八品目 大工の鉄夫
「……ひどい音だったね」
澪は階段の隅で膝を抱えていた。
昨夜、二階の一部が崩れ、天井が剥がれ落ちたのだ。
家は静かだったが、どこか不安定な空気が流れていた。
その日の昼過ぎ、チャイムの音とともに業者が到着した。
「こんにちはー、修理に伺いましたー」
玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは――
「え……」
「おう、澪ちゃんか。……お邪魔するぞ」
作業着姿の鉄夫が立っていた。
木材の匂いをまとったその姿に、澪はほんの少し安心したような顔をした。
「ちょうど良かった、父親さんも呼んでくれるか?」
リビングに、父・母・澪の3人が揃う。
鉄夫は手際よくメモをとり、天井を見上げながら静かに言った。
「これは根本からやり直さなきゃダメだな。補強して……だいたい10日はかかる」
「そんなにかかるの?」
父親が眉をひそめたが、鉄夫は揺るがず言った。
「はい。その間は危ないので、できれば家を空けてもらいたいんです」
「ふん……出張中だからちょうどいいな。来週から名古屋だ」
母親が腕を組みながら呟く。
「へぇ、また“名古屋”ねぇ。どうせ、あの女のとこでしょ」
「なんだよ、急に掘り返して……」
「別に。私はその間、どっか旅行でも行こうかしら」
「勝手にすればいいだろ」
ピリピリとした空気の中で、澪は黙って座っていた。
膝の上の手が、きゅっと握り締められていた。
そんな様子を、鉄夫は黙って見ていた。
やがて父と母は互いに顔をそらし、部屋を出ていく。
ぽつんと残された澪に、鉄夫が声をかけた。
「……澪ちゃん」
「……はい」
「うちに来ないか?ちょうど夏休みだろ?」
「え?」
「修理の間、家には誰もいないんだろ。危ねぇし、何より……そのままここにいさせるわけにもいかねぇよ」
澪は何も言えずに、ただ鉄夫を見つめていた。
少しの沈黙が流れたあと、鉄夫は窓の外を見ながら言った。
「家ってのはな、壊れたら直しゃあいい。
柱が折れても、床が抜けても、ちゃんと手ぇかけりゃ、またしっかり立つようになる」
「……」
「でもな、人の心は……そう簡単に修理できねぇんだ」
鉄夫の声は穏やかだったが、どこか深く響いた。
「俺は、大工だからさ。家なら、直せる。けど……
壊れかけた家族は、簡単には直せねぇ。だからこそ――誰かが支えてやらなきゃなんねぇんだよ」
澪は俯いたまま、唇をきゅっと結んだ。
でも、目の奥が少しだけ潤んでいた。
「ウチなら、飯を囲むちゃぶ台も出てるし、母ちゃんも、それから昭一も良子も和夫も、みんな喜ぶと思うぜ」
「……はい」
その返事は小さな声だったが、はっきりと聞こえた。
玄関のドアを出たとき、太陽の光がまぶしかった。
「10日間だけ……お世話になります」
「おう。遠慮すんなよ。どうせ夏休みだろ?
あいつ(昭一)も、きっと喜ぶわ」
照れくさそうに言いながら、鉄夫は作業車に向かっていった。
澪はその背中を見送りながら、小さく息を吸った。
(ちゃぶ台のある家……そこに、私の居場所はあるのかな)
夏の風が、少しだけ優しく吹いていた。




