短篇 「赤プリって?」『台所でせかいをかえる ただいま編』第41話より**
## 【朗読向けナレーション風アレンジ】
**『台所でせかいをかえる ただいま編』第41話「赤プリって?」より**
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妙蓮寺で買った、おでんと唐揚げを、
レンジで温めて、食卓に並べた。
――「明日は、お墓参りに行こうと思うの」
仏壇の前に置かれた父の似顔絵が、
どこか…笑っているように見えた。
父が逝ったのは――
コロナが日本に広まり始める、ほんの直前。
2020年の1月だった。
胸の中に静かに広がった。
あれから、もう……五年が経つ。
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介護ベッドがなくなったリビングは、
以前より少し、広く感じられた。
父の席には、今は哲郎が座っている。
その姿がとても自然で……でも、どこか淋しい。
「来るなら、もっと早く言ってくれればよかったのに」
弟の隆は、ちょっとだけ不機嫌そうだったけれど――
おでんの湯気に、その表情も和らいでいった。
「隆、ちくわぶ、なくってごめんね」
「……別にいいよ」
響香は、思い立って帰省した理由を、
あえて口には出さなかった。
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翌日。
隆はいつものように仕事に出かけ、
母と、私と、哲郎の三人で、お墓参りに向かった。
帰り道、ショッピングモールで昼ごはんを食べることにした。
「昔、お父さんとも、よく来たわ」
懐かしそうに話す母の後ろ姿を、
少し前を歩く哲郎とともに見つめた。
「この色のパンジーが、いいわね」
花壇に目をやる母の横顔に、
――あぁ、私のガーデニング好きは、この人から受け継いだのだ、と
ふと気づかされる。
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花壇のそばを歩きながら、
店先のマネキンよりも、咲き誇る花々に目を奪われる。
親子の会話が、自然と弾んでいく。
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やがて、天井の高いフードコートへ。
注文ができたらベルが鳴るという新しいシステムに、
少しだけ戸惑いながら、待ち時間に聞いてみた。
「十年前と比べて、どう?」
母は少し驚いたように、でも嬉しそうに答えた。
「この二階はなかったわね。
若い人が多くなったし、フードコートも広くなった。
老舗のお店ばかり……やっぱり、豊かになったのね。
花壇も、きれいになったわ」
――老舗?
響香は、心の中で問い返す。
けれど、分厚いメニューをめくってみると、
たしかにどの本店も、銀座や赤坂の名店ばかりだった。
生まれも育ちも横浜の母が、
そう口にする意味が、じんわりと染みてくる。
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若い親子連れたちでにぎわう、フードコート。
そのとき、母がぽつりとつぶやいた。
「霞が関の……赤プリの花壇も、そうだったわね」
――赤プリ?
唐突に出てきたその言葉に、はっとした。
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長年の電話のやりとりの中で、
「霞が関」という地名を耳にしても、
私はいつも、父や母の“検査結果”ばかりを気にしていた。
母が見ていた“花壇の話”なんて……
考えたことも、なかった。
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父の人生は、まるでドラマの主人公のようだった。
「九死に一生を得た」あの日から、
さらに二十年という歳月を生きた。
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「お父さんは心臓が弱いから、ぽっくり行くと思うよ」
母はそう言いながらも、
このリビングで――父は、じたばたと、頑張ってくれた。
働いて飛び回るのが好きだった父にとって、
この狭いリビングでの二十年は、
きっと別のかたちの「挑戦」だったのだろう。
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父の命が救われたのは、霞が関のそばにある病院。
なぜ、近くの病院ではなかったのか?
それは、父なりの理にかなった選択だった。
職場のそばなら、空き時間に診察が受けられる。
一日まるまる会社を休む必要もない。
やがて、母もその病院に通うようになった。
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父が通いはじめたのは、9.11の約二年前。
心臓が止まりかけたのは、たまたま母と一緒に通院していた、あの病院。
それが、命をつなぐ“最初の奇跡”だった。
応急処置の正確さ、素早い搬送――
一歩でも遅れていれば、父は助からなかっただろう。
手術は別の病院だったが、
命を救ったのは、まさに“都市の最前線”だった。
その日付は……2001年、9月10日。
9.11の、ほんの前日だった。
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父が引退したあとも、そして、父が逝ったあとも――
母は、変わらずその病院に通い続けている。
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「立ちっぱなしよ」と電車内でぼやく母に、私は言った。
「席、譲ってもらえないの?」
「若い人、疲れてるのよ。寝たふりしてるの」
……でもね、と母は言う。
「薬の入った袋を、わざと見せるのよ」
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八十を過ぎた今も、背筋を伸ばして立ち続ける母。
もしかしたら、「あつかましいおばさん」と思われているかもしれない。
でも――
バスと電車を乗り継ぎ、往復三時間。
それでも、母は通い続ける。
あの赤プリの花壇のそばへ。
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「赤プリ」とは、かつて赤坂にあった赤坂プリンスホテルの愛称。
いまは姿を変え、別の施設になっているが――
母にとっては、いつまでも「赤プリ」だった。
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そんな母が、ある日突然、宏兄ちゃんに電話をかけた。
久しぶりの母の声に、兄ちゃんはふと感じたという。
……「違和感」を。
そして、北海道にいる私へ、電話が来た。
「認知症って、突然来るものなんだな」って。
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フードコートで私が聞いた。
「赤プリって?」
母は、少し呆れたように言った。
「いやね、赤坂プリンスよ」
――母は、あの花壇の季節のうつろいを、
四半世紀も、見つめ続けてきたのだった。
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三人で並んだフードコート。
メニューの多さも、注文の仕方も、
北海道とはまるで違う景色。
けれど――
百を超えるメニューの中から、
一番コスパがよくて、間違いのないランチを選んだのも、母だった。
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宏兄ちゃんの言った言葉が、胸に染みる。
「電話じゃ……わからないよな」
だからこそ、私も思う。
……電話では、ここまでにしておこう、と。
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「赤プリって?」と尋ねたのは、私の方だった。
どちらが“老い”ているのか、わからなくなる。
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先に食べだした母を見つめながら、
赤い箸袋から、つるりとした木肌の箸をゆっくりと取り出した。
口の中にふんわりと広がる味は、響香には初めて知る店のものだった。
けれど、選び抜かれた老舗の料理にちがいない、絶妙な味と食感だった。
フードコートの窓は広く青空がきらきらと親子づれを照らしていた。
見たことのない赤プリの花壇の色が、
瞼の裏にひろがった。




