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第十九話 考察

 一年前、ソラニエルが経験した悲劇は、一人の少女が抱えるには重すぎた。

 パーティ襲撃事件で母親の死別と殺人を同時に経験。優しかった母の死と人間を魔術で貫いた感触は、ソラニエルの精神に深い傷跡を残した。

 一夜にして、殺人の被害者と加害者の両方になったソラニエルは精神の均衡を崩していく。

 そこに追い打ちをかけるように、父親の余命宣告。

 両親の命に悪魔の手がかかり、自らの両手さえ血に染めたソラニエルに、寄りかかれる者はサライエルしか残っていなかった。

 完全にサライエルに依存したソラニエルは、ついに彼女と肉体関係を結び、塩の怪魚を顕現させることになる。

 塩の怪魚の顕現に際して、心の拠り所としていたサライエルさえ死亡。

 それから、ソラニエルは一年間に渡る孤独な日々を過ごすこととなる。

 その孤独の中でソラニエルは何度もサライエルとの日々を夢想しただろう。なまじ、サライエルが死ぬ場面を目撃していないことが災いした。

 いつかサライエルが帰ってくるかもしれない。どうにか生き延びた彼女が迎えに来てくれるかもしれない。その可能性が限りなくゼロに近くとも、ソラニエルはそんな日々を空想するしかなかっただろう。

 無限にも思える日々の中、心を擦り減らすように思い描いたはずだ。ありもしない空想、妄想、夢想。またサライエルと過ごせる虚構の未来を想い続けた。

 やがて一人の少女が屋敷を訪れた時、彼女をサライエルと幻視するほどに。


「――――というのが君の仮説だね」

「仮説……まあ、そうだな。正直、あたしにはそうとしか思えないが」


 塩の街、真っ白なベンチに腰を下ろしてアルツィマとラクルスは言葉を交わす。

 ソラニエルとサラはいない。一人にさせてほしいと言って歩いて行ったソラニエルをサラが追いかけた形だ。

 今の彼女らを二人きりにさせて良いものかとラクルスは思案したが、アルツィマは問題無いと言い切った。

 その楽天的なまでの気楽さに、ラクルスはほのかに苛立たしいものを感じたが、あえて反対はしなかった。


「僕の考えはノーだ。その仮説は正しくないと思う」


 塩化したベンチに腰掛けたアルツィマは、彼にしては珍しく完全な否定を述べた。

 思ったよりストレートな否定にラクルスは僅かに眉を動かす。


「根拠はあるのか?」


 ラクルスは少し苛立っていた。

 アルツィマの態度は楽天的で、吐く言葉の一つ一つが軽い。今の否定に関しても、確かな理論を以て否定するというより、そうあってほしいという願いは込められているように思える。

 それ自体に唾を吐くつもりは無い。時には、欺瞞で自らを騙すことも必要だ。ラクルス自身も、サラの正体に関してソラニエルに告げたことを後悔している。

 でも、それは彼女達の特権だ。虚構で自分を慰めることが許されているのは、彼女達だけなのだ。

 子供が嘘で自分を守れるように、大人は現実を見なければならない。


「これまでのサラの発言から、あの子はこの土地と屋敷に懐かしさを感じてる。これはソラニエルと会う以前の発言も含めてだ。そもそも、その望郷があの子をこの地へと駆り立てた」

「それは……少し抽象的すぎないか? 根拠って言うには……」

「これだけじゃない。……一週間。サラがソラニエルと出会ってから、肉体関係を持つまでの時間だ。速すぎる。ソラニエルに恋をしていたサライエルとしての潜在意識があったと考えないと説明が付かない」

「まあ、速いと言えば速いな。でも、年頃の男女……まあ、ソラ嬢達は女同士か。若い二人が一つ屋根の下で過ごしてんだ。そういうこともあるだろうよ。それに、あの二人が肉体関係を持ってるってのが最大の証拠だろ。あのサラってのが本当にサラ嬢なら、今頃塩の怪魚が出て来てるはずだ」


 アルツィマの話す内容は筋こそ通っているが、いまいち説得力に欠ける。

 状況証拠の一つとして機能もするだろうが、サラがサライエルであるという絶対の証拠にはなり得ない。

 アルツィマの論に、ラクルスは今一つ納得していなかった。


「……いや、そういう話じゃない。あたしはこの目で見たんだ。サラ嬢は塩の怪魚に腹を食い破られて死んだ。信じないのは勝手だが……断言できる。サラ嬢が生きてるはずはない」


 ラクルスにとってはそれだけが全てだった。

 目の前でサライエル・ホロラーデは死んだ。見間違うはずがない。既に死んだ人間が今も生きているはずはないのだ。


「塩魔術の真髄は保存。魂の永久保存を目的として開発されたあの魔術は、人の魂をよく保存する。塩の怪魚が使うそれは特にその性質が強い。あの屋敷で死んだサライエル・ホロラーデも例外じゃなかったはずだ」


