おはぎ&ぼたもち
「あれ?ナッパ出かけんの?」
大きいくせに甘えん坊のアリスを抱っこしたままソファに座り、やっとのことでテレビを視ている桔平の前を、緑菜が横切った。
「ああ、彼岸だからな。」
「そっか、もうそんな時期なんだね。僕も行ければいいんだけど・・。」
「いや、いい。お前はアリスを見ててやってくれ。」
昨日から、アリスのお腹は少し調子が悪く、動物病院では冷えだろうと言われた。そうじゃなければ、アリスを連れて出かけても良かったのだが。
「ひどくなったら、午後にでも動物病院行ってくるよ。救急のほうならやってるからさ。」
「頼むな。何かあったら連絡してくれ。今日は中日だから混むだろうけど、遅くならないように帰ってくる。」
そう言って、緑菜は家を出て行った。
彼岸には春と秋がある。3月の春分の日を挟んで前後3日が『春の彼岸』、9月の秋分の日を挟んで前後3日が『秋の彼岸』だ。中日は『お中日』とも言い、彼岸の真ん中、つまり春分の日と秋分の日のことをいう。この日は先祖の供養に徹する日とされているから、墓参りをする人も多く、道路も混み合う。アリスの体調のこともあって、緑菜は電車で出かけることにしたのだ。
アリスが珍しく緑菜の後を追わなかったのは、まだ本調子じゃないからなんだろう。
桔平が、よしよしと言いながらクビから背中にかけて撫でてやると、アリスは気持ちよさそうに目を細めた。
重たいことは重たいが、大きさから考えるとなかなか軽い。抱えていてもソファに座っているからさほど苦にならないし、心地よい重さだと桔平は思っている。
小型犬を抱っこして連れ歩いている光景はよく見るが、さすがに大型犬は見かけない。
飼ってみるまで、大型犬も抱っこが好きなんだとは思いもしなかったな。
桔平は、ふとそんなことを考えた。
「アリスごめん。飲み物取ってくるから、ちょっと降ろしていいか?」
長丁場になりそうな予感がして、ペットボトルを取ってこようとしたが抵抗された。
どうやらアリスも、いまの体勢がいいらしい。
「しょうがないなぁ。甘えん坊め。」
苦笑しながら、諦めてもう少し抱えていることにした桔平だったが、アリスの体温と心地よい重さに誘われるようにして、いつの間にか眠りに落ちていた。
誰かが呼んでいる。
「・・う・・ん・・」
懐かしい後ろ姿が見えた。
前にも同じようなことがあったっけ。
桔平が声をかけようとした瞬間
「おーい、起きろー。」
「ほぇ?」
目を開けると、万が顔を覗き込んでいる。
「本っ当、お前さんはよく寝るな。ハッハッハ。」
「あ、あれ?万?」
桔平は目をこすりながら、アリスを抱っこしたまま笑っている万を見上げた。どうやら夢を見ていたらしい。
「ほらよ、土産だ。」
桔平は、ソファに座り直して差し出された紙袋を受け取ると、中身を覗いて歓声をあげた。
「わあ!ぼたもちだ!しかも新倉屋のじゃん!」
新倉屋は、この辺りで有名な和菓子屋だ。寝起きでぼんやりしていなければ、古代紫の紙袋を一目見て気づくはずだった。
「いまの時期だと「おはぎ」だな。彼岸だから買ってきた。」
今日は秋分の日、秋のお彼岸だ。
「秋は呼び名が違うんだっけ。」
「いろんな説があるけどな。今はどっちも「おはぎ」って呼ぶことが多いらしいぞ。」
万はアリスを抱えたまま、床にどっかりと座った。
「でもさ、季節で違うっていうのも、日本らしい心遣いっていうか、なんか風情があっていいよね。」
春の彼岸では、春に咲く牡丹にちなんで牡丹餅ともいう「ぼたもち」と呼ばれ、秋の彼岸では、萩の花にちなんで「おはぎ」と呼ばれる。
実は呼び名だけでなく、「ぼたもち」と「おはぎ」では、使うあんこにも違いがある。
