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第三話 残存する白

 アルツィマとサラは塩の雪原を歩いていく。

 どれだけの時間をかけたか。どれだけの夜を明かしたか。

 どこまでも広がる白い大地を、気が遠くなるほど長い道のりを、ただひたすらに歩いていく。

 既に出発した街も見えなくなり、視界に映るのは塩と空と太陽、後は少しばかりの雲ばかり。

 白紙になったような真っ白な世界で、皮肉なくらい空は晴れ渡っていた。

 どこを見渡しても同じ景色。右も左も前も後ろも同様の景色が見える雪原で、サラは一つの不安に思い至った。


「これ、方向分かるんですか? どっち見ても塩ばっかりですけど」


 塩の雪原には座標を示す目印が無い。

 どこもかしこも同じ塩ばかりが広がっているから、自分達のいる位置を確認する術が無い。


「確かに、景色に変化が無ければ、自分がどこを歩いているか分からなくなる。慣れた人間なら太陽の位置から方角を割り出したりできるんだろうけど、僕にそんな技術は無いしね」

「じゃあ、どうして――――」

「でもね、本当はあるんだ。景色の変化も、場所を示す目印も」


 そう言うと、アルツィマは足下に視線を落とす。

 彼が踏みしめる白い大地は、僅かな傾斜を残していた。


「ここは少し上り坂だね。上り切ったら平坦な道になるんだけど、あそこは道が悪いんだ。きっとデコボコしてる。あっちの方は確か丘になってたかな。街を出たあたりの所は歩きやすかったなぁ」


 塩の雪原は一見して、どこにも同じ白が広がっている。

 しかし、そこには僅かな傾斜があり、微かな凹凸が残っていて、些細な起伏が生きている。

 普通なら気にも留めないような地形の変化、ここがまだ塩の雪原ではなかった頃の何かの名残。

 それがアルツィマには見えていた。


「塩の雪原が出現したのは一年前。それより以前、ここは大きな都市だったと聞いています」


 サラはそんなことを口にした。

 塩の雪原が突如としてこの地に誕生する前、そこは豊かな都市だった。

 魔術研究の進んだウィゼルトン公国内にあって、国内でも有数の魔術都市。

 一般的な知名度はそこそこだが、一部の魔術師からは根強い人気を誇った魔術研究の名所だ。


「白の都ラーヴァイス。今とは違う意味で、白って言葉が使われてた。近くで白い石材がたくさん採れるから、建物は専ら白かったんだ。綺麗な所なんだけど、ここを統治してた貴族が変わり者でね。観光地として売り出せばウケただろうに、魔術研究にばかりお金を使うんだ。おかげでラーヴァイスは魔術師に人気の穴場スポット。大人気観光都市にもなれたはずが、変人だらけの魔術都市さ」


 アルツィマは楽しそうに、かつての都について語る。

 今は塩の雪原と化した都市。その思い出を意気揚々と語るアルツィマは、子供のように無邪気に笑っていた。


「アルツィマは……ここに住んでいたんですか?」

「うん、故郷ってわけじゃないけど、個人的には思い出深い場所かな。結構長い間、ラーヴァイスにいたと思うよ」


 サラの問いにアルツィマは首肯を返す。

 アルツィマがラーヴァイスに縁の深い人間だと知り、サラはさらに言葉を続けた。


「ラーヴァイスが塩の雪原になったのは一年前。私の記憶も一年前より以前が無い。……私は、もしかすると――――」


 言葉を紡ぎ切る前に、口ごもるサラ。

 彼女が言わんとしていたことも、何故彼女が口ごもったのかも、アルツィマは何となしに察していた。


「塩の雪原発生時に、ラーヴァイスの住人は大量に行方不明になっている。……まあ、今僕達の下にあるのが、彼らでないとは言えないね。都市一つが塩に変わったんだ。人だけが例外だとは考えにくい。当時の人からすればショッキングな出来事だろう。衝撃で記憶が飛んだというのも、あながち無い話じゃない」


