第十四話 終の夜
母上の葬儀はかなり規模を縮小して行われた。
父上は件の事件で下半身不随の重体に陥ったため、葬儀はサラの指南役をしていたラクルスという女性が進行を取り持ってくれた。
葬儀の記憶はひどく曖昧だが、ボクはずっとサラの隣に張り付いていた気がする。
冷たく沈むような空気の葬儀場で、サラの体温だけが掌に残っている。
しばらく医者の世話になっていた父上だが、葬儀には車椅子で出席していた。父上の顔にはひどく大きな火傷が残っていた。
命が残っただけ拾い物だと父上は言っていた。
「じゃあ母上は拾えなかったのか」なんてことをボクが言うと、父上は「お前達の命を拾ってくれた」と返した。
父上は気丈だった。少なくとも、ボクには気丈に見えた。
二十年前の事件で父上は姉を亡くしている。だから、こういうことに慣れているのだろうか。
それから、色々なことがあった。
一番多かったのは騎士団の事情聴取。母上が死んで間も無い頃は、こちらの心情を慮ってか踏み入ったことは聞いてこなかった騎士団だったが、いつまでもそういう訳にはいかないようだった。
ボクは求められるがままに、あの日の出来事を話した。
赤毛の少年の魔術でパーティ会場の屋敷が全焼し、多数の死傷者が出たこと。
赤毛の少年が語っていた身の上話。
母上がボクとサラを庇って死に、激昂したボクは少年を殺したこと。
ホロラーデに伝わる呪いについても、公国の上層部は承知しているようで、ボクの事情聴取に来るのは、専ら事情を知っている階級の高い騎士だった。
ボクの殺人は正当防衛で不問。それどころかテロリスト撃退の成果は、国に表彰してもらえるようなものだと言われた。
けれど、表彰は自ら辞退した。
とても、そんな気分じゃなかったから。
それから、ボク達は日々に戻った。母上の欠けたいつも通りの日々。今度は三人で食卓を囲むのだけれど、なんだか何を喋れば良いか分からなくなってしまう。
ボクとサラは沈痛な面持ちで料理を貪ることしかできなかったが、父上はよく話題を振ってくれた。
車椅子の上で、焼けて爛れた顔で、父上はボク達を気にかけて色々と話をしてくれた。
いつも厳しい父上が、こんな時ばかりは優しくて、何故だか胸が詰まるような気がした。
味のしない夕食を飲み込んで、逃げるように自室へと戻る。もう眠ってしまえと、半ば自棄になってベッドに身を投げ出すが、意識は未練がましく現世にしがみつく。
眠りたいのに眠れない。そんな宙ぶらりんな意識は、思い出したくもない記憶を呼び起こしてしまうのだ。
――――私が戦います! ソラニエル! 武器を作って下さい! 武器をっ!
あの時、ボクがもっと早く動いていれば、母上は死ななかったのだろうか。
死ななかったと思う。母上はボク達の前に飛び出せるくらい余力があった。多分、父上が守ったのだ。自分の守りを薄くしてまで母上を守ろうとしたから、父上はあんな酷い傷を負ってしまった。
そうまでして繋いだ母上の命は、ボクの愚鈍な行動によって食い潰された。
――――どうか、来世では罪無き血筋に生まれますよう
そのくせ、ボクは結局あの少年を殺した。
少年の言葉の正当性を理解して、一度は死を受け入れたにも関わらず、母上が殺されると途端に怖くなって、あの少年を刺し殺したのだ。
どっちつかずで中途半端な決断の末、ボクは両方失った。
母上を助けることもできず、自分の手を血で汚した。
なんて愚かで下らない道化だろう。
募った自己嫌悪に押し潰されそうだ。誰かに慰めてほしい。こんな気持ち一人じゃ抱えきれない。誰か側にいてほしい。ボクを愛してほしい。ボクが生き残った意味を認めてほしい。
そんなことを願ってしまう自分が嫌になって、けれどその自己嫌悪すら誰かに受け止めてほしい。
「サラ……」
ふと、零れたのは彼女の名前。幸か不幸か、欲望の捌け口はすぐそこにあった。
そうだ。サラに会いたい。サラならきっと慰めてくれる。いや、言葉なんて無くても良い。ただ、側にいてくれるだけで良い。隣にいて、手を握ってくれるだけで良い。それだけで良いから、ボクはサラを――――
