【番外編】アフガンの仔犬
万がアリスと出逢ったのは、街外れの小さなペットショップだった。
万の母親は鳥が好きで、可愛がっている青いサザナミインコには、2種類の異なるブランドの餌を混ぜて与えている。小鳥は餌が変わると食べなくなることがあり、小さな身体は体力が落ちるとあっという間に落鳥、つまり死んでしまう。そのため複数の餌を使っておくことで、片方が製造や輸入販売が停止になった場合でも、もう片方で対応できるようにしているのだ。
餌は毎回同じ店で買うのだが、ここのところで片方が販売されなくなってしまったため、母親に頼まれた万が探すことになった。
いくつもの大型店を回ったが同じ物は売っておらず、どこの店員にも、海外製品のため輸入が不安定なのだと言われた。仕方なく別の餌に落ち着きはしたものの、母親は「こっちの方が好きなのに残念ねぇ」と落胆し、インコも心なしかがっかりしているように見えた。以来、大小に関わらずペットショップを見つけると、中を覗いて餌を探すのが習慣になっている。
その日も、たまたま寂れた商店街を通り抜けようとして、一角に小さなペットショップがあるのを見つけた。
「へぇ。こんなところにペットショップがあるのか。」
色褪せた看板には『・・田鳥獣店』という文字が辛うじて読める。
「なに田だ?消えてて読めねえな。」
万は独りごちた。
店の外には、ビニールに覆われた様々なサイズの鳥籠が置いてあり、チイチイと鳥の鳴き声が漏れ聞こえてくる。ペットショップというより、小鳥屋のようだ。
こんな古ぼけた店に、海外製の餌などないだろうとは思ったものの、入らずにはいられない。
習慣とは恐ろしいものだ。
しかし、それだけではない。まるで前世紀を思わせる外観に、万の旺盛な好奇心がくすぐられたのだった。
薄汚れた分厚いガラスの引き戸から中を覗くと、眼鏡をかけて禿げ上がった、明らかに超の付く後期高齢者が店の奥に座って居眠りをしている。
寝てるのに悪いかな。まあ商売なんだし、起こしてもしょうがねぇだろう。
ガラガラガラッと、家の窓を開けるときより大きな音がした。時折りガリッと音がして引っかかるのは、小石でも噛んでるからなのか。
思いがけず
「ダレカキタ ダレカキタ」
と言う声がした。オウムか何か、鳥がひと真似をする時の声のようだが、見回してもそれらしい鳥はわからない。
店主の方は、片目を薄く開けてチラリとこちらを見ると、またぞろスッと目を閉じた。
店内には鳥籠が所狭しと並んでいる。フンと餌と水の入り混じった、鳥類特有の臭いがした。
さっき喋ったのはどいつだ?
順番に見ていくとセキセイインコから始まり、コザクラインコ、ダルマインコと続く。
「さっき喋ったのはお前か?」
ダルマインコに指先を向けると、ヨチヨチと向こうへ行ってしまった。
続いて十姉妹、文鳥、キンカチョウ、カナリアもいる。十姉妹など、ぎゅうぎゅうと団子のようにくっついていて、とても可愛い。
ただいかんせん、セキセイインコからこっち、全ての鳥が成鳥だった。
コイツら、売れんのかな?
