所に来て、わしが一度でもお主を「魔女」と呼んだか?』
「それもそうだね……」
一つ深呼吸。
「私の覚悟が決まったら、出るよ。過去も未来も私も……懸けられるだけすべてを懸けて、歪んだ世界を直す覚悟が決まったら。その覚悟は、あの子が星属性魔法を習得できるまでにするつもり」
『それでいい。やっと、本音らしい言葉が聞けた』
「嬉しそうだね……ねぇ、私からも質問。なんで、今日突然私の前に現れたの?」
『そろそろ、お主の本音を聞いておきたくてね。それにお主、出発前にこんな話をしようとしても嫌がるだろ?あとはまぁ、わしも出発くらいは笑って送りたいんだ』
「でもさっき最後って……嵌めたな?!」
『残念ながら、嵌めたわけではないんだ』
セドリックはそう言うと、少し寂しそうな表情に変わった。久しぶりに見た。これは50年前に、しばらく隠居生活をして私や他の動物たちと話さないようにすると話したときと同じ表情だった。
『わしはな、次いつ起きられるかわからない。森の魔力を通じて何が起きているかは流れてくるが、それは無意識の世界で行われていることでな……だから、実際にその場に立ち会って送り出せるかはわからぬ。でもな。わしは行けなくても、無意識の中で笑って送り出すさ』
「セドリックらしいね。でも、なんで今日は起きてきてたのさ。偶然にしてはできすぎてると思うんだよね」
『……この日だけは意地でも毎年起きるようにしておるからな。一年に一回だけの無理だ。とはいえ、あんな別れ方をした手前で……なかなか顔を出しにくくてな』
「それでも今日は、ちゃんと来てくれたんだね。そっかぁ……」
『最後くらいはな。わしは、どんなに浮世から離れても薄情者になる気は無いからな』
「……それ、知っててやってるなら性格悪いよ」
『事実確認をしているだけだ。まぁ、性格が悪いことは否定せんぞ』
「そういうところだよ、ほんと……」
涙が引いてからあまり時間がたっていないこともあって、「最後」という言葉を聞くたびに今までの想い出が頭の中を駆け巡る。
なんとなくセドリックの狙いはわかる。さっき言われた、「自分の弱いところ」を出させようとしているんだ。人前で涙なんて……少なくとも、人間を率いて魔王から離れた時以降は見せた記憶はない。
思い返してみれば、魔王と一緒に世界を旅していた頃はよく泣いてたし怒ってた。あの頃はきっと等身大の自分を、等身大のまま出していたんだと思う。
『わしはな、お主には後悔してほしくないんだ。これから先、全力で「自分」を表現してほしい。せっかく大切な弟子さんのアリスちゃんに、自由になるチャンスをもらったんだからな』
考えがまとまらなくなってきて、頭の中がぐちゃぐちゃになってきたところにセドリックが追い打ちをかけるように話しかけ続けている。
「……知ってるなら、私のことちゃんと名前で呼んでよ」
『一番最初は本人の口から聞きたいんだがね。教えてくれないか……お主の、大切な名前を』
セドリックはそう言うと、ゆっくりとした動きで立ち上がって私の前に来た。一歩一歩、私が考えの整理ができるように立ち上がるよりもゆっくりと。本当に意地悪だ。
どんな顔してやっているんだろう。きっと、さっきみたいな子供みたいな顔で楽しみながらしているんだろうな。
そんなことを思いながら顔を上げると……
セドリックは、優しく笑っていた。
「……『シェリア』。私の名前は、シェリアだよ」
『シェリア……か。素敵な名前だ』
「もう……!もう!」
もう、ダメだ。
一度でも溢れ始めたらもう止まらない。この気持ちも想い出も、希望も絶望も。その全てが涙と一緒に口から溢れ出て止まらなくなった。
「なんでセドリックは、そうやって優しくするの?昔からずっとそう!私が迷ってたり苦しんでたりする時に限ってそうやって優しくしてさぁ!私が、どんな気持ちで堪えてきたかわかってるの?!」
自分でも何を言っているのかわからない。ただ……ぐしゃぐしゃに涙を拭き散らしながら叫び続けている自覚だけが、かろうじて意識を踏み留めてくれている。
「私は『原初の魔』で、魔女で……だから一人で頑張っていかなきゃって。今まで……今までずっと!今までずっとそうやって来たのに……なんでそうやってさぁ……」
意識の境界線が薄くなって、倒れるようにセドリックの胸に頭を預ける。
「私が、嬉しくなる言葉をかけてくれるの……昔からずっと、変わってないよ。そういうところ」
セドリックは何も話さない。でも、私が何を話しても受け入れてくれる安心感があった。
「……私ね、嬉しかったの。アリスが目の前に現れた時、『あぁ、やっと旅を終えられるんだ』って。でも、でもね……私、怖くなってきちゃったの。私に残された時間がたったの十年……ううん、もう九年しか残っていないんだって実感が少しずつ溢れてきてさ。不思議だよね。ずっと望んでいたはずなのに、いざその時が来ちゃうと怖気づいちゃうなんてね」
だから、もう吐き出しちゃうことにした。私の心の中の、本当に弱い部分を。
この森に来てからずっと望んでいた。『鍵』の継承者が現れる時を。それはずっと本心で、契約を交わした今でも変わっていない。でも……
「覚悟、してたつもりだったんだけどね……なんだか、最初はあった現実味が少しずつ、少しずつ薄れていってるの。体は引き継ぐために動いているのに、心がどこか置き去りになってる感じがして……それで、今日気づいちゃった。もう、始まってるんだって。永遠に続くと思っていたものが、消えていくんだって……それで最終的には、私も消えちゃうんだって……!」
でも、まだ消えたくない。アリスに歴史の話をしている時に、この森にいるたくさんの家族や、大好きな人間たち、それに魔族や魔王たち——そして何より、アリス。私が大好きなみんなと、もう二度と会えなくなってしまう時が来るんだと考えちゃって……その考えから、今の今まで目をそらし続けていた。
でも、それを直視してしまった。直視しちゃったら、もう……戻れなくなってた。
「……話してて、なんとなくわかってきたんだ。私、また逃げようとしてたんだね。弱いなぁ、私って。こんな大事な時でも、無意識で逃げようとしてた。また、『罪』を増やしちゃうところだったんだね」
『……落ち着いたか?』
「うん……ありがとう、セドリック。なんだか、こうやって自分の弱い部分を吐き出せたの久しぶりかも。おかげで……すごい気持ちが軽くなった」
『感謝はいらん。わしはただ、シェリアが少しでも晴れ晴れしい気持ちで残りの時間を過ごしてほしいだけだ』
「それでもありがとう。私、頑張るね」
『うむ。あ、そうだ。今日はここに泊まっていけ。そんな顔で戻ったら心配されるぞ』
「そうさせてもらえると助かる……実は歴史書を書いた日から寝れてなくて……」
『……無茶をしおる。でも、眠らないといけなくなっている程度には人間に近づいているんだな。わしとしては嬉しい限りじゃ』
「もう……さ、いいや。泣きすぎて疲れたし、気持ちがすっきりしすぎてて逆に気持ち悪くて頭ぐらぐらしてるから寝……あっ……!」
眠れるような場所に移動しようと立ち上がった瞬間、視界が歪んでそのまま地面に倒れてしまった。体の感覚がないせいで痛みは感じなかったけど、倒れた瞬間に意識の糸が途切れるように黒い世界に意識が飲み込まれていった。