 つまり、サラは元々ラーヴァイスの住人だったのではないかという話だ。

 ラーヴァイスが塩の雪原と化した時、サラは命からがら逃げることができたが、あまりのショックに記憶喪失に陥ってしまったと。

 その仮定が真実であれば、彼女の故郷も友人も家族も、全ては塩の柱と化している。

 サラという少女は、記憶ごと全てを失ったのだと。

 そんな真実を想像したサラは、唇を噛んで俯く。


「少なくとも、僕がラーヴァイスで君を見かけたことは無い。結論を出すには早すぎると思うよ。それこそ――――」


 俯くサラに声をかけ、アルツィマは前方を指差す。

 アルツィマに釣られて顔を上げたサラ。

その双眸に映ったのは白い街。どこまでも続く白い大地に、建物群のシルエットが浮かんでいた。


「アレを確かめてからでも遅くない」


 長い長い旅の果て、無限の白が支配する世界に、彼らはついに街を見つけた。


     ***


 アルツィマが指差す先、サラはそこに街を見た。

 視界を満たす一面の白。その中に確かに街のようなシルエットが見える。

 急ぎ足で近付いてみれば、それは塩の街とも言える風景だった。

 塩の家屋、塩の広場、塩の像、塩の店、塩の柵。あらゆる全てが塩で構成された街。色彩は相も変わらず真っ白だが、そこには確かに街の形が残っていた。


「これは……街の形が保たれてる?」

「うん、そうだろうね。ラーヴァイスが塩の雪原と化した……名付けるなら塩化とも言える今回の現象。このメカニズムは大きく二つのフェーズに分けられる」


 アルツィマは説明口調で、サラの前で指を立てた。

 老成した教授のような語り口で、アルツィマは滔々と考察を語る。


「第一フェーズでは街を構成する物質を塩に変える。第二フェーズでは塩になった物質の形を崩す。見ての通り、ここでは第二フェーズの方が機能してない。塩化の機能が減衰しているんだ」


 アルツィマの説明を聞いたサラは、疑問顔で首を傾げた。


「私達、街から塩の雪原の方に歩いて来ましたよね? 塩の雪原の中央に行くほど塩化の効果が薄くなってるってことですか? 普通に考えたらありえないんじゃ……」

「そうだね。普通ならありえない。ラーヴァイスの塩化がどんなメカニズムで起こったにせよ、普通は中央から外縁に向かって効果は進行する。つまり、塩の雪原中央部には、塩化の効果を減衰させている何らかの要素がある」


 サラの疑問に対して、アルツィマは難しい回答をする。

 アルツィマの意図を完全には理解できず、サラはさらに首を傾げてう~んと唸った。


「この先に何かがあるって話さ。今からそれを見に行こう」


 アルツィマは話を平たくまとめ、ずんずんと先へ進んでいく。

 少しも迷うことなく、初めから進むべき道が分かっているかのように、どんどんと塩の街を歩いていく。

 その軽快な足取りは、歩き慣れた場所をゆく人間のそれだった。

 半歩先を行くアルツィマを追うようにして、サラも塩の街を進んでいく。

 故郷にいるような自然さで歩くアルツィマとは対照的に、サラは奇妙な塩の街を見渡しながら歩いていた。

 小さな通りを抜け、路地裏を進み、大通りを横切って、ふと通りがかった広場。

 塩だけで構成された真っ白な広場で、サラは不思議なものを見つけた。


「これ……銅像ですか?」


 広場の端、家屋の陰になって日の当たらない所に、白い人型の像があった。

 塩で形作られた人型のオブジェ。戦士然とした服装の女性。槍を構えるその姿は、精巧に作られた白い彫刻のよう。

 その正体をサラは塩化した銅像だと認識した。


「いや、僕の知る限りこんな所に銅像は無かった。かなり前の記憶だから確かなことは言えないけど、銅像を作るにしたってこんな隅っこじゃなくて良いはずだ。――――人間だろうね。塩化されても形を保ったままの」


