第十八話 覚醒
翌日、アルツィマとソラニエルとサラの三人は屋敷を出た。
アルツィマとサラが塩の怪魚と邂逅した位置はダンケット近く。塩の怪魚討伐に向かうならば、まずはダンケットに拠点を移すべきだというアルツィマの判断だった。
屋敷を出た彼らが歩むは塩の街。街のカタチだけを残したまま、真っ白に塩化したかつての魔術都市だ。
「なんか、すごい寂しい気がします。あの屋敷にいた時間って、そんなに長くないのに」
ふと後ろを振り返って、サラが言った。
若草色をした彼女の瞳には、背後にそびえる屋敷が映っている。
「サライエル・ホロラーデとしてあの屋敷で過ごした時間を体感しているのかもね。記憶が無くなっても、君の魂はサライエルそのものなんだから」
サラが零した言葉に対して、アルツィマは彼なりの考察を述べる。
記憶を失ったサラとソラニエルの妹であるサライエル・ホロラーデ。両者は二元論的に分けられるものではないと、暗にアルツィマは言っていた。
「よく考えたら、私が生きてるのって謎じゃないですか? どうやって、塩の怪魚から生き延びたんです? 記憶が無くなってるのもなんでか分かんないですし」
サラが何の気無しに零した疑問は、ある意味当然のものだった。
塩魔術で身を守り続けたソラニエルと違って、サライエルがあの場を生き延びられた道理は無い。
一年前、サライエルは如何にして命を繋ぎ、記憶を失うに至ったのか。
「ボクもサラが塩の怪魚に襲われる場面を見たわけじゃない。状況から接敵くらいはしただろう、と推測しているだけだ。サラの足で逃げに徹すれば、生き延びる程度は何とかなるかもしれない。記憶に関しては……ショッキングな出来事による脳への影響じゃないか? 専門外だから何とも言えないが」
ソラニエルの考察は最も現実的な線を行っている。
サライエルの生存も記憶喪失も、それならあり得るだろうというラインだ。
「逃げたんですかね、私」
「確かに、脳筋なサラが逃げるとも考えにくいねぇ」
サラの拳がソラニエルを襲った。
「ごべんなはい」
「ソラニエルってホントそういう所ありますよね! デリカシーって言葉知ってます!?」
サラもそんなにデリカシーある方じゃないのでは、という反論をソラニエルは飲み込んだ。
口に出せば、二撃目の拳を味わうかもしれないと思ったからだ。
なんだかんだいってサラとの付き合は長いソラニエル。その辺りはよく分かっていた。
よく分かっていれば、一撃目の拳を食らわないのかもしれないが、よく分かっていることにしておこう。
「あはは、サラもそんなにデリカシーある方じゃないよね」
二撃目の拳はアルツィマに叩き込まれた。
ソラニエル以上に何も分かっていないアルツィマは、サラのマジパンチに悶絶する。
「いだい。なんで、僕まで……」
「笑ってたので同罪です!」
ノンデリカシー三人組は塩の街を歩いていく。
サラの理不尽な暴力に晒されながらも、ソラニエルとアルツィマは笑っている。二人がサラの機嫌を損ねることもあるが、それでも楽しそうに旅は続く。
それは失った日々を取り戻すように、終わりへの猶予を噛みしめるように。
これは終わりへ向かう旅。避けられない最期を前にした、余命のような旅なのだと、誰もが分かっていた。
そうして辿り着いた、旅の第一目的地。
「そういえば、見つけてましたね。こんなのも」
アルツィマとサラが行きの道中で見つけた像。
真っ白な広場の隅に位置している塩の像は、槍を持った人の形をしている。
「これは……ラクルスか?」
塩と化した人間の像。その姿形をソラニエルは知っていた。
ラクルス・トゥーレイズ。サライエルの武術指南を担当していた女性だ。
「君の塩魔術なら元に戻せるんだろう? 永遠に塩のままというのも不憫だ。折角だから助けてあげよう」
「行き当たりばったりな話だねぇ。まあ、やってみるさ。失敗しても文句は言わないでくれよ」
そう言って、ソラニエルは塩の像に触れる。
そうして起動するは塩魔術。無詠唱で使った魔術は塩の柱へと働きかける。
ピキリ、と塩の像に罅が入る。
そして、殻を破るようにして彼女は目覚めた。
***
目が覚めた瞬間、あたしの視界に入ってきたのは、どこまでも広がる白い大地。
鼻腔をくすぐるしょっぱい匂いが、地平の果てまで続くその白い砂の一粒一粒が塩だと告げていた。
塩の怪魚と戦闘中だったはずのあたしは意識を失い、気付けば目前には塩の大地。
言い訳する余地すら無い。認めるしかないだろう。
「負けたのか、あたし達は」
真っ白な世界を見渡して、槍を持ったあたしは立ち尽くす。
あんなにも手に馴染んだ槍の感触が、今は鬱陶しく感じた。こんな重く鈍い鉄の塊は、捨て去ってしまえれば良かったのに。
それでも、槍を手放せなかったのは、どうしてだろうか。
戦い続けることを、抗い続けることを諦められなかったのは、どうしてだったのだろうか。
「久しぶり、ラクルス」
ふと、背後から声がかかった。
馴染み深い声。サラ嬢ほどではないが、あたしがよく面倒を見た少女の声。
「久しぶりってわけでもないぜ、ソラ嬢。あたしの感覚じゃ、昨日会ったばっかりだ」
ソラニエル・ホロラーデ。
ホロラーデ家の跡取り娘。公表こそしていなかったが、レンリテンはソラニエルに自分の跡を継がせると決めていた。
言っても詮無いことではある。ホロラーデ家が壊滅していることは、この塩の地平が物語っている。今更、跡取りも何も無いだろう。
「んで、後ろの二人は紹介してくれんのか? 見た所、ホロラーデの人間じゃないな?」
「二人? ああ、アルツィマのことかい? ホロラーデとは縁深いらしいんだが、古参のラクルスも知らなかったとはね」
「ああ、見たことないな。隣の嬢ちゃんもだ」
「え……?」
何気なく言った。
誰を傷付けるつもりも、何かを明かすつもりもなく、ただ何の気無しに訊いただけ。
雑談でもするかのような気軽さで振った話題に、ソラニエルは青い顔をしていた。
「ははっ……君が冗談を言うとはね。少し驚いたよ。でも、センスは微妙だな。全然笑えない。ラクルス、君がサラを知らないはずがないだろう……?」
「……? いや、何言ってんだ? そこの嬢ちゃんがサラ嬢? それこそ悪い冗談だぜ。だって、サラ嬢は――――」
この時の無遠慮をあたしは後悔することになる。
頭が足りないのは、昔からあたしの欠点だ。昔と違って、知略に長けた友人もいないというのに。
少し考えれば分かったはずだ。一年前、サラ嬢を失ったソラ嬢の心。己の半身とも言える最愛の妹を亡くした彼女が、まともな精神を保っていられるはずもないだろうに。
「ソラ嬢と瓜二つだっただろ?」
絶望した貌をする彼女を見て、あたしは己の浅慮を呪った。
黒髪に若草色の瞳をした少女。彼女の正体がサライエル・ホロラーデであるはずはない。誰にだって分かる簡単な差異だ。
見た目が違う。サラ嬢はソラ嬢と瓜二つの双子だった。それこそ、同じ髪型をすれば、傍目からは区別が付かないほどに。
あたしが自分の失言に気付いた時には、彼女は正気に戻ってしまっていた。
あまりに惨く絶望的な覚醒だった。
再び、問われる。お前はサライエル・ホロラーデなのか?