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君との恋は塩の柱に  作者: 讀茸


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第八話 夢から醒めて

 夕食後、居間に残ったアルツィマは、ソラニエルから庭での出来事を聞いていた。

 テーブルを囲んで向き合い、どこか重たい言葉を交わす。


「なるほど、魔物か。……人の言葉を話していた、というのは確かな話なんだね?」

「ああ、ボクにも聞こえた。思い出して、忘れないで。そう……サラに語り掛けているように聞こえたよ」


 ソラニエルは躊躇い気味に言う。

 庭で遭遇した魔物にトラウマめいた恐怖を抱いているサラを気遣ってのことだろうが、当のサラはここにはいない。

 夕食を食べ終えるや否や、ここ一週間寝床として使っている客室に戻ってしまった。

 割とお喋りなサラが夕食後すぐに退出しているというだけで、彼女が精神に負った苦痛のほどが伺える。


「人語を解するなら、分類は魔物じゃなくて魔族になるね」


 魔物とは肉体が魔力で構成された生物の総称。

 この中でさらに、人間に等しい、或いは匹敵する知性を持つ種を魔族と呼ぶ。


「それは……ただの分類だろう」

「いや、それがそうでもなくてね。この塩の雪原で、魔物がいるのは理解の範疇だけど、魔族が出てくるのは異常事態だ」


 そう言い切ったアルツィマは、さらにこう続けた。

 魔物とは極めて逆説的な存在である、と。


「魔力は生物に宿るエネルギーだ。命無くして魔力はあり得ない。植物であれ動物であれ、命あるモノには魔力が宿る。でもこれは卵が先か鶏が先か、みたいな話なんだ。まずは生命が先にあって、後からそこに魔力が宿る。僕達は感覚的にそう思いがちだけど、必ずしもそうとは限らない。初めに魔力があって、そこに後付けの命が生まれるとも考えられるだろう?」


 魔力が先か生命が先か。

 アルツィマが語る話はやや難解で、サラが聞いていたなら間違いなく理解を放棄していただろう。

 だが、ソラニエルも魔術師の端くれ。

 彼の語る話は十分に理解できた。


「いや……それは、どうなんだ? 人が子供を産むのは人の意思だろう? それが魔力による結果であるというのは、行き過ぎた運命論のように聞こえるが……」


 ソラニエルはアルツィマの言葉に疑問を示す。

 生物が子供を作るのは、基本的にその生物自身の選択だ。

 愛し合った結果であれ、純粋に生殖本能に従ったが故であれ、魔力があったからという理由で子を作る親はいない。

 魔力という存在が運命のように子の誕生を導くというのは、些か信じ難い話だ。


「そうだね。だから僕達は順説だ。魔力より先に命がある。でも、魔物や魔族は違う。魔力が充満する場所に、後付けのように命が生まれるんだ」


 アルツィマが語ったのは魔物が誕生する摂理。

 魔力とは生命に宿るエネルギー。であれば、魔力のある場所には生命が無ければおかしい。魔力があるなら、そこに付随する生物も存在しているはずだ、と。

 そういった逆説によって、魔物は誕生する。


「塩の雪原に魔物が発生しているのは、ラーヴァイスを襲った塩化現象が魔術的な現象だったからだと見て間違い無い。つまり、この土地に魔物が湧くようになったのは一年前。たった一年で、魔物が人語を解するレベルの魔族にまで進化するというのは、流石に非現実的な話だ。そんなペースで魔族が誕生していたら、人類はとっくに滅びているよ」


