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第六話 剣と恐怖

 今から十か月ほど前、ダンケットの商店街にて。


「おい、サラ。いつもその剣引っ提げてんのはどうにかなんねぇのか? あんま物騒なもん持ってると、客がビビっちまうよ」


 商店街で露店を営む店主アベン・ペリーズは、店の手伝いをしていたサラに言った。


「嫌です。こんなのでビビる客は来なきゃ良いんです」

「そうは言ってもよぉ、露店だって客商売だぜ? 危ねえやつがいる店にゃ、普通行きたかねーだろ?」


 きっぱりと拒否するサラに対して、アベンはあくまで冷静に諭す。

 上から目線の説教には断固反発するサラであるが、諭すような理詰めには弱い。

 アベンのように優しさありきで言っているのなら尚更だ。


「…………怖いんです。身を守れる手段が、手の届く所に無いと」


 ボソリと零したサラ。

 その表情と声音に、アベンはハッとした表情を浮かべた。


「サラ、お前は強い。俺ぁ大の大人だが、お前と喧嘩したらボコボコにやられる自信がある。そうじゃなくても、この街の治安は悪かねぇだろ?」

「それは……分かってますけど…………」


 魔力の存在するこの世界において、男女の身体能力差など誤差のようなものだ。

 魔力強化の上手い小柄な少女が、大男を締め上げるなんて珍しい話でもない。

 その点、サラはそういうことができるタイプだ。魔力の使い方も抜群に上手いし、運動神経も相当良い。

 ダンケットのような小さい街に、サラを正面からねじ伏せられるほどの強者はいないだろう。

 だが、その程度で拭えるほど、恐怖という感情は甘くない。

 記憶を無くし、頼れる者はおらず、見知らぬ土地に一人投げ出された少女の孤独。

 剣術という自身最大の武器を手放して外を歩けるほど、サラの精神は強靭にできてはいなかった。


「まあ、良いか。傍から見りゃガキのオモチャだ。誰も気にしちゃいねーだろ」

「なっ! オモチャじゃありません! これは私の、こう、何と言うか……すごい感じのやつなんです!」


 顔を赤くして怒るサラを見て、アベンは低く笑った。


     ***


 一週間の時が過ぎた。

 アルツィマと共にホロラーデ邸を訪れた私は、七日間もの時間をこの屋敷で過ごしている。

 ぼんやりと、時が過ぎるのを眺めるように、惰性の日々を送っている。

 不思議だ。ダンケットで暮らしていた時の私には、何か強い熱があった。

 このままではいけないという危機感。何か現状を変えたいという行動力。そういった動的エネルギーみたいなものが私にはあって、いつも動かずにはいられなかった。

 事実、その熱に従って、私はアルツィマとの旅に出たのだ。

 でも、何故だろう。今はそんな感じが全然しない。ゆっくりと流れる時間が好ましい。このまま穏やかに朽ちていきたい。そんな静的な気持ちになるのだ。

 けれど、物足りないという気はしない。むしろ満ち足りている。

 静かな惰性の日々ではあっても、幸せな夢に微睡むような暖かさがある。

 きっと、それは全部、ソラニエルのおかげだ。

 私はソラニエルと過ごす日常がたまらなく愛しい。


「んー……」


 そんなことを考えながら、私はテーブルのカップを口に運ぶ。

 ずずっと音を立てて紅茶を啜れば、爽やかな香りと甘みが口の中に広がった。


「おいひい」

「だろう? うちには茶葉が大量にあってね、毎日淹れる内に上達してしまったのさ」


 私の感想にソラニエルは満悦そうに微笑む。

 彼女もまた私と同じようにカップの紅茶を啜る。彼女は音をほとんど立てずに紅茶を飲み干した。


「そういえば、今日はアルツィマ君を見かけないね。サラは見てないかい?」

「私も見てません。また屋敷をうろついてるんじゃないですか? どうせ夕飯の時には顔を出しますよ」

「この屋敷はかなり広いんだが……彼もよく迷わないものだね。方向感覚が良いのかな?」

「まあ、塩の雪原を迷わず横断してたくらいですから」


 十五時過ぎのティータイム。私達は雑談に花を咲かせる。

 本当はもっと話さなきゃいけないことや、確かめなければならない事実があった気がするけれど、それが何かを思い出すことさえ億劫だ。

 うん、今は良いや。

 そういうシリアスな話は、とりあえず後回しにしよう。

 ここには私がいて、ソラニエルがいる。同じ目線で言葉を交わして、食卓を囲っている。今はそれだけで良いじゃないか。

 漠然とした焦燥感には蓋をして、私はぼんやりと窓の奥を見た。

 ガラス越しに移るのは塩の雪原。まだ街の形を残したそれは、どこまでも続く白い街並み。

 壮大な塩のアートは快晴の下に佇んでいる。

 まるで、日光を浴びても溶けない雪像みたいだ。


「良い天気ですね」


 ふと、そんなことを口にしてみた。


「うん、良い天気だ」


 何の意味も無い会話。

 無意味で無価値でどうでも良い、こんな言葉のやり取りでさえ、どこか愛おしく思えるのだ。

 姉妹だから、なんだろうか。


「ちょっと歩こうか。ずっと屋敷に籠り切りでは、体にも良くないだろうしね」


 ソラニエルはそう言って立ち上がる。

 今日は気持ちの良い晴天。あたりが一面の塩であっても、外を歩くのは心地が良いだろう。

 屋敷には庭もある。そこを二人で散策しても良い。


「ソラニエルにしては良い案じゃないですか」

「ふふ、喜んでもらえて何よりだよ」


 軽口を叩きつつ、私も立ち上がる。

 ソラニエルと共に部屋の扉の方へと歩きながら、ふと後ろを振り返った。

 部屋の隅、立てかけてあるのは私の長剣。外出するときは肌身離さず身に着けていた長剣が、ふと視界の隅に入った。


「忘れ物かい? サラ」


 扉を開けたソラニエルが訊いてくる。


「いえ、何でもないです。早く行きましょう」


 特に深い理由は無い。

 ただ、一々部屋の隅まで取りに行くのが面倒だっただけ。

 たったそれだけの理由で、私は一年間一度も破ることのなかった習慣を投げ出した。

恐怖すら忘れるほどに、過ごす時間は暖かく

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