番外編②「母ちゃん(和代)」
朝。
カーテンの隙間から差し込む陽射しより早く、和代は目を覚ます。まだ家の中はしんと静かで、子どもたちも布団の中。寝間着の上に割烹着を羽織ると、足音を立てないようにそっと台所へ向かう。
味噌汁の出汁をとり、米を研ぎながら「今朝は焼き魚にしようかしら」と呟く。
鰯の干物がちょうどいい塩梅に仕上がっていて、昭一と良子の好きな卵焼きも、ちゃんと食卓に並べる。
台所の窓から見える庭の朝顔が、和代の「今日もいい日になりますように」という心の声に、静かに揺れて応える。
ほどなくして、鉄夫が顔を洗いに起きてくる。
「父ちゃん、お弁当」
「……おぉ」
無口な鉄夫が弁当包みを手に取る。
「事故だけはしないでね。怪我なんかしたら、晩ごはん抜きだから」
「……ったく、はいはい」
やがて子どもたちも起き出してくる。
良子の髪を結いながら、「ハンカチ持った?」「歯は磨いたの?」と声をかけ、
昭一には「遅れないでね。先生に怒られちゃうわよ」と笑いかける。
和夫には帽子を深くかぶせて、「今日もヒーローになるんでしょ? 行ってらっしゃい」と優しく見送る。
玄関先でひとりずつに「いってらっしゃい」と声をかけ、全員が出払った後の静かな家。
ふぅ、とひと息ついてから、和代はまた黙々と動き出す。
午前中は洗濯、掃除、買い出し。
商店街では顔なじみの八百屋や魚屋に「奥さん、いつもありがとうね」と声をかけられる。
物腰柔らかく、どこか抜けているようでしっかりしている和代は、ご近所でもちょっとした人気者。
午後には晩ごはんの下ごしらえ。
今日はみんなの好きな肉じゃがに決めていた。
「お肉はちょっとだけにして……玉ねぎとじゃがいもで甘く仕上げて……」
コトコト煮込む鍋の中、和代の“想い”も一緒に染みていく。
「男の人はね、甘い煮物で疲れが取れるのよ、たぶん……」
夕方、家族が帰ってくる頃には、家中に出汁と醤油の香りが漂っている。
玄関の扉が開く音に、「おかえりなさい! 手、洗ってからねー」と明るい声。
時には誰かが元気がなさそうな日もある。そんなとき、和代は問いただしたりしない。
黙って好物をちゃぶ台に出しておく。それだけでいい。
しばらくして、昭一が帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりー、って……あら?」
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