 アルツィマの言葉にサラは目を丸くする。

 真っ白な塩の塊と化して固まる像が、実在した人間だと信じ切れない様子だ。


「でも……今まで人なんて一人も見てないじゃないですか?」

「ああ、見てない。塩化の程度は個人差があるのか、それとも……塩化の効果を減衰させる方法をこの人は知っていたのか」


 塩化の効果を減衰させる何らかの要素。

 アルツィマが考察するそれは、そこかしこにヒントを残しながらも、肝要な部分には触れさせない。

 想いを馳せるような表情で遠くを見るアルツィマに、サラは怪訝そうな視線を向けた。


「一人で難しいこと言わないで下さい。そもそも、アルツィマは何のために塩の雪原に来たんですか?」


 サラは頭の出来が良い方ではない。

 小難しいことが苦手で、大抵のことは力技で解決するタイプの人間だ。

 延々と思考を重ねるアルツィマに耐えきれず、サラはストレートな質問をぶつけた。


「何のために、か……」


 サラの投げた問いに、アルツィマは反芻するように呟く。

 絡まり合った思考が解けて、原点を思い出したような涼しい感覚。

 そんな清涼感に身を浸しながら、アルツィマは足を止めることなく、口火を切った。


「古い友人と約束をしたんだ。その約束を果たしに来たんだけど、少し見ない内にラーヴァイスはこんな殺風景な場所になってしまってね。大事な約束だから、反故にするわけにもいかず、こんな所まで来てしまったというわけさ」


 アルツィマとサラは白い街を歩く。

 彼にとっては見慣れた景色。彼女にとってはかつて見慣れていたはずの景色。

 抑揚の無い白に染まった街の風景は、馬車の車窓から見る景色のように、どこか遠くに流れていく。


「その友人、絶対塩になってますよ。死人との約束に何の意味があるんですか?」

「それを言うなら、君も似たようなものだろう? 塩の故郷には何の意味も無いはずだ」


 アルツィマの返答にサラはむぅと頬を膨らませる。

 互いに、明確な目的を持ってここに来たわけではない。

 どこかに置き忘れてしまったものを取りに行くような、曖昧で不確かな原動力で塩の雪原を進んでいる。


「待ち合わせ、どこなんですか?」

「もうすぐだよ」

「もうすぐってどこですか? 歩き詰めでおかしくなりそうなんですよ、こっちは」

「ホロラーデ邸。ラーヴァイスを統治していた貴族の屋敷だよ。もう数分も歩けば見えてくる……ほら、あそこだ」


 高い建物が並ぶゾーンを抜け、不意に開けた視界。

 そこにそれは建っていた。

 以前と全く同じ姿、全く同じ形と色で、同じ所で待っている。


「はは。……なぁんだ、前と全然変わらないじゃないか」


 白い石材を基調として造られた大きな屋敷。その外装はアルツィマがかつて見た時と何ら変わり無い姿でそこにいる。

 塩になどなっていない。

 その色合いは白くとも、それは無機質な塩の白ではなく、人の手で積み上げられた石の白。

 長い旅の果てに辿り着いた白い屋敷。

 その純白を見上げるサラは、気付けば足を止めていた。

 大きく見開かれた瞳で屋敷を見据え、呼吸さえ忘れてその姿形に見入っている。

 そして、自身に喉があると思い出したかのように、こう言った。


「――――私、ここに来たことあります」


 記憶が無くなろうと、魂が覚えていた。

 白く塩化された世界ではない、初めて肉眼で見るラーヴァイス。

 その光景は確かにサラという少女の中に残っていた。


「ああ、行こう」


 そんなサラにアルツィマがかけた言葉はシンプルな一言。

 たった一言だけを伝えて、アルツィマは歩き出す。すぐにサラもその後に続いた。

 白い砂漠を渡り切り彼らが辿り着いたのは、塩の雪原で唯一、かつてのラーヴァイスの姿を遺す場所だった。

色褪せど、変わらないまま

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