 魔物も生命の一種だ。

 一度誕生すれば、その後は自ら繁殖するし、種の進化もあり得る。

 けれど、同時にそのスケールも生物の範疇に収まる。魔物が魔族へと進化するのは、猿が人間に進化するようなレベルの話だ。

 それがたった一年という短いスパンで起こるはずがない。

 ならば、導かれる結論は一つ。


「君が見たという魔族は、初めから魔族として生まれた。魔力から生命が導かれるという原初の段階で、知性を兼ね備えていたんだ」

「それは……あり得るのか? 進化の過程も経ずに知性を持っているだなんて、微生物が言語を喋り出すような話じゃないか?」


 ソラニエルの反論に、アルツィマは一度静かに息を吐いた。

 それは呆れるような溜息ではなく、覚悟を決めるための深呼吸。

 一つ大きく、けれど静謐に息を吐いてから、アルツィマはその言葉を口にした。


「ああ、普通ならあり得ない。でも、ここにはあるだろう? それが成立するだけの土壌……塩漬けにされた意識の集合体、行き場の無い魂の墓場が」


 はっ、とソラニエルは息を呑んだ。

 銀色の双眸を大きく見開いてから、ふっと寂しげに目を細める。

 まるで、夢から醒めたよう。

 いつまでも微睡んでいたいほど幸せな夢から、辛く容赦の無い現実へ。


「なんだ、知っていたのか」


 どこか寂しげな声のソラニエル。

 幸せな夢から醒めた少女は、ひどく哀しい瞳をしていた。


「ホロラーデとは縁があってね。多分、この家の人以上に色々知っているよ」

「ああ、道理で。教えてもいないキッチンの場所を知っているわけだ。じゃあ、初日のアレは……はは、人が悪いなぁ。ボクが塩魔術の使い手だって知ってたくせに」


 ポツポツと語るソラニエルの声は、今にも泣き出しそうな気配さえする。

 彼女は聡く賢い少女であるが故に、自身が無意識の内に避け続けて来たものが何であるか理解してしまった。


「やり直すつもりだったんだ。今度は、普通の姉妹として」

「それは……うーん、そう上手くはいかないんじゃないかな?」

「ああ、うん、そうだ。上手くいかない。全然上手くいかないんだ。……ちっとも、忘れられそうにない」

「まあ、無かったことにはできないよ。消えてくれないっていうのが、この魔術の真髄だから」

「軽蔑するかい? ボク達のこと」

「しないさ。禁じられたものだとしても、誰かを想うことは罪じゃない」

「いや、それもだが……ボクが、ボク達が向き合おうとしなかったこと」

「……そうだね。本来なら非難すべきことかもしれない。でも、責めやしないさ。時には立ち止まることだって必要だ。現実は辛い。たまには夢を見たって良い」


 ツーカーで通じる言葉の応酬。

 この場に別の第三者がいれば、二人が何を話しているのか全く理解できないだろう。


「あれからずっと……ボクは、もう、どうしたら良いのか……」


 ソラニエルは目を覆い、天井を仰ぐ。

 重力に従って垂れる青灰色の髪は、雨に打たれる柳のよう。

 果ての無い悲哀に打ちひしがれるソラニエルに、アルツィマは明るく声をかけた。


「そんなに悲観すること無いよ。罪悪感を感じてるだけ君は善人だ。世の中にはも~っと悪いやつがいるからね。そいつに比べたら、君なんて聖人君主さ」


 アルツィマの気遣いに、ソラニエルはぎこちない笑みを返す。

 天井を仰いだまま歪な笑みを浮かべる彼女は、ひどく苦しそうに見えた。


「魔族が出るのは庭だ。辛いなら近付かない方が良い。大丈夫大丈夫。ちょっとお化けが出たくらい大した問題じゃない。最悪、僕がどうにかするよ」


 暗い感情に囚われるソラニエルとは対照的に、アルツィマは気楽に笑っている。

 それはソラニエルを慮っての態度だったが、彼女の表情が晴れる気配は無かった。


「それじゃあ、僕も客室に戻るよ。どうか自分を責め過ぎないようにね」


 そう言ってアルツィマは席を立った。

 そのまま、廊下へ続く扉へと向かって行く。


「アルツィマ君」


 その背中にソラニエルが声をかけた。

 風が吹けば掻き消えてしまいそうな声で、彼女は小さく呟く。


「庭のアレには……まだ、手を出さないでくれ。アレは、ボク達が向き合わなきゃいけないものだから……」


 その言葉を聞いて、アルツィマは僅かに微笑む。


「分かった。でも無理は禁物だよ」


 優しい言葉を返して、アルツィマは部屋を出る。

 ソラニエルは最後まで、椅子に座ったまま天井を見上げていた。見えしない空を仰ぐように。

追い付いてきた過去が、その指先であなたに触れる

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