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第十六話 この声を地獄へ

「それからボクは塩魔術で身を守って、ずっと部屋に引きこもってた。気が遠くなるくらい長く、現実から目を背けるように目を閉じて、塩の障壁に閉じこもっていたよ。気付けば塩の怪魚はどこかに消えて、ボクはこの屋敷で一人生き残った。……それから一年間、君達が来るまで惰性の命を食い潰していたというわけさ」


 時は現在、ソラニエルは長い身の上話を語り終えた。

 居間には重苦しい空気が流れる。

 その重みを取り払うように口を開いたのは、アルツィマだった。


「ありがとう。色々合点がいったよ。今まで、大変だったね」


 花弁が舞うような声音で、アルツィマは言った。

 なんてことない、ただそれだけの一言に滲む優しさは、どこか聖人じみていた。

 それは赦されざる禁忌であると分かっていながら、敢えて赦しを与えるような。

 まるで、幼子が犯した間違いを、微笑を浮かべて優しく諭すように。


「アルツィマ君、君は……君の感覚が、ボクには分からない。ラーヴァイスを塩の雪原に変えたのはボクだ。ボクが犯した禁忌のせいで、ラーヴァイスの住人はみんな塩の柱と化したんだぞ。どうして、君はボクにこうも普通に接している? それは君の優しさ故か? 一年前、この都市で死んだ何百の命を軽視することを、ボクは優しさとは思えない。むしろ、最も非人道的な行いだ。君が優しい人であればこそ、君はボクを蔑んで罵るべきなんだ。それとも君にとっては、見知らぬ何百人よりも目の前の一人が大切なのか? そんなのはただの思考停止だ。想像力の欠如した馬鹿が、童話の主人公を気取って嘯くような台詞に過ぎない」


 ソラニエルの言葉は止まらない。

 坂を転がり始めてしまった車輪のように、果ての無い自罰へと落ちていく。


「アルツィマ君、君が聡い人間なのは分かっている。だからこそ教えてくれ。どうして君はボクに責任を問わない? ボクはラーヴァイスの住人を皆殺しにした大罪人だ。その責任は負わなきゃいけない。そこから逃げ続けたボクを、君はどうして責めなかったんだ?」


 ひどく自罰的なソラニエルの独白を、アルツィマは静かに聞いていた。

 ソラニエルの論は正しかった。自分のしたことに責任を持たなければならない。

 そんなものは、社会では当然のルールだ。

 そこからはみ出した者は、非難されて然るべきなのだと。


「良いんだよ、責任なんて。一々そんな話したって、つまらないじゃないか」

「…………は?」


 アルツィマが返した言葉は、ひどく無責任なものだった。

 予想外の答えに、ソラニエルは思わず困惑の声を零す。

 それほどまでにアルツィマの返答はソラニエルにとっては意外で、同時に期待外れだった。


「ソラニエル。君は誰かに責めてほしいんだろうけど、多分、ここにそうしてくれる人はいないよ。だって、君は初めから知ってたんだから。禁忌には触れちゃいけないと知っていた。それでも触れてしまったのは、知っていても逆らえないだけの輝きがあったから。君が向き合うべきは、むしろそっちなんだよ」


 アルツィマはとつとつと語る。

 その唇が紡ぐ言葉は、楽器が奏でる音色のようだった。


「分かり切った正論を聞かされてもつまらないだろう? 君は責任から逃げてたんじゃない。責任に逃げてたんだ。君は禁忌ばかりを気にしすぎだよ。もっと、自分の恋心と向き合ってあげても良いんじゃないかな」


