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ちゃぶ台の向こう側 (改訂版)  作者: 仙道 神明


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12/20

十一品目 ラムネ

蝉の声がまだ残る夕方。


商店街の通りに赤い提灯が灯り始めるころ、矢崎家の玄関先は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。


「ちょっと澪ちゃん、動かないでね。帯、もうちょっと上……そうそう、そこ!」


母ちゃんが器用に帯を結びながら、ニコニコと笑う。


「良子の浴衣だけど、ちょうどいいわ。あんたの方が似合うわね」


澪は照れたように笑う。いつもの制服姿とは違い、白地に藍の花模様の浴衣が、彼女の落ち着いた雰囲気によく似合っていた。


廊下の端でそれを見ていた昭一が、思わず小さく息を呑む。その横で、良子が肘で突っつく。


「ねえ、昭一。黙って見てるとキモいよ?」


「な、なに言ってんだよ!」


母ちゃんは帯を締めながら笑い、最後にポンと澪の肩を叩いた。


「よし、できた! はい、鏡見てごらん」


姿見の中には、浴衣姿の自分がいた。少しだけ背筋が伸びる。


――知らない自分を、初めて見たような気がした。


「どう? いい感じじゃん?」


良子が聞くと、澪は小さくうなずいた。


「……うん。ちょっとだけ、大人になった気がする」


「はーい、出発!」


和夫が団扇を振りながら先頭に立つ。

父ちゃんは浴衣代わりの甚平姿で、すでに屋台の焼き鳥を狙う気満々だ。


「昭和はな、こういう匂いでできてるんだ」


「また始まった」


良子が呆れながら笑う。


夕暮れの空の下、五人と一人が連なって商店街を歩く。

赤い提灯、射的の音、わたあめの甘い匂い。

そのひとつひとつが、澪にはまぶしく見えた。


「わ、金魚すくいだ!」


和夫が駆け出す。


昭一も後を追うようにして、澪に声をかけた。


「やってみる? これ、意外と難しいんだぞ」


「う、うん……やってみたい」


澪はポイを受け取り、水面に目を凝らす。金魚の赤が揺れる。慎重に差し出すけれど、紙はあっけなく破れた。


「わっ……!」


思わず声を上げると、昭一が隣から手を伸ばして支える。


指先が、少しだけ触れた。


「焦ると破けるんだよ。ゆっくり、な?」


「……うん」


二人の間を、風鈴の音がすり抜けていく。次の瞬間、金魚がすくい上がった。


「やった……!」


「ほら、できたじゃん」


昭一が笑い、澪も釣られるように微笑んだ。


金魚を袋に入れてもらうと、空はすっかり藍色になっていた。遠くで花火の予告のような音が鳴る。


「わーっ、あっちで綿あめ売ってる!」


和夫が叫ぶ。


「母ちゃん、行こ!」


「はいはい、落ち着きなさい!」


みんなが走り出し、昭一と澪が少し遅れてついていく。

人波の中で、肩が何度も触れた。それでも、澪はもう俯かなかった。


屋台の灯が少しずつ消えはじめるころ。昭一がラムネを2本買ってきて、一本を差し出した。


「ほら、冷たいけど、うまいぞ」


「ありがとう……」


澪は栓を押し込む。ビー玉がカランと音を立てた。


その音が、どこか懐かしく響く。


「こういう音、なんか落ち着くね」


「昭和のBGMだからな」


昭一が笑う。

その笑い声が、澪の胸に小さな光を灯した。


そのとき、スマホが震えた。ポケットの中で、短い振動が二度。画面には「母」の文字。

笑い声が一瞬、遠のく。


昭一が横目でそれを見て、静かに聞く。


「出なくていいのか?」


澪は少し迷い、そして首を振った。


「……今は、出たくない」


昭一はそれ以上何も言わず、ただ隣でラムネを傾けた。

しばらくの沈黙のあと、夜空に大きな花火が上がる。


音が胸に響く。

澪は見上げた。


花火の光に照らされた昭一の横顔が、ほんの少し大人びて見えた。


――きれいだね。


声にならない言葉が、胸の奥で弾けた。



帰り道、商店街を抜ける風が、まだ少し熱を含んでいる。

矢崎家に着くと、母ちゃんが満足そうに伸びをした。


「やっぱり夏はいいねぇ。ちゃぶ台なくても、心はひとつだわ」


その言葉に、澪はそっと頷く。


玄関の灯りの下で、袋の中の金魚がゆらゆらと揺れていた。まるで、今夜の記憶を映すように。


そして――


花火が消えたあとも、心の中ではまだ光が続いていた。


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