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第三十二話 地獄巡り

 全てが終わった塩の雪原で、ソラニエルは倒れ伏すラクルスの容態を見ていた。

 その隣に立ったサライエルは、心配そうに覗き込む。


「どうですか? ラクルス、ボロボロですけど」

「出血は止めた。酷い傷だけど、命に別状は無いだろうね。どれだけ後遺症が残るかは分からないが、少なくとも、左腕はもう……」


 ひしゃげたラクルスの左腕。あまりに原形を留めていないそれが、自由に動くことは二度と無いだろう。

 目や耳などの感覚器官への傷も酷い。目を覚ましたラクルスは、どれだけの機能を失っているのだろうか。


「……そんな顔、すんな…………」


 仰向けに倒れたラクルスが、掠れる声で言った。

 その左目だけが、ほんの僅かに開かれている。


「ラクルス!」


 目を覚ましたラクルスに、サライエルが興奮の声を上げる。

 命に別状は無いと分かっていても、声を聞けるというのは嬉しいものだった。


「勝ったんだろ……? じゃあ、笑ってくれ。あたし達は、ずっと、あんたら二人の笑った顔が見たかったんだ」


 ソラニエルは息を呑む。

 偶然にも、それはレンリテンが死に際に遺した言葉と酷似していた。

 否、偶然などではない。

 同じ願いを口にしたのは、きっと、偶然などではないのだから。


「あたしは寝る。全部終わったら、起こしてくれ」


 そう言って、ラクルスは再び目を閉じた。

 安らかに眠るその横顔は、使命を果たした戦士の寝顔のようにも思えた。

 長い戦いを生き抜いた槍兵は、姉妹の勝利を見届けて、穏やかな眠りに就いた。


「寝ちゃいましたね、ラクルス」

「この人はマイペースだからなぁ。きっと声をかけたって起きてくれない。弟子と同じだ」

「わ、私はそんなじゃないですよ!」


 疲れ切った体を揺らして、二人で笑い合う。

 塩の怪魚討伐をやり遂げた彼女らには、あまりにささやかな報酬の一時。

 だが、二人にとっては千金にも勝る幸福の一時だった。


「あはは、そんなこと言って。僕と旅してる時も、サラは全然起きなかったろう?」


 ふと、後ろから声が聞こえた。

 聞き慣れた青年の声。

 気の抜けるくらい明るくて、馬鹿馬鹿しいほどに優しい。

 そんな声。


「アルツィマ君! 息があるのか!? いや、そんなことより動かない方が良い。死んでもおかしくない傷なんだ。それとも、君自身が治癒魔術を使えたりするのかい?」

「まあ、そうしたいのは山々なんだけど。ちょっと、やらなきゃいけないことがあってね」


 いつもと変わらないような口調でそう言って、アルツィマは空を見上げる。

 果てしない青空。綺麗な空色に澄み渡る蒼天を、アルツィマは薄灰色の瞳で見上げ、それから、すぐ目の前の二人に視線を下ろした。

 その瞳は今までにないほど優しく、愛しく、儚い。

 まるで、少しずつ翼を散らして落ちていく、壊れかけの天使みたいだった。


「アルツィマ? 何するつもりですか……?」


 何か異様な気配をサライエルは感じ取った。

 触れれば崩れてしまうような危うい気配が、アルツィマから漂っていたのだ。

 サライエルの声は泣きそうだった。


「――――希う(こいねがう)


 不意に、アルツィマが口にした言の葉。

 それは詠唱だった。


「――――庭の亡霊、雪原の魚、業火の魂。楔は空へ、骸は地へ。連なる全ては私の指へ」


 練り上げられていく透明な魔力。

 それは、全ての条件が整ったからこそ、紡げる言の葉の群れ。

 ホロラーデ邸の亡霊、塩の怪魚、赤毛の少年の魂。それら全てを正しい形で終わらせることが、その魔術の発動条件だった。

 ホロラーデの呪いに関する全ての清算。それが済んだ今、アルツィマは満を持して約束の魔術を唱える。


「――――贖いは叶わず、償いは届かず、燃え尽きた灰は薪に返らず。私の指は数多の色を壊し奉る」


 アルツィマを中心に溢れ出す光の帯。

 あまりに白く、透明とさえ思わせる光の帯達は、ぐるぐるとアルツィマの周囲を回る。

 廻る光の帯はソラニエルとサライエルさえも巻き込み、二人の体をそっと包む。


「――――されど、私は希う。千切れた鎖に星の光を、損なわれた戒律に一筋の糸を。呪い巡りし血の呪詛よ、我らが罪を裁き給え」


 回り巡る光帯は速度を増し、輪郭を失うほどに加速する。

 やがて、光の渦となった光帯はパチンと弾け、幾つもの光の欠片となった。

 夜空に瞬く星々のように、光の破片が宙を揺蕩う。


「アルツェンゴート・ホーレンハイム」


 高く、右手をかざしたアルツィマ。

 宙に揺れていた幾重もの光の欠片が、彼の右手へと集約した。

 掌に集まった光の欠片を強く握り、その拳を、アルツィマは自らの心臓に当てる。

 穴の開いた胸に、純白の光が注ぎ込まれた。


「三百年……長い間、辛い思いをさせてしまったね」


 そして、アルツィマは呟いた。

 その言葉は誰に聞かせるためのものか。

 白い呟きは風に乗って流れていく。


「アルツィマ君? 今のは……魔術か? 見たこともない種類だが、一体何の――――」

「解呪の魔術さ。分類としては呪詛魔術かな。僕自身を触媒として、ホロラーデの呪いを解呪した。塩の怪魚が生まれることは二度と無い。君達は自由だ。もう、ホロラーデの呪いに囚われることはない」


