豆腐
「今夜は、さっぱりと冷奴にでもするか。」
「そうだね。お昼が脂っこかったから、味噌汁と冷奴で十分かも。」
「油物を食い過ぎると、胃もたれするようになったからな。俺たちも年をとったってことだ。」
「僕はまだまだ若いよ。胃もたれはするけど。」
「ふんっ。ぬかせ。」
最寄り駅から家までは、徒歩30分くらいだ。
家から程遠くないスーパーでもいいのだが、おかずが少ない分、豆腐にこだわりたくなった2人は、少し回り道をして個人経営の豆腐店に寄ることにした。
「あそこのお婆ちゃん元気かなぁ。」
「あの婆さんなら隠居してるよ。もう店先に立つことは滅多にないみたいだが、たまに売ってるオカラの煮たやつは、婆さんが作ってるんだとさ。」
「そうなんだ。隠居するには、まだ早いのに。」
「苦労した分、早めに隠居してのんびり余生を楽しんでもらってるそうだ。」
「なるほどね。誰に訊いたの?」
「豆腐屋の娘だよ。娘っていっても、もう子どももいるいい年したおばさんだけどな。あの店は長女と婿が継いでるんだ。」
「へえ〜。いやに詳しいね。人とあんまり関わらないくせに、珍しいじゃん。」
それについて、緑菜は何も答えなかった。
「今頃、万も帰り道だろう。夕飯を食って帰るか訊いてみてくれ。」
「アイアイサー!緑菜様。」
「なんだか古いアニメみたいだな。」
しばらく歩くと、青い雨よけとショーケースが見えてきた。雨よけには大きく白抜き文字で「とうふ」と書いてある。こじんまりとした店構えだが、昼間はひっきりなしに客が来る。
豆腐屋は朝早いと言われるが、昔は冷蔵技術が発達していなかったから、当日中に売り切るためには早くから開店する必要があったこと、朝食に出来たての豆腐を食べる習慣があったこと、ガンモドキや油揚げを作るための材料である豆腐を用意する必要があること、これらが主な要因だった。
ところが今の時代、朝から豆腐を食べることなどほとんどない。だったら夕方に向けて作り、晩飯で出来立てを食べてもらおうということで、この豆腐屋は昼前に開店して、夜7時まで営業している。ついでに豆乳スタンドとオカラを使ったケーキやドーナツも売り始めた。最初の頃こそ採算が取れずに苦労したようだが、口コミとSNSを駆使した地道な宣伝が功を奏し、今では閉店前に売り切れることもあるほどだ。
豆腐屋の前に着くと、ショーケースを拭いていた女性が
「あら、いらっしゃい。今日は2人お揃いなのね。」
と言って笑いかけてきた。
「今夜は冷奴にしようと思ってるんです。こちらの美味しいから。」
愛想の良い桔平が、人好きのする笑顔で返した。
「ほう。今日はガンモも残ってるんだな。」
肉厚でふっくりとした茶色のガンモドキには、ヒジキや人参の色がチラチラ見える。所々には緑色も見えた。
「そうなの。銀杏抜いて枝豆で作って欲しいって注文が入ってね。多めに作ったのよ。」
「枝豆か。旨そうだ。」
「僕も食べたい!焼いて生姜醤油で食べたらたまんないよね。めんつゆでもいいなぁ。」
「そうだな。万は・・」
「食べるって。」
「じゃあガンモ3枚と木綿3丁頼む。」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!冷奴の豆腐は?まさか木綿じゃないよね?」
「なにか問題でも?」
「いやいやいやいや、豆腐は絹でしょう。」
「なにを言ってる。しっかり大豆の味を味わうためには、木綿に決まってるじゃないか。」
「なんでさ。絹ごし豆腐のつるりと柔らかくて、口の中で簡単に崩れていく儚さ、それでいてフワリと柔らかな大豆の旨味が口の中いっぱいに広がるんだよ。少しのネギと上質な鰹節。おろし生姜をつけても美味しいし、やっぱ絹だよ。」
「絹なんて、柔らかいだけだろう。木綿はなぁ、柔らかいだけじゃなく、しっかりと弾力もあるんだぞ。ネギと茗荷、細切りにした生姜もいい。木綿は薬味に負けない旨味を持ってるから、口の中でほろりと崩れながらも、ちゃんと大豆を主張してくるんだ。こんな芸当、絹にはできないな。」
「本当に繊細な味がわかんないんだねぇ。例えば絹ごしをお湯で少し温めて、たらりと醤油をかける。これを口に入れただけで、柔らかな豆腐が崩れて体中に大豆が染み渡っていくんだよ。たったこれだけで、だよ。」
「お前こそ、なんて味のわからないヤツなんだ。木綿は大豆を意識させる、大豆はこんなに美味いんだと再確認させてくれるんだ。基本の味がしっかりしてるから、ドレッシングをかけてもスイートチリソースをかけても、豆腐の味がしなくなるなんてこともない。第一、絹なんてほとんどが水じゃないか。」
店先で騒いでいるので、他のお客さんがクスクスと笑っている。
「ちょっと、ちょっと・・」
豆腐屋の奥さんが見かねて声をかけようとするが、2人とも顔を向けることすらせずに、話し続けている。
「ちょっと!」
「なんだ?」「なんですか?」
2人は憮然とした顔で返事をした。
「毎度毎度、いい加減にしてよ!他のお客さんもいるんだからね!」
そう言うと、桔平にビニール袋を2つ手渡した。
「はい。ガンモ3枚に絹と木綿。こっちは汲み上げ豆腐。」
「汲み上げ豆腐?」
「最近始めたのよ。作りたてだし、美味しいわよ〜。まだ温かいから、このまま別に持ってってね。」
「いや、木綿・・」
「違うよ、絹ごし・・」
「あぁ、うるさい!つべこべ言わずに好きなの食べりゃいいでしょ。こっちも忙しいんだから、さっさとお金払ってちょうだい。」
そう言われて返す言葉もない。
「悪かった。」「すみません。」
2人でぺこりと頭を下げると、お金を払ってすごすごと家に帰った。
家に帰ると、万とアリスは既に帰っていた。
「は、早かったね。ちょ、ちょっと、アリス・・。」
2人はアリスに交互に飛びかかられて、玄関から中になかなか入れない。
「おうよ。さっき電話をもらった時は、もうこの近くまで帰ってきてたからな。」
緑菜は、隙を狙って脇からするりと上がったので、今やアリスの集中攻撃を受けているのは、両手に豆腐屋の袋を下げた桔平だけになった。
「わ、わかったって、アリ・・ブブッ、アリス、わかったからってぇ!」
クフンクフンいいながらピョンピョン跳ねているアリスに、なす術もなく顔中を舐められまくっている桔平を他所に、緑菜は万と一緒に奥へ入って行った。
「ちょ、ちょっと!助けてよぉ!」
桔平のヘルプに、万が笑いながら顔を出して
「アリス、こっちおいで。」
と声をかけた途端、アリスは今までの執着はどこへやら、踵を返して万の元へスチャスチャと行ってしまった。
「何だよ。僕のことはもういいってこと?」
桔平は少し不満気にひとりごちた。
テーブルには、キャベツの味噌汁と冷奴、ご飯が配膳されている。もちろん、緑菜の冷奴は木綿、桔平は絹ごし。万には、よくわからないまま買ってきた汲み出し豆腐だ。
「な、だからやっぱり木綿なんだよ。なのにコイツときたら。」
「いやだからさぁ、やっぱり豆腐といったら絹ごしなんだって。」
「・・・・・・・」
「だから木綿だよ。」
「いいや、絹だよ。」
「どうでもいいけど、わざわざ飯を食うかと訊いておきながら、なんでおかずが冷奴と味噌汁だけなんだ?」
「なんだよ、贅沢言うな。」
「そうだよ。万の味噌汁には卵も入ってるんだからね。」
「ふ、ざ、け、ん、な。お前らはとんかつ食ってるからいいだろうが、俺は昼飯も食ってないんだぞ。これじゃあ、満腹にはなっても、満足はしねぇよ。」
「昼飯食わなかったのはお前の勝手だろう。ああそうだ、豆腐に夢中でガンモを忘れてたな。」
緑菜が立ち上がって、ガンモドキをグリルで焼き始めた。
「いやガンモも好きだけど、なんかもっとこう油っこいもんない?缶詰でいいからさ」
「仕方ない。こいつを焼いてやろう。」
緑菜はスパム缶を手に取ると、そのまま食うという万に、焼いた方が旨いからと言った。
「焼くだけだ。すぐできるから、気にせず先に食ってていいぞ。」
「悪いな。」
万は、まだほんのり温かい汲み上げ豆腐を手に取ると、ジッと眺めた。
「これって朧豆腐だよな?へぇ、朧豆腐って汲み上げ豆腐とも言うんだな。」
「え?知ってんの?」
「ああ、汲み上げて水切っただけだから、大豆本来の味もするし、水を切りすぎてないから滑らかなんだよ。できたてが格別旨いって言われてる。俺もできたては初めてだがな。」
そうして、箸だと食べにくいからと言って蓮華を持ってくると、何もかけずにスッとすくって口に入れた。
「うおぉっ!旨いな、これ!豆ってこんなに甘いんだな。」
それを聞いた緑菜と桔平も、急いで蓮華を持ってくるとこぞって口に入れる。
「おいおい、お前らが食うのは木綿と絹だろ?」
「これは・・・」
呟いた緑菜のほうを見て、桔平も頷いた。
「次からあそこで買うのは汲み上げだな。」
「そうだね。それもできたてを買うことにしようよ。」
「あそこって、絹ちゃんちか?」
「絹ちゃんちって、あの豆腐屋さんのこと?ナッパがやけに詳しいんだけどさ、万も知ってんの?」
「ああ。あそこには娘が2人いてな。絹子と木綿子っていうんだけど、絹子は緑菜の同級生なんだよ。何回か同じクラスにもなってるはずだぞ。」
「えぇー!?だから詳しかったってこと?ねえ!」
素っ頓狂な声をあげた桔平の問いには答えず、
「まずい。スパムが焦げちまう。」
そう言って、緑菜はコンロの方を向いた。