小豆の収穫時期は秋。昔は、今のように品質が管理された長期保存ができなかったため、収穫してから時間経った春は、固くなった皮を取り除いたこしあんが使われた。逆に、収穫して間もない秋は、皮がまだ柔らかいため、皮ごと作った粒あんが使われたのだ。
他にも、中の米が餅米だったりうるち米だったり、両方が混ぜられていたり、さらに、米を潰したり潰さなかったり。地域や家庭によって様々な違いがある。
ただ、いずれにしても共通するのは、ご先祖さまの供養や供物として、彼岸に食べられるということだ。
「緑菜が帰ってきたら、一緒に食おうぜ。粒もこしも買ったから、好きな方を食えばいい。変わり種で、きな粉と胡麻も買ってきたからな。」
万がアリスの首の付け根あたりをマッサージしながら言った。万によると、犬は人の顔を見るために、頭をグッと必要以上に上にあげているから、恒常的に肩が凝っているそうだ。確かに、揉むのをやめると片手を出してねだってくる。
「きな粉と胡麻?そんなの売ってたっけ?」
「今年から売り出したんだとさ。」
「そっか。新倉屋のだったら、きな粉も胡麻も美味しいだろうね。あ〜あ、ナッパ早く帰ってこないかなぁ。」
とりあえずコーヒーでも飲んで緑菜を待とうと、桔平はインスタントコーヒーを2人分用意した。
「僕さぁ、おはぎに関しては、粒あんが好きなんだ。」
「んなこたぁ知ってる。」
「万ちゃんが知ってるのは知ってるよ。だから、僕の分は粒あん買ってきてくれたんでしょ。僕はね、粒あんの理由を言いたいんだよ。」
「はいはい。で、なんでだ?」
「なんでかっていうと、もともと粒あんが好きっていうのもあるんだけど、豆の味がダイレクトに伝わってくるし、ご飯の粒と粒あんの粒が合わさって二重奏みたいになった食感も好きなんだよ。あんこ自体も、豆の皮の部分と中身の部分で味に違いが出るから、いくつ食べても飽きないしね。なんたって、食べたっていう満足感と充足感もある。だけど緑菜は、皮があると野暮ったいとか、滑らかな舌触りのこし餡こそ、洗練された豆本来の味だって言うんだよ。米と一緒に食べても、一体化して上品に食べられるんだってさ。僕に言わせれば、ねっとりしてるだけじゃん。」
「緑菜らしいじゃねえか。アイツは昔っから、こしあん一辺倒だからな。」
「僕には伝統を重んじろとか言うくせに、自分は「ぼたもち」にしろ「おはぎ」にしろ、絶対にこしあんを選ぶんだよ〜。ひどくない?」
「アッハッハッハ!」
下唇を突き出した桔平に向かって、万は笑い声をあげた。
「伝統ももちろん大事だけどな、一番大事なのは、あの世とこの世が近くなるお彼岸に、亡くなった人に思いを寄せるってことだ。故人を偲ぶって言うだろう?そして、「おはぎ」にしろ「ぼたもち」にしろ、仏様にお供えして、亡くなった人があの世で幸せに過ごせるようにお願いする。仏様は、粒あんだからとか、こしあんだからとか、そんなことで文句なんか言いやしねぇよ。なんなら、きな粉でも胡麻でもな。故人が好きだったり、自分が好きなもんを選びゃいいんだよ。食いたくないもんを不味そうに食ったって、亡くなった人も仏様も、喜びゃしねぇさ。と、俺は思うね。」
「そっか、そうだよね。ナッパに何を言われようと
僕は粒あんを選び続けるぞ。」
シュプレヒコールさながら、「オー!」と桔平が右手を掲げたところで、
「やはり万が来てるな。」
と言いながら、古代紫の紙袋を下げた緑菜がリビングに入ってきた。
「3人分買ってきたぞ。桔平がうるさいから、粒あんもな。」
桔平と万は、思わず顔を見合わせて吹き出した。