 そう言うと、アルツィマはゆっくりと席を立った。

 悠然とした足取りで、居間を出て廊下へと消えていく。

 その背中に声をかけようとソラニエルが振り向いた矢先、アルツィマは先手を打って言った。


「こっちじゃないって、言っただろう?」


 既に体の半分を扉に隠したアルツィマは、最後に指を差す。

 ソラニエルは自然と彼が指差した先を目で追っていた。

 そこにいたのはサラ。今まで口を閉ざしたまま座っていた、長髪を後ろ手に結んだ少女だった。

 アルツィマが完全に廊下へと姿を消し、扉がゆっくりと音を立てて閉まる。

 サラの結んだ言葉はそれとほとんど同時だった。


「私は想像力の欠如した馬鹿なのではっきり言います」


 若草色の瞳は力強く、銀色の双眸を真っすぐ見据える。


「私はソラニエルが好きです。見知らぬ何百人より、ソラニエル一人が大事です。……ソラニエルは、違うんですか?」


 ホロラーデの歴史は禁忌の歴史。禁を破り子を成し、変じた怪魚と戦い続けた歴史こそが、ホロラーデを魔術の名門たらしめている。

 何度も何度も戦い続けた。規格外の怪物と凄絶な戦いを繰り広げてきた。

 固く秘されたその歴史を人が聞けば、きっと愚かと嗤うだろう。少し我慢を利かせれば誕生すらしない怪物と三百年に渡って戦い続ける愚かを嗤うだろう。

 ああ、確かに愚かだ。万人に石を投げられるに相応しい、愚者の歴史と言えるだろう。

 そんなことは分かっている。百も承知だ。愚かなことだと分かっているのだ。

 それでも、願わずにはいられなかった。求めずにはいられなかった。その果てが塩の柱であると知っていながら、手を伸ばさずにはいられなかったのだ。


「そんな、そんなこと…………っ」


 未来が破滅だと分かっていても、望まずにはいられなかった現在いま

 真っ白な終わりと引き換えにしても、構わないとさえ思えた光。


「好きだったに決まっているだろう……っ! 君さえいれば他の何も要らなかった。君と夜を超えられるなら、朝が来なくても良かったんだ。何百人も死なせたなんて詭弁だ。ボクは、ボクはただ……――――」


 それはたった一つの恋。

 禁断の果実だと、どろどろの背徳だと、人は彼女らを評するかもしれない。

 けれど、そうではない。そうではないのだ。

 彼女らが求めたものは何よりも透き通った幸福のカタチ。愛する人との暮らしだけ。

 誰もが思い描くような、ありきたりで普遍的な幸せ。その相手が禁じられていたという、ただそれだけの純愛。


「君を失いたくなかった……! 君とずっと一緒にいたかったんだよ……っ、サラ……!」


 ある者は言った。感覚は理論よりも重要なものである、と。

 禁忌には常に理屈が伴う。誰もが納得できる大義名分、首を縦に振らざるを得ない正論を纏って、人々を正しく縛る。

 それは守るべき戒律だ。犯すべからざる規律だ。人として則るべき規範だ。

 もしそれを踏み越えてしまったなら、二度と人として正しい形には戻れないだろう。

 悪人という名の異分子として、罪の意識と悪のレッテルを背負って生きることとなる。

 それでも、彼女らは踏み越えた。

 それは愚かと罵られるに相応しい行為であろうとも、その願いを愚かと嗤うは無粋に過ぎる。

 どれだけ愚かしく悲惨な結果であろうとも、彼女らの求めた恋には、確かな輝きがあるのだから。


「私もです。ソラニエル」


 罪を問うのは後にして、今はただこの恋を受け止めよう。

 その輝きから目を背けたままでは、きっとどこにも行けないから。


     ***


 居間を出たアルツィマは、その足で屋敷の庭へと向かった。

 全てが対称に配置された庭の中で、サラが斬りつけた草木だけが浮いているようだった。


「この庭はまるで戒律だね。花も草も木も、定められた通りにきちんと並んでいる。誰も禁忌に触れることなく、ただ与えられたものの中で幸福に生きてほしい。……君はそんなことを考えて、この庭を造っていたのかな?」


 誰かに語りかけるようなアルツィマの独り言。

 問いかける相手などいるはずもない。塩魔術の影響で保存されていた魂も、その果てに生まれた亡霊も、既にサラが斬って捨てた。

 もうここに保存されている魂は無い。

 この庭でどれだけ言葉を紡ごうとも、それが死者に通じることはないのに。


「そんなの無理に決まってるだろ? だって君の血が流れてるんだぜ。み~んな、我儘ばっかりさ。誰かが偉そうな顔して作った禁忌なんて、もう何回も破っちゃったよ。その度に傷付いて、戦って……本当に、どうしようもない悲劇だよ」


 それでも、アルツィマは語り続ける。

 それは遥か彼方の記憶。

 気の遠くなるほど昔の話でありながら、決して色褪せない思い出達。


「でも、悪いことばかりじゃない。良いこともたくさんあったんだ。そうだな……例えば、君の塩魔術とか。今はすごい使い手がいるんだぜ。ソラニエルっていうんだけどね、多分、あの子は塩化された物を元に戻せる。そうじゃないと、屋敷が塩化されてないことに説明がつかないからね。形まで崩されたらどうしようもないだろうけど、それでもすごい進歩だ。ほら、君にはできなかっただろう?」


 まるで、久しぶりに会った友人に、最近の出来事を聞かせるように。

 アルツィマは楽しそうに近況を語る。


「それに、剣士もすごいのがいるんだぜ。長剣をブンブン振り回して、魔物をバッタバッタと斬り伏せるんだ。想像できないだろ? あんなに運動音痴だった君の血が入ってるってのに、自分の身長と同じくらい武器を使いこなしてるんだ。ホント、君にも見せてやりたいよ」


 少年のような無邪気な笑みで、アルツィマは独り言を宙に放つ。

 その言葉が望む相手に届いているなんて思いはしないけれど、彼女のことならどこかで聞いているかもしれない、なんて妄想する。


「約束、もうすぐ果たせそうだよ。ホーリエル」


 今は亡き何者かへと、アルツィマは悪戯っぽく笑いかけた。

 夜空に浮かぶは満天の星。そのどれかが彼女かもしれない、なんてことはきっとない。

 あんな大悪党がお星様になんてなれるもんか。

 きっと今も、地獄の底で彼を待っている。

語りかける相手は、今やきっと地の底に

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