ドアをノックする音がする。混濁したボクの思考は、馬鹿みたいな希望的観測で、その主がサラだと思い込んだ。
「サラ……サラサラサラ、サラ……っ」
転げ落ちるようにベッドから抜け出して、ドアノブへと縋りつく。
そうして乱暴に開け放ったドアの先にいたのは、サラでなくこの家の使用人だった。
「ソラニエル様」
息を荒げて、現実を受け止めようと必死なボクに、使用人は冷たいまでに丁寧な口調で告げた。
「レンリテン様のご容態が急変しました。今は、ご自身の部屋で――――」
使用人の言葉を最後まで聞かずに飛び出したボクは、父上の部屋へと走った。
そこで見たのは、ベッドの横たわる父上の姿とすぐ隣に立っている医者の険しい表情。
聞かされたのは、件の事件で負った傷の影響で、父上の余命はあと一か月も無いということだった。
***
病床に伏した父上は、死化粧もかくやという白い顔をして眠っていた。
横たわる痩躯は衰弱し切っているが、その表情は皮肉なまでに穏やかだ。
まるで、自らの死期を悟って、静かに目を閉じたように。
父上が件の事件で負った傷は、ボクが想像するより遥かに深刻だった。母上の葬儀に出席したのも、医者に言わせればひどい無茶らしい。
今まで父上はボク達に隠してきたが、内臓のほとんどが役目を碌に果たしていないのだとか。
父上の余命は保って一月。三日も経たず命を落とす可能性についても、医者はほのめかしていた。
動悸がする。上手く呼吸ができない。不安と焦燥と自己嫌悪が、ボクの躰を内側から圧迫している。
苦しい。苦しい。苦しい。息が切れる。この苦しさをどこかに吐き出してしまわないと、この肉体は内から爆ぜて散り散りになってしまう。
早く、早くこの鬱屈とした衝動から解放されたい。後のことなんてどうでも良い。今はただ、このどうしようもなく重苦しい感情を忘れたい。
バン! と扉を開けた。
「ソラニエル……? こんな時間にどうしたんですか?」
気付けば、ボクはサラの部屋まで来ていた。
走って来たせいで、ボクは肩で息をしている。過呼吸なくらい息を切らして、ボクは妹の部屋に踏み入った。
サラはもう寝る所だったのか、白いネグリジェに身を包んでいた。
空いた胸元から彼女の肌がよく見える。白く滑らかな柔肌。首のあたりからは日に焼けていて、白い胸元との間には境界が引かれているように見える。白い衣に覆われた彼女の肢体は、ひどく魅力的で、楽園の果実のようにも思えた。
擦り切れたボクの脳に、理性というブレーキは残っていなかった。
何かから逃げるように、彼女をベッドの上に押し倒していた。
ボクの行動に対して、サラは一瞬だけ驚いたような顔をしてから、すぐに優しく穏やかな表情に変わった。その顔がいつか見た母上の苦笑に重なって、思わず泣いてしまいそうになる。
「ソラニエル。あの時、死のうとしましたよね」
布団の上で抱き合ったまま、サラの唇は穏やかな声を紡いだ。
耳元にかかる息は優しく、脳が蕩ける錯覚がした。
「これで、全部終わりですね」
それは自暴自棄にも似た、ひどく破滅的な終わりの夜。
サラの紡いだ言葉は、いつか赤毛の少年が言ったことを想起させた。
ボク達は死ななければならない。哀しいかな、それは正しかった。禁忌に恋をしてしまったボク達は、どこかで終わらなければいけなかったのだ。
きっと、明日には全てが終わっている。
禁忌に触れたボク達は塩の怪魚を呼び起こし、それに食われて死ぬのだろう。
「もし生まれ変わったら、今度は……私と結婚してれますか?」
「ああ。当たり前だろう。何があっても、どこにいても……必ず君を迎えに行く」
「私が会いに行きますよ。待つのは苦手なんです。生まれ変わったら、新しい私になって、必ず会いに行きますから……だから、その時は――――」
彼女の言葉を待たず、唇を重ねる。
最初で最後の夜、ボク達は互いの体を貪り合った。
溺れるような時間はあっという間で、ボクらは二人、甘い眠りに落ちていく。
来世にはどうか、なんて夢物語を口にして。
禁忌の恋に溺れたのだ。
悲劇の果てに、触れた禁忌