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ちゃぶ台の向こう側 (改訂版)  作者: 仙道 神明


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11/20

十品目 矢崎家のカレー

昼下がり、雲の合間から夏の光がのぞいていた。

矢崎家の玄関先に立つ八百屋の主人が、手ぬぐいで汗をぬぐいながら笑っている。


「畑で掘ったばかりなんだ。形は悪いけど、うまいイモだよ」


渡された籠の中には、土の香りを残した新じゃががいくつも転がっていた。

母ちゃんが受け取りながら嬉しそうに言う。


「いつもありがとうね。ちょうどカレーでも作ろうと思ってたところ」


その声を聞いた良子が、ぱっと顔を輝かせた。


「やったー! カレー!」


母ちゃんが笑う。


「せっかくだから、澪ちゃんも手伝ってくれる?」


澪は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに頷いた。


「……はい、やってみたいです」



台所は明るく、昼の光が窓から差し込んでいた。

澪はエプロンを借り、少し緊張した面持ちで紐を結ぶ。

鏡の前で軽く結び目を整えていると、背後から気配がした。


昭一は澪の姿を見た瞬間、ふと目が止まる。

袖口を折って、髪を耳にかけた横顔。

思わず立ち止まってしまった。


「昭一、キモいよ」


良子が振り返って言う。


「う、うるせっ!」


昭一はあわててその場を去る。

良子が笑い、澪もつられて小さく笑った。



「じゃあ、まずはじゃがいもを切ってもらおうか」


母ちゃんがまな板を置き、手本を見せる。


「皮を厚くむきすぎるともったいないからね。こんな感じ」


澪は真剣な表情で頷き、包丁を握る。

刃が少し震える。


「手、気をつけてね」


母ちゃんの穏やかな声に、澪の手が止まる。


包丁の感触、芋の重み、流れる水の音。

ひとつひとつが、丁寧に心に沁みていく。


「澪ちゃん、玉ねぎお願い。涙出るかもよ」


良子が笑いながら声をかける。

澪は頷き、玉ねぎを切り始めた。

案の定、すぐに目が熱くなり、涙がこぼれた。


「ほらね。これがカレーの洗礼!」


母ちゃんがそう言って笑い、良子も声を立てた。


その笑い声が、澪の胸にあたたかく響いた。

自分も“その輪の中”にいる。

それだけのことが、少し嬉しかった。



鍋の中で油が弾ける音がする。

人参と玉ねぎ、じゃがいもが次々に入って、木べらで軽く炒められる。

やがて、母ちゃんが数種類のカレールーを開けだす。


「このルーは多めに、こっちのルーは少しで、最後にこの甘口のルーを……」


瞬間、空気が変わる。

香ばしくて、どこか懐かしい香りが台所を満たす。

良子が思わず鼻をひくつかせた。


「いつもの匂いだ!」


「そう、うちの味」


母ちゃんが笑い、鍋をかき混ぜる。


澪はその言葉に耳を傾けながら、自分の中にも“いつもの匂い”ができた気がした。


それは、胸の奥の小さな空白を埋めるように広がっていく。


⸻夕方。


ちゃぶ台の上に、湯気の立つカレー皿が並ぶ。

外では、日がゆっくり沈みかけている。


父ちゃんが一口食べて、目を細めた。


「今日の芋、うまいな。味が深い」


良子がすぐに言う。


「澪ちゃんが切ったんだよ!」


「おお、そうか」


父ちゃんが笑い、母ちゃんも頷いた。


「丁寧に作ると、やっぱり味が変わるんだね」


澪はスプーンを持ちながら、小さく笑った。


「……なんか、甘くて美味しいです」


「澪ちゃん、ウチのカレーの作りかた覚えた?」


良子が聞くと、澪は少し考えながら答えた。


「うん……なんとなくだけど、ルーの配分次第かな」


良子はニヤリと笑い、夢中で食べる昭一の背中を小突いた。


「だって!良かったね、昭一!」


「ブホッ!」


咽せる昭一に父ちゃんが水を差し出す。


「おいおい、カレーは逃げんから、ゆっくり食えよ」


「誰かさんは逃げちゃうかもねー」


良子のとどめの一言に、みんなの笑い声が広がった。

カレーの香りと笑い声が部屋中に広がっていく。

その匂いは、澪の胸の奥にそっと残った。


——それは、


矢崎家に受け継がれていく“家族の味”だった。


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