成鳥になってしまうと、雛から飼うようには慣れにくい。余計なお世話ではあるが、万は少し心配になった。
突き当たりまで行くと臭いが変わり、そこからは小動物ゾーンだった。
鳥もそうだったが、こちらの方もケージが清潔に保たれている。
ふぅん。あの爺さん、マメなんだな。
感心しつつ端から見ていくと、ハムスター、シマリス、モモンガ、ハツカネズミ、そして隅の一段と奥まったところに犬がいる。
・・・犬。
「え!?犬!?」
圧倒的に場違いで、驚きのあまり二度見した。
脚が長くアンバランスで、中型犬?ほどだが顔がまだあどけない。
ケージから身を乗り出すようにして後ろ脚で立っており、明らかにこちらに興味を持っているであろうものの、鳴くどころか鼻も鳴らしていない。ビー玉の様な透き通った目をして、ただただこちらをジッと見つめている。
「なんでこんなところ、いや、鳥屋に犬がいるんだ?」
『アフガンハウンド』という手書きの札と破格の金額。
犬に詳しくない万でも、あり得ない値付けだとわかる。
「ちょ、ちょっと!親父さん、コイツなんでこんなに安いんですか?」
万が声をかけると店主はスッと両目を開け、すっかり薄くなった眉毛をあげた。
「お前さん、飼うんかい?」
「いや、別にそういうわけじゃないんですけど。」
「なら、どうでも良いだろう?冷やかしは止めてくれ。」
ピシャリとそう言って、また目を閉じた。
「・・・まいったな。」
万が頭を掻きながらそう呟くと、どこかから
「ヤメロ ヒヤカシハヤメロ」
と言う声がした。さっき店に入ってきた時に聞いたのと同じ声だ。
ダルマインコかとそちらを見たが、店主がすぐ横の竹籠に「ほれ、静かにしろ」と声をかけていた。
店主の横には竹籠が並んでいる。縦籠、横籠、メジロ籠。今まで気づかなかったが、その中の一つに、黒く精悍な身体をした鳥がいた。
全身黒い中にあって、目の下あたりから後頭部にかけての鮮やかな黄色と、濃い橙から徐々に黄色味を増した薄橙へと変わっていく艶々としたクチバシが美しい。
「九官鳥か!やあ、コイツが喋ってたんだな!」
久しぶりに見たけどやっぱすげぇな、と万が言うと、店主は目を見張った。
「お前さん、九官鳥知っとるのか。」
「昔、いろいろ飼ってたんですよ。金鶏、銀鶏とかキツツキとか。婆さんも母親も鳥好きなもんで。」
そんなことを喋りながら犬の前に行くと、頭を撫でようと手を差し出した。
スイッ
犬が頭を動かし、撫でることができない。
「あん?」
再び頭を撫でようとした。
スイッ
犬はまたしても頭を動かした。避けたとしか思えない。
「無駄だよ。」
「はい?」
「撫でられない、ってことだ。」
犬は皆、撫でられるのが好きなものだと思っていたから、万にとってそれは意外だった。
「何か理由があるんですか?っていうか、そもそもなんでこの店に犬がいるんです?見た感じ、ここは小鳥と小動物専門の店ですよね?」
万が尋ねると、店主はフンッと鼻を鳴らした。
「その仔犬はな、買った飼い主に返されたんだよ。それでここにいるんだ。」
「仔犬!?これで?」
「なんだ、お前さんアフガンハウンド知らないのか?」店主は目を丸くすると、
「鳥は知ってるくせによぅ。」
そう言ってやれやれと溜息をついた。
「そいつが大人になれば、背中がお前さんの太ももくらいまでくるよ。」
「へぇ、そんなにでかくなるんですね。」
店主は大きく頷くと、話す気になったのか、少し押し黙ってから口を開いた。
「金持ちに取り寄せてくれと頼まれてね。」
「え!ここじゃ犬も取り寄せんですか?」
地味な小鳥屋だと思っていた万は、思わず聞き返した。
「いいや、普段はそんなこたしないさ。たまたま昔っからの友達に、アフガンハウンドの有名なブリーダーがいてね、そいつに頼んだのさ。犬を大事にしてる奴だから、自分が納得できる相手にしか譲らないんだが、古い友達の俺が、息子みたいにしてる奴が飼いたがってるんだって言ったら、お前がそこまで言う相手なら大事にしてくれるだろうからって譲ってくれたんだよ。」
