鰹のタタキ
ピンポーン
「はーい。」
インターフォンの音に反応して、アリスがウォン!ウォン!と玄関先でドアに向かって吠えている。
「アリス、ほらこっちおいで。」
桔平が呼んたものの、人が大好きなアリスは嬉しそうに尻尾をブンブン振り回しながら、それをガン無視してドアの前から離れようとしない。
「ナッパ、アリス呼んでよ。」
玄関に向かいながら桔平が頼むと、緑菜が奥からアリスを呼んだ。
「アリース!こっちこーい!」
その一言で、アリスは何事もなかったかのように、小走りに桔平の横を過ぎていった。
「ナッパの言うことはきくんだよなぁ。」
桔平は首を傾げていたが、アリス目線だと、桔平は遊び相手で、主人は緑菜といったところか。そうなると、パートナーは万なのかもしれない。こればっかりは、アリスの口から聞くことができないから、推測に過ぎないが。
宅配や来客が来た時は、ペットゲートを閉めてアリスが出てこないようにしている。
アリスは、散歩の途中で小型犬に吠えられただけで、震えながら後ろに隠れた挙句、オシッコを漏らしてしまうくらい気が小さい。遊んで欲しくて飛びかかる可能性はあるが、そうでなければ怖がって逃げこそすれ、噛むようなことはない。それでも大型犬は、飼い主以外に恐怖を与えうるものだし、そうなったらお互いが不幸になるからだ。
「万ちゃんから冷蔵便が届いたよ〜。」
ニコニコしながら桔平がダイニングに戻ってきて、テーブルの上に発泡スチロールの箱を置いた。
「万から?」
「うん。鰹って書いてあるよ!」
「ほう。昨夜は何も言ってなかったけどな。」
万は今、仕事で高知に行っている。
たった1週間なのに、アリスに会えないのが淋しいと言って、毎晩ビデオ通話をしている。面倒臭いことこの上ないが、「礼はする」と言われ、お礼の品に釣られて桔平が承諾した。恐らく、これがその品だろう。
カッターを持って緑菜が戻ると、スチロールのカスを撒き散らしながら、桔平が勢いよくテープを剥がしているところだった。
「おーい、おいおい!こんなに散らかして、アリスの口に入ったらどうするんだ。」
「大丈夫〜。アリスなら放牧してるから〜。」
「そうか、庭に出してるのか・・っておい!だからって汚していいわけじゃないぞ!誰が掃除するんだ。」
「ナッパ〜。」
結局俺じゃないかと緑菜がブツブツ言いながら、掃除機を取りに行くと、
「わ!鰹のタタキだ!藁焼きって書いてある!」
桔平の歓声があがった。
鰹のタタキが、真空パックになって2柵入っている。
「背側と腹側が1本ずつ入ってるな。」
「味は一緒なんでしょ。」
「いいや。腹側の方は脂が乗ってるんだ。内臓を守らないといけないからな。背側はあっさりしているが、旨みが強い。」
「そうなの?じゃあ両方味わえちゃうじゃん。」
他には大型犬用のおやつが3種類と粗塩と『泰作さん』、殴り書きのメモが入っている。
「この『泰作さん』ってお菓子初めてみた。」
「甘党の万が選んだんだ。旨いに決まってるだろう。メモには何が書いてある?」
「なになに・・『藁焼きに勝る藁焼きなし。厚く切って食すべし。さすれば旨きこと、これぞ笑焼き』だってさ。これしか書いてない。」
「ふん。どうせ酔っ払って書いたんだろう。」
「これってこの鰹のことでしょ?・・ねえ、いまから食べようよ。」
桔平が、目をキラキラさせている。
「いいや、ちゃんと礼を言ってからにしよう。」
「きっとまだ仕事中だよ。ね、いいじゃん!せっかく冷蔵で届いてるんだし、早く食べた方がいいって!」
桔平は、ブンブンと尻尾を振っている犬のようだ。なんなら尻尾が透けて見える気がした。
「じゃあ、薬味を買ってこい。」
「やったぁ!」
飛び出していった桔平を見て、緑菜は苦笑した。
「なんだアイツは。アリスと変わらないじゃないか。」
周りを見ると、桔平が散らかしたスチロールカスが、静電気でそこここにくっついている。
「はぁぁ。とりあえず、帰ってくる前に掃除を終わらせるか。」
窓の外を見ると、アリスがお気に入りのサメのソフビ人形で、夢中になって遊んでいた。
「うぉっほ!すっごい匂いだね!煙なんて出てないのに、煙いくらいだ。」
ビニールを切ると、燻された匂いが漂ってきた。柵を出すと、さらに部屋中に匂いが広まる。
緑菜は、両端が細くなった三角柱のような柵を、まな板の上にゆっくりのせた。
錆びた金属のような表面。ギラギラとした光と、コゲや煤。銀色、黒、茶色。でもそれはほんの一部に過ぎない。回転させると、周りは薄茶色に包まれている。まるで木材のようで、一見すると食べ物とは思えない。
「万のメモには厚切りってあったな。」
「うん。厚く切って食すべしって書いてあったよ。ほら。」
桔平がメモを持ってきた。
