五品目 コンビニ弁当
ある日の夜。
蛍光灯の下、澪はひとり、弁当の残りを箸でつまんでいた。
テレビはつけっぱなし。アナウンサーの声が流れても、意味は頭に入らない。
テーブルの向かい側の椅子は、ずっと空いたままだった。
カウンターの上には、母が飲みかけたコーヒーのカップ。父のマグは棚の奥。
いつの間にか、食器棚の中の“家族の分”が減っていた。
澪はふと、昔のことを思い出す。
⸻
まだ中学生のころ。
その家には、いつも人の声があった。
父の低い笑い声と、母の穏やかな口調。食卓は四角いダイニングテーブルで、毎晩、三人で「いただきます」と言っていた。
父は会社帰りにコンビニのプリンを買ってくる人だった。
「今日も頑張ったご褒美な」
冗談めかして言うと、母が苦笑しながらお皿を並べる。
ただそれだけの光景が、当たり前に続くと思っていた。
けれど、ある時期から父の帰りが遅くなった。
「出張が多くてね」と母は言っていた。
最初は心配していたけれど、次第にその言葉のトーンが冷たくなっていった。
食卓での会話が少しずつ減り、「行ってきます」と「おかえり」の間に静けさが流れるようになった。
父がいない時間が増えるにつれて、母も変わっていった。
化粧が少し濃くなり、夜遅くまでスマホを見つめる。
新しい香水の匂いが漂う夜、澪は勉強机の上に身を伏せながら、その音を聞かないふりをした。
ある晩、母が鏡の前でつぶやいた。
「悪いのは私だけじゃないんだから」
澪は何も返さなかった。どう返せばいいのか、分からなかった。
家の中の音が、ひとつ、またひとつ消えていく。笑い声、食器の音、父の咳払い。
残ったのは時計の針の音だけ。それすらも、だんだんと遠く感じられた。
高校に上がっても、その静けさは変わらなかった。
夜は一人でコンビニ弁当を温め、スマホの明かりを見つめながら食べる。
母の帰りは遅く、「お金、テーブルに置いといたから」とメモがあるだけの日も多い。
食後のカップの底には、インスタント味噌汁の粉が少し残っていた。
それを見つめながら、澪は思う。
こんな夜を、いつから“普通”だと思うようになったんだろう。
⸻
ただ最近、少しだけ変わったことがある。
昼休みの教室。
昭一が「母ちゃん、また卵焼き焦がしてきた」と笑っていた。
そんな他愛ない会話に、澪は気づけば耳を傾けていた。
気づくと、胸の奥が少し温かくなっていた。
笑い声が、懐かしい“音”に聞こえた。あのころの食卓で響いていたような。
——もしかしたら
誰かと笑いながらご飯を食べることって、
もう一度、できるのかもしれない。
澪の心のどこかに、ほんの小さな光が灯っていた。