 ふと、アルツィマが告げた。

 そのアイデアは電撃のようにラクルスの脳裏を駆ける。


「……ガワだけ違うってことか? サラ嬢は死んだが、あの怪魚がバカ撃ちした塩魔術の影響で魂は保存された。その魂が別人の体に宿ったのが、あのサラってことか?」

「僕の仮説ではね」


 驚愕を隠し切れないラクルスの隣で、アルツィマは穏やかに微笑む。

 まるで、老人が子供に優しく言い聞かせるような笑みを浮かべて、アルツィマはラクルスに言葉を投げかける。


「肉体が違えば、ホロラーデの呪いも発動しないってことか……」

「いや、呪いは働いてる。今は三分の一って所かな。肉体が違う分進みは遅いみたいだけど、このまま行けば、二体目の塩の怪魚が生まれる。あと二回以上、あの子達が肉体関係を持てば、一年前と同じように呪いが発動するだろうね」

「おい、ちょっと待て。そんなことがどうして分かる? 呪いの進行速度を見分ける方法なんて――――」


 その発言はホロラーデに仕えてきたラクルスには看過できなかった。

 呪いの進行速度を見分ける方法なんて、ホロラーデには無かった。無かったからこそ、苦労してきたのだ。

 あの家の誰もが尽力してきた。あの呪いをどうにかしようと、足搔いてきたのは他でもないホロラーデだ。

 そんな彼らが持ち得なかった呪いへの対抗手段に近しいモノを、こんな部外者が持っていてたまるものか。


「そういう魔術だよ。長い時間をかけて開発した。残念だけど、これは君が躍起になるほど大したものじゃない。ただ見えるだけだ」


 ふと、ラクルスの目に映るアルツィマの姿が、在りし日のレンリテンに重なった。

 諦念にも似た哀愁を纏う青年の姿は、かつてレンリテンが双子の娘に向けていた視線によく似ている。


「呪いの発動条件は近親間の恋愛。子供っていうのは、あくまで塩の怪魚っていう怪物を降ろすために都合の良い依り代に過ぎないんだ。恋愛感情を以て接しているだけで、緩やかに呪いは進んでいく。肉体関係や子供の誕生はそれを急激に加速させるけどね」


 詳しい。詳しすぎる。

 世間一般には固く伏せられていたはずのホロラーデの禁忌について、アルツィマは異常なまでに詳しく知っていた。

 それこそ、レンリテンから絶対の信頼を置かれていたラクルスでさえも、今アルツィマが語った話は知らなかったほどだ。


「呪いが進んでんなら……あの子はサラ嬢で決まりか?」

「いや、呪いの進行条件は不明な部分が多いからね。一年前に発動した呪いの残滓という可能性もある。まあ、人類に魂を識別する手段は無い以上、あの子の中身を証明する方法は無いんだ。そもそも、ある肉体に別人の魂が宿った時、魂の方の人格が表出するという保証も無いしね」


 そこまで解説して、アルツィマは一度言葉を区切る。

 そして、締めくくるようにこう続けた。


「だから全部仮説さ。結局、好きなように解釈するしかないんだよ」


 どこか晴れやかに言うアルツィマは、澄み切った目をしていた。

 限りなく白に近い薄灰色の瞳は、静かに青空を見上げている。


「何者だよ、お前。呪いを見分ける魔術なんて、ホロラーデにも無かった。それをどうしてお前が持ってる? あの呪いと戦う術に関して、どうしてあたし達より優れてる? どう見ても二十歳かそこらのお前が、どうしてあたし達を超えてるんだ?」


 かつて、大きな戦いがあった。

 まだ、ラクルスが十代だった時の戦い。レンリテンの父と姉が生んだ塩の怪魚が暴れ回った。

 戦った。抗った。足掻いた。大勢の仲間が死んだ。同世代であの戦いを生き抜けたのは、レンリテンとラクルスの二人だけだった。

 それ以外の仲間はみんな死んで、その代償に塩の怪魚を討伐した。

 家が近かった幼馴染。訓練兵時代からの親友。将来を誓い合った想い人。大事だった人が全員塩の柱と化した。

 だから、もう二度とあんな悲劇は起こすまいと誓ったのだ。その未来を回避するために足搔いてきたのだ。そのために人生の大半を費やした。その努力が、どうしてこんな部外者に上回られてしまうのか。


「多分、君達と同じだよ。この呪いに最後まで抗うって決めたんだ」


 それから、ラクルスは訊くことを辞めた。

 この男がホロラーデとどういう縁があるかは分からない。分からないままで良い。

 ただ、こいつは自分達と同類だと、理解できたから。

全ては仮説、であれば解釈だけが真実

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