 明るいアルツィマの言葉。

 その文面はこれ以上ないくらいハッピーな話なのに、ソラニエルとサラは不安げな顔をしていた。


「……アルツィマ君。ホロラーデの呪いは強力だ。いくら君が触媒として優れていても、一介の魔術師がノーリスクで解けるようなものじゃない。……絵空事だよ。今、君が語った話は」

「あはは、そりゃそうだ。だって、この術式を開発するのに三百年近くかかったんだからね。絵空事くらい叶えてもらわなきゃ困る」


 アルツィマは笑っている。

 笑ってはいるのに、その表情がどこか切ない。


「アルツィマ」


 サライエルが彼の名を呼んだ。

 その目は今にも泣き出しそうで、声は今にもひどく震えていた。


「何を、支払ったんですか……?」


 振り絞るように、その問いかけは投げられた。

 曲がりなりにも、彼女らはホロラーデの一族。

 知識という以上に感覚として、ホロラーデの呪いをより深く理解している。

 約三百年という長い歳月を解呪の術式開発に注ぎ込んだアルツィマとは違う形で、彼女らは呪いが何たるかを知っていた。

 誤魔化しは通用しない。否、初めから誤魔化せるはずが無かった。

 ただ、笑顔で終われる方法を、必死に探していただけ。


「別に、大したことじゃないよ」


 胸に純白の光を湛えたまま、アルツィマは言った。


「僕の命。たったそれだけの安い代償さ」


 アルツィマが開発した解呪の魔術。

 それはソラニエルとサライエルに刻まれた呪いを自らに移植し、その肉体ごと消し去るという力技。

 無論、アルツィマの死は免れない。

 呪詛魔術の触媒として最上級であるアルツィマは、余人よりも遥かに呪いに馴染み、強く保持することが可能だった。

 ホワイトエルフである彼だからこそできた、神の呪詛の解呪方法だった。


「何……何言ってるんだ、アルツィマ君? 君が言ったんだぞ? 君がボク達に生きろと言ったんだ。それなのに……君が死ぬ? おかしいだろ、そんなの。筋が通らない」


 ソラニエルは震えていた。信じられないような目で、アルツィマを見据えている。

 それはまるで、受け止めきれない現実の重みに、体が拒絶反応を起こすかのように。

 そんなソラニエルに、アルツィマは優しく言った。


「言っただろう? 誰が死んでも恨みっこナシって」


 アルツィマの言葉に、ソラニエルは息を呑む。

 息を呑んで、吸って、大声で叫んだ。


「違う! ボクは……ボクはこんなつもりで言ったんじゃない! 誰が死んでも恨みっこナシ? そんなの無効だ無効! 君が死んで良いわけあるか! 君が……君がボク達をここまで連れて来てくれたんじゃないかっ!?」


 塩の雪原に慟哭が響き渡る。

 泣き叫ぶソラニエルを見つめながら、アルツィマは自身の胸に目をやる。

 心臓のあたりに灯った純白の光が、少しだけ、膨らんでいるように見えた。


「……泣かないでくれよ。お姉ちゃんだろう? これからは二人で生きてくんだから、ソラニエルがしっかりしないと」


 慰めるように、励ますように、アルツィマは暖かい言葉を贈った。

 また少し、胸に宿る純白の光が、範囲を広げる。

 その光がアルツィマの肉体を侵食し切った時が、彼の最期であるというのは、言葉にするまでもなかった。

 ぽすん、と軽い衝撃。

 サライエルがアルツィマの胸をグーで叩いていた。


「来週、誕生日なんですよ。私とサライエルの、十八歳の誕生日。お酒とか、飲めるようになるんです」


 ぽすん。

 再び、軽い衝撃。


「これから仕事探して、冒険者とか、やったりして、お金稼いで、家とか買って。それで、いつか、結婚式とか……挙げようかなって、思ったりしてたんですよ……?」


 ぽすん、ぽすん、ぽすん。

 柔らかい衝撃が何度も、アルツィマの胸を叩く。

 縋るようにして、サライエルはアルツィマを弱く殴り続けていた。


「なんでっ……アルツィマがいないんですか……っ!?」


 思い描いた未来の数々。

 そこに白い青年の姿は無い。

 いつものような軽口も。馬鹿みたいな冗談も、もう二度と聞けないのだ。


「痛いよ、サラ」

「うるさいっ……!」


 アルツィマに言われても、サライエルは殴るのを止めない。

 やり場の無い悲しみを誤魔化すように、アルツィマの痩躯を殴り続ける。

 そんなサライエルにアルツィマは少しだけ困った顔をして、彼女の両肩をそっと掴んで、ゆっくりと自分から引き離した。

 アルツィマ・ノートという存在が、彼女らにとって過去となれるように。

 心臓のあたりから侵食を続けた純白の光は、やがて、アルツィマの胴体を覆うほどに広がっていた。

 終わりが近いと悟ったアルツィマは、最期に二人の姿を目に焼き付ける。

 これで最後だというのに、ソラニエルもサライエルも泣いていた。


「そんなに悲しむことないよ。こう見えて三百十二年も生きたんだ。十分過ぎるほど長生きさ。……大丈夫、古い友達と地獄を巡る約束をしてるからね。きっと愉快な旅になるぞう」


 アルツィマは別れの言葉を告げて、二人に向けて笑いかける。

 アルツィマの肉体は、白い光の粒となって消えかけていた。


「さようなら。人生の最後に、君達と会えて良かった。いつまでも幸せにね」


 ありきたりな台詞を残して、アルツィマは完全に消失した。

 頭から爪先まで白光に覆われ、粒子となって砕け散った彼は、二度と帰ることはない。

 ただ、きっと地獄で待っている、友との約束を果たすのみ。

さよならは、目一杯の笑顔で

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