「藁焼きも厚切りでいいってことなんだな。よし。万の言うとおり厚く切ろう。あんまり薄く切ると、カルパッチョみたいになっちまうからな。」
緑菜は、包丁の刃元から刃先までの全体を使って、手前に引くように一気に切っていく。
「ちょ、ちょっとちょっと!厚いっていっても厚すぎじゃない?2cm近くあるじゃん。」
「これでいいんだよ。向こうでは下駄の歯って言うくらいだからな。」
「へぇ〜。」
感心している桔平を他所に、緑菜は包丁を巧みに使いながら、パン祭りの平皿に刺身を盛りつけていった。
「味の違いがわかるように、背側と腹側を少しずつ取り分けて、残りは両方盛った合盛りにするぞ。合盛りの方は、上に薬味をたっぷりのせて、ポン酢をかけるとしよう。」
「じゃあ僕は薬味の用意しちゃうね。」
そうして、緑菜が刺身を切り終わる頃には、桔平も薬味の用意を終えていた。
「ニンニクの薄切り、刻み生姜、おろし生姜、万能ネギ、玉ねぎの薄切り。大葉と刻みミョウガも用意してみたんだ。これだけ揃えればいいよね。使わなかったら、冷奴用にしよう。」
「そうだな。薬味は応用がきくし、せっかくの刺身なのに、薬味が足りなかったら楽しみも半減だからな。」
緑菜は合盛りの皿に、刺身が見えなくなるほどたっぷりの薬味をのせると、だばだばと惜しげもなくポン酢を回しかけた。
「よし、いただきます。」
「いただきます。」
一切れ一切れが分厚い刺身は、外側が焼き目、その下が火が通った薄茶、さらにその下は明るい臙脂色と血合いとなる深い臙脂色が鈍く光り、さながら木の年輪のようになっている。
「うわぁ!美味しそうだな〜。うっとりしちゃうね。」
まず背側を一切れ取った桔平は、にんにくと大葉をのせて醤油につけると口に入れた。
「う〜ん!あっさりどころか、コクと旨みがすごいよ!刺身を通して生にんにくの薄切りを噛んだ瞬間に、ガツンとパンチが効いた味と香りが鼻に抜けるんだけど、刺身の旨さがそれに負けてないし、甘醤油がさらに味を引き立ててる。」
「ふふん。じゃあ俺は、腹側をいくか。」
緑菜は腹側を一切れ取ると、生姜とミョウガをのせて、おろし生姜を溶いた醤油につけて口に入れた。
「・・うん、旨い。口の中で鰹の脂が溶けて、とろけるような味わいが広がる。脂も嫌な脂じゃないから、変にギットリとした脂が口に残ることはなく、まろやかな味わいだ。にんにくでも良かったが、生姜とミョウガにしたことで、脂の中にも爽やかな風味が広がって、さらに生姜醤油が余分な脂を口に感じさせない。」
「またさ、この藁焼きの感じがすごくいいよね。」
「そうだな。風味というか、燻製を食べた時のような感じがクセになるな。」
「次はこっちの合盛り食べよっかな。」
「いい感じに味が染みてると思うぞ。」
「アリスー!元気かー?良い子にしてたかー?」
万が画面からアリスに話しかけている。
開始した途端これだ。お礼を言う間も与えてくれない。
「ウォン!キュゥゥ、キュゥゥ、ウォン!」
アリスがパソコンの画面を見ながら座ったり立ったりしながらキュンキュン鳴いている。
初日は画面の後ろに回ってみたり、立ち上がったりしていたが、さすがに5日目にもなると、画面から出てこないのは理解したようだ。逆に、ビデオ通話の時間が近くなると、パソコンの近くで座って待つようになった。
「アリス、今日は何してたんだ?ちゃんと遊んでもらったか?」
「遊んでるわい!それはそうと、今日荷物届いたよ。鰹めっちゃ美味しかった!」
「おう、届いたか。」
「藁焼きって、燻製っぽい感じですごくクセになるねぇ。ナッパがメモの通り厚切りにしてくれてさ、お肉みたいだった。もう大満足だよ!どうもありがとう。」
緑菜も横からチラリと顔を出して
「藁焼きは初めてだったが、美味かったよ。ご馳走様。」
と言った。
「いやいや、俺もこっちに来て初めて塩で食ってよぉ。」
「ん?」
「塩?」
「いやぁ、タタキを塩で食うのって、めっちゃくちゃ旨いんだな〜。この歳まで知らなくて、もったいなかったなぁと思ってよ。ほんと、惜しいことしたぜ。」
「タタキを塩で?」
「あん?そうだけど?お前らも塩で食ったんだろ?」
「・・・・・」
「緑菜もいろんな塩持ってるけどよ、やっぱし鰹は、育ったところの塩で食うのが一番旨いだろうと思って、なるべくそっちにないような、メジャーじゃない塩を探して送ったんだよ。」
「・・・塩?」
2人ともで首を傾げていたが、桔平にはピン!とくるものがあった。
「あーーー!!なんか塩入ってた!」
「こっちにいる間に、さんざっぱら塩タタキを食って帰るつもりだよ。あと『泰作さん』な、あれもすげぇ旨いから、」
万の話しを遮るようにして、
「万!もう一度藁焼き送ってくれ!」
「万ちゃん!絶対お願い!お願いします!」
2人は慌ててタタキのおかわりを頼み込んだ。




