十四品目 ナポリタン
「お父さんとお母さんに、何かプレゼントしたいんだ」
夕暮れの縁側。
澪はぽつりとそう呟いた。
昭一が蚊取り線香の煙越しにこちらを見て、にやりと笑う。
「よし、じゃあ一緒に選びに行くか。俺、プレゼント選びとか、実は得意なんだぜ」
「……ほんと?」
「うそ。でも、頑張る」
思わず吹き出す澪。
その笑顔は、矢崎家で見せるようになってから、少しずつ自然になってきていた。
⸻
街を歩き回って、いくつかの店を見て回ったあとだった。
「……ねえ、ちょっと疲れたし、もうお昼じゃない?」
澪が立ち止まって、ふっと昭一の顔を見上げる。
「あ、確かに……腹減ったな」
そう言って周囲を見渡した昭一の目に、ひとつの小さな看板が飛び込んできた。
《純喫茶 ラ・モード》
くすんだガラス越しに、木目調のカウンターと赤い革張りの椅子が見える。
「うわ、ここ……見た目、めっちゃ昭和じゃん」
「逆に新しいよね。入ってみよ」
ふたりは顔を見合わせて、そっとドアを押し開けた。
中は、時間が止まったような静けさだった。
アンバー色の照明がテーブルを照らし、壁のジュークボックスから小さくオールディーズが流れている。
「いらっしゃいませぇ~」
エプロン姿のママさんが出迎えてくれる。
ふたりは窓際のテーブル席に腰かけ、メニューを開いた。
「ナポリタンにしようかな。こういうとこ来たら、やっぱこれだよね」
「じゃあ俺も同じので……あと、クリームソーダ」
「え、それも頼むの? 子どもか!」
「え、だって飲みたくなるじゃん! 昭和っぽいし!」
澪はくすっと笑って、「じゃあ私も」と、同じものを頼む。
湯気の立つナポリタンが運ばれてくると、ふたりは自然と無言になって頬張りはじめた。
ケチャップの香り、鉄板の焼ける音、シャリッと音を立てる氷の中のアイスクリーム。
「……なんか、昭和って、いいなぁ」
ぽつりと澪がつぶやくと、昭一は思わず顔を上げた。
その横顔が、妙に穏やかで、大人びて見えた。
⸻
その後、ようやくひとつの小さな雑貨店で足を止めた。
木目のぬくもりある棚に並んでいたのは、昔ながらの手縫いのぬいぐるみたち。
澪の目が止まったのは、小さなクマのぬいぐるみ。
「……これ、昔、私が小さい頃、家族で旅行に行ったときに買ったものと、そっくり」
澪はそのクマをそっと手に取り、微笑んだ。
「これにする。あと、手紙も書こうかな」
昭一は頷き、隣で「じゃあ包んでもらおう」と声をかけた。
プレゼントを大事に抱えながら、澪は少し顔を上げた。
「ありがとう、昭一くん」
「ん、どういたしまして」
――その直後だった。
信号が変わるのを確認して歩き始めた瞬間、
遠くからけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。
「危ないっ!!」
昭一がとっさに澪をかばい、強く地面に倒れ込む音が響く。
プレゼントの袋が宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた。
救急車のサイレンが遠ざかる。
⸻
病院の待合室で、頭に包帯を巻いた昭一と鉄男が所在なげに座っていた。
しばらくして、澪の母親が大きく肩で息をしながら駆け込んでくる。
「娘は!? 澪はどこ!?」
鉄男が立ち上がり、落ち着いた声で説明する。
「手術中です。命に別状はないとのことですが、少し時間がかかるそうです」
「……あの子、バカ……なんでそんな……」
母の手が震えていた。
そのとき、看護師がそっと近づき、小さな袋を手渡す。
「これ、娘さんが握っていたもので……」
袋は泥と擦り傷でボロボロになっていたが、中からは潰れたぬいぐるみと、しわくちゃになった手紙が出てきた。
手紙の文字は、かすれてはいたが、かろうじて読めた。
「昔、家族で旅行に行ったときに買ったこの子と似てるの。
あのときは楽しかったね。
もう一度、笑って一緒に過ごせたら嬉しいな。
お父さん、お母さん、結婚記念日おめでとう」
澪がまだ小さい頃、結婚記念日には必ず旅行へ出かけ、3人で楽しく過ごした記憶が蘇った。
母は、顔をくしゃくしゃにしながらそれを胸に抱きしめた。
「ごめんね……気づいてあげられなくて……」
その時、手術室のランプが消えた。
医師が出てきて、安堵の表情で言った。
「無事、終わりました。ご安心ください」
母はほっと息をつき、病室へと駆け込んだ。
ベッドの上で、澪はまだ目を閉じている。
「ごめん……澪、ごめんね……ありがとう。バカなお母さんで、本当にごめん……」
泣きながら娘の手を握る母。
しばらくして、病室の扉が開き、父親が姿を見せた。
母は、ボロボロのぬいぐるみと手紙を差し出す。
「見て、これ……この子、私達に……」
父は黙ってそれらを見つめ、静かに澪の手を握る。
「すまなかった。……俺たち、大事なものを、忘れてたな」
涙ぐむ母の手と、まだ目の覚めぬ澪の手を握る父。
崩れかけた家族の時間が、ほんの少しだけ――つながった瞬間だった。
枕元には、ボロボロになった小さなぬいぐるみの足。
それは、壊れかけた家族を、もう一度つなぎ直すため、彼女なりの精一杯の“贈りもの”だった。




