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第十三話 焼失

 とある雨の日だ。ボク達は社交界のパーティに呼ばれて、少し遠出をした。

 会場はとある貴族の屋敷。白いテーブルクロスの敷かれたテーブルがいくつもあり、その上には豪華な食事が並べられていた。

 父上と母上は他の貴族と談笑しながら、テーブルの料理を食べている。

 基本的にボクとサラも両親に付き従って行動していたのだが、二人が大勢の貴族に囲まれてしまったので、仕方なくサラと二人でぶらついている。

 こういう時、普通の貴族の子供なら、コネクション作りのために頑張らないといけないのだろうが、ホロラーデはそこら