「へえ。そんでこいつを取り寄せたんだ。」
「ああそうだ。後でわかったんだが、その金持ちは、奴に何度も断られてたんだな。だけども、その界隈じゃ有名なブリーダーの犬が、どうしても欲しかったんだろう。俺の前じゃ偽名まで使っていやがったよ。俺は、そんなこたぁ何にも知らなかった。まあ、そんなことコイツにとっちゃ、言い訳にもならんがな。」
そう言って、店主はチラリと仔犬の方を見た。
「ある時ぶらりとやってきて「老舗の小鳥屋はここですか」なんて言いやがんのよ。胡散臭えと思ったね。だけどその後も、ちょくちょくここに通ってくれてな。あの野郎、金持ちなのに驕ったとこなんて一つもなくて、「おやっさん、おやっさん」なんて言って、餌やりだの掃除だのを、しょっちゅう手伝ってくれたんだ。そうなると、だんだん身内みたいな気になってきてよ。鳥も馴れて、カゴに手を突っ込んでも逃げ回らなくなったくらいだ。そいつが、半年くらい経った頃に、アフガンハウンドを飼ってみたいって言い出したんだよ。取り寄せて欲しいってな。俺も昔は犬を扱ってたんだが、もう力が追いつかねぇ。だから、こんな小鳥屋じゃなくてペットショップへ行けって言ったんだよ。それでも、信頼できるとこ、つまり俺だな、から手に入れたいの一点張りでな。もうその頃には、俺も息子みたいに思ってたから、さっき言った通り友達に頼んで譲ってもらったんだよ。もちろん、相応の金を払ってだけどな。」
「それがこの仔犬なんですか?」
その質問には答えず、店主は話しを続けた。
「俺に頼みゃあ、確実に友達から取り寄せると踏んだんだろう。引き受けて少しすると、どこから取り寄せるのか訊いてきたからな。で、3ヶ月になったばっかりのコイツをあの野郎に引き渡したんだが、」
店主は眼鏡を外して目頭を揉むと、レンズを拭き始めた。
「ひと月もたなかった。」
「もたなかった?」
「ああ。ひと月しないうちに「返品だ」って言ってきやがった。相手は生き物だ。返品なんて言葉使うもんじゃねえ。」
店主の声には、僅かに怒りが滲んでいる。
万は、どうしてそんなことになったのか早く知りたかったが、先を急がず店主の言葉を待った。
しばらく口をつぐんでいた店主は、もう一度溜息をつくと、再び話し始めた。
「こんな犬いらねぇってさ。悪さするばっかりで、トイレも覚えねぇって。仔犬なら可愛いと思ってたのに、ふくふくした可愛さもねぇって。頭とケツを何度もぶっ叩いたけど全然覚えねえから、3日目くらいから輸送用のケージに入れっぱなしにしてたんだってよ。有名デザイナーのソファをボロボロにしたとか、ペルシャ絨毯に小便したとか、大事な書類がぐちゃぐちゃだとか言ってたが、何のことはない、ただ面倒を見きれなかったんだよ。まだ仔犬なんだ、悪さもするさ。教えなけりゃ、糞や小便だってその辺にしちまうだろ。見てくれやら、周りに自慢したいってだけで、安易に手を出しちゃ絶対にいかんのよ。命なんだよ。預かるのは自分と同じ命なんだ。」
仔犬に目を向けると、眼鏡をかけた。
「犬は死んだことにするから、返品したことは口外するなって言ってきたよ。もう俺ぁ、腹が立って腹が立って。「とんだ馬鹿犬を摑まされたけど、金は返さなくて良いから」なんてほざいてやがったが、すっかり残らず叩き返してやった。聞けば、気の強い先住犬のチワワもいるらしくてな。仔犬とはいえ大型犬だ、小っこいチワワと同じようには育てらんねぇよ。おまけに、コイツはチワワに何度も噛みつかれてたらしい。前足が傷だらけだったよ。ひでえもんさ。飼い主が殴ってるのを見て、チワワもコイツを馬鹿にしてたんだろうよ。」
「・・・だから頭を撫でさせないのか・・・」
いいや、とでも言うように店主は頭を左右に振った。
「撫でさせないんじゃねぇよ。叩かれないように避けてんだよ。撫でられるなんてことは、忘れちまったのかもしんねぇな。」
店主は机の引き出しを開けて犬用のジャーキーを出すと、よっこらしょと立ち上がり、仔犬に与えた。
「友達んとこに迎えに行った時は、広い庭で兄弟犬達と戯れあっててな。友達が俺んとこまで抱えてきて、コイツは兄弟の中でも甘ったれだから、特に仔犬のうちは淋しがらないようにしてやって欲しいって、そう伝えてくれって言うんだよ。コイツの顔を撫でながら、可愛がってもらえよってな。そんでよ、俺もうんと撫でてやったもんだ。大事にしてもらえよって言って。あの野郎にも可愛がってやってくれって言って渡したんだ。それがよ、たったひと月だよ。たったひと月で、撫でられねぇ犬になっちまった。コイツにも友達にも申し訳なくてよ。合わせる顔もねえ。」
そう言って少し屈むと、犬に向かって「うまいか?」と訊いて笑いかけた。
「来た時はブルブル震えててよ。柔っこくてふわふわだった毛も、見る影もなくボロボロでな。尻尾も下げっぱなしで、ちょっと俺が動いたり物音がすると、小便ちびっちまうのよ。あれから二月経って、ようやく今の様子になったってわけだ。まだ手も舐めてくんねぇけどな。俺は歳も歳だから、もうこんなでかい犬は飼えねぇけど、コイツの命への責任がある。なんとしても、大事にしてくれる飼い主を探さなくちゃなんねぇのよ。」
すると突然、万が手を伸ばして仔犬を抱えあげた。
「あっ!てめえ、何しやがる!」
仔犬は、一瞬逃げるように身体をよじったが、何かを感じたのかすぐにおとなしくなった。
「お前・・・」
仔犬を抱えたまま嗚咽する万を見て、店主は振り上げた拳をそっと下ろした。
家に入ると、緑菜はコーヒーを飲みながら小説を読み、桔平はソファに寝転んで映画を観ていた。
飯は?と訊かれた万は、首を横に振ると緑菜の向かい側に腰を下ろした。
「お前に頼みがあるんだよ。」
「・・・言ってみろ。」
緑菜は、読んでいた本を閉じてテーブルの上に置いた。
「お前、昔デカい犬飼ってただろ?そん時の知り合いとかで、大型犬飼ってくれる人、誰かいないか?」
「何だ、藪から棒に。」
「実は・・・」
今日あった出来事の一部始終を緑菜に話した。
鼻を啜っている万の横にいつの間にか桔平が座り、せっせとティッシュを渡している。
「で、飼い主のあてがないか訊きにきたのか。」
「ああ。」
「何で俺には訊かないんだ?」
「え?」
「だから、何でまず俺に訊かないんだ?」
「えっ・・だってお前、もう犬は飼わないって言ってたじゃないか。」
「別れが辛いからな。でもそんな話しを聞いたら、うちで飼うしかないだろう。」
「そうだよ!早く迎えに行こう。」
立ち上がった桔平に、緑菜は落ち着くように言った。
「待て待て。まずは大型犬を迎え入れる用意が必要だ。足りない物はおいおい揃えるとしても、最低限の物を買っておかないと、連れて帰るわけにはいかないぞ。犬自身にストレスを与えかねん。それから、」
「それから?」
「過去にそんな事があったんなら、昨日今日会ったばかりの人間を信じろと言っても無理がある。まずは3人でじいさんに会いに行くぞ。場合によっては、この家にじいさんを連れてきて、お眼鏡にかなうかどうか確かめてもらおう。犬を飼わなくなって随分経つことだし、安心してもらえるまで何度でも必要な手直しをするぞ。」
そこからの緑菜の行動は早かった。
桔平に運転をさせている間に後部座席でノートパソコンを使い、家の間取り図や見取り図など、店主に説明するための資料を作成した。ハンディプリンターで印刷したのは、店主本人にゆっくり確認させるためだという。
そうして店の近くにある時間貸しパーキングに車を停めると、もうすぐ閉店時間になる小鳥屋に向かった。
「うわあ!なんか昭和〜。」
店の外観を見て喜ぶ桔平の隣で、看板を一瞥した緑菜が
「文字が消えてるな。何と読むんだ?」
と万に尋ねた。
「あ!訊いてねえや。」
「・・・だろうな。」
万ちゃんらしいね!と言って、桔平はケラケラと笑った。
「僕さ、九官鳥に会うのも楽しみなんだよね。実物見るの初めてだよ。」
「おう。艶々してて筋肉質で、綺麗な鳥なんだよ。」
「飼ってたんだろ?」
「ばあさんがな。屁の音まで真似してたぜ。」
そんな会話をしながら、ガラガラと引き戸を開けて店の中に入っていった。




