第二十一話 星空、生まれた意味
夜、アルツィマが張った結界内で眠った四人。
目が覚めてしまったソラニエルは、何となく塩の街を歩いていた。
アルツィマの結界は出入り可能な扉が備わっていたため、ソラニエルは普通に結界外へと出られた。
当ても無く真っ白な街を歩く。星空の下に横たわる純白の都市は、どこか幻想的な雰囲気さえあった。
「こんな時間に散歩かい? ソラニエル」
聞こえた声に振り向く。
そこにいたのは、純白の青年。透き通る白肌に、滑らかに流れる白髪。瞳さえも限りなく白に近い薄灰色をした彼は、運命的なまでにこの景色に馴染んでいた。
「たまには一人の時間が欲しいのさ。昼間はサラが離してくれなかったからね」
特段一人になりたかったわけでもないが、何となくそう答えてしまった。
多分、この真っ白な風景に浸っていたのが、恥ずかしかったのだと思う。
禁忌を犯した末に生まれたこの白風景さえ、今は愛しく思っているだなんて、あまりに馬鹿げているから。
「それは邪魔したね。でも、こんな時間に出歩くと危ないぞぅ。魔物にパクっと食べられちゃうかも」
アルツィマはおどけて言う。
初めはふざけているようにしか見えなかったこの態度も、今は彼なりの優しさなのだろうと思う。
いや、ずっと彼の優しさに助けられてきたのだろう。
アルツィマは呼吸をするような自然さで、ソラニエルとサラが犯した罪を赦していたから。
「アルツィマ君……君は優しいな。ボク達の問題にここまで巻き込んだのに、嫌な顔一つしない」
「ふふん、まあね。大人は子供の面倒を見るものなんだよ」
ソラニエルの素直な称賛に対して、アルツィマは誇らしげに胸を張る。
どこか子供じみた仕草だが、どことなく似合っているのは、彼の人並外れた美貌故だろうか。
「はは、大して歳も変わらないだろう?」
「いやいや、僕の方がずっと大人だよ。何せ、今年で三百十二歳になるからね」
「なんだ、それ。そんなはずが――――」
長命種。
その単語がソラニエルの頭に浮かぶまで、そう時間はかからなかった。
百年単位の寿命を持つ種族は存在する。アルツィマがそうでないという理屈は無い。
そもそも、ソラニエルはアルツィマ・ノートという人間について、何も知らないのだから。
言葉を失い固まるソラニエルに、アルツィマは雑談を続けるような軽い口調で、あっさりと自身について話す。
「エルフだよ。最近は大分数を減らしてるから、珍しいだろうけどね」
エルフ。
それは悠久の時を生きる種族。ほとんど永遠に近い寿命を持ち、魔力の扱いに長けた長命種。
アルツィマがエルフだとすれば、三百を超える年齢も、二十歳前後にしか見えない外見も説明が付く。
ただ一つ残る疑問は彼の耳。エルフの耳は尖っている。最も分かりやすいエルフの外見的特徴だ。アルツィマのそれはやや長めだが、あくまで人間の範疇に収まっている。
「でも、君の耳は――――」
「尖ってないだろう? 僕はエルフの中でも欠陥品みたいなものでね、耳も尖ってないし魔力との親和性も普通のエルフほど高くない。おまけに先天性色素欠乏症、いわゆるアルビノってやつさ」
先天性色素欠乏症とアルツィマが言った時、ソラニエルはどこか腑に落ちる感覚を覚えた。
アルツィマの色彩はあまりにも白に偏っている。整った顔立ちのせいで純白の美貌と称えられるそれも、本来ならば病に分類されるレベルのものだ。
「アルビノは呪術の触媒として最高級。それも魔力に馴染んだエルフなら尚更だ。若い頃は悪いやつらに目を付けられてね、何度死にかけたか分かったもんじゃない。僕を冷凍保存しようとしたやつもいたくらいだよ」
まるで武勇伝かのようにアルツィマは語るが、とても笑える話じゃない。
呪術。現在は呪詛魔術に分類されるそれは、明確に人を傷付けるための技術だ。
殺し、犯し、苛み、呪うための魔力技法。それを生業とする者も自然、アウトローに偏った人物が多い。
質の良い触媒を仕入れるために、手段を選ぶような連中だったとは思えない。
「死にかける度に両親を恨んだよ。どうして、姉弟で子供なんて作ったんだ、ってね」
近親間の結婚は、ホロラーデに限らず、多くの社会でタブーとされている。
近親相姦で出来た子供は、生まれつき病を持っていたり、奇形児であったりする場合が多いからだ。
先天性色素欠乏症は、その代表的な例と言える。
アルツィマは姉と弟の近親相姦の末、アルビノとして生まれ、呪術師達に狙われる凄惨な人生を送ったわけだ。
そんな彼が今、ホロラーデの人間と寝食を共にしているのは、運命的な何かを感じさせる。
「それでも、僕は生まれて良かった。僕の母と父がしたことは禁忌なんだろうけど、その結果生まれた僕の人生まで間違いだったわけじゃない。だって、ほら、生まれてこなかったら、この星空も見れなかったわけだろう?」
アルツィマは夜空を見上げて、楽しそうに語る。
その目は旧友を懐かしむ老人のようで、星に手を伸ばす子供のようでもあった。
「だから、君達も笑って良い。禁忌しか選べない人生でも、その中で楽しく生きて良いんだ。せめて、最後に残された時間くらいは、楽しく笑って良いんだよ」
ソラニエルとサラの呪いは今も進行している。
だから、それが再び発動する前に死ぬしかない。その死に場所には、きっと一年前に犯した禁忌の清算が相応しい。
そんな理論で、ソラニエルとサラは終わりに向かっている。塩の怪魚と刺し違えるつもりでいる。
最悪の人生だろう。間違いだらけの人生の果て、これ以上間違えないように死ぬ。
そんな破滅的な結末を最悪と呼ばずして何と呼ぶのか。
それでも、全てが全て間違っていたわけじゃない。
どうしようもない暗闇の中、夜空に浮かぶ星の一つくらいはあったはずだ。
何かもが崩れていく日々の中、たった一つ幸福だと言える恋があったはずなのだ。
何もかもが間違いで、真っ暗な禁忌に落ちていくしか無いのなら、唯一の光を大事に抱きしめていたって良い。
終わりに向かう彼女らに残された最後の猶予くらいは、心の底から笑ってほしい。
そんな風に願うことくらいなら、きっと禁忌じゃないだろうから。
「本当に……優しいな、君は」
切なく呟いたソラニエルは夜空を見上げる。
輝く星々は塩の街を照らしている。
その眩しさが目に沁みる。
まるで、夢を見ているようだった。
間違い続けた末に一つだけ、美しかったと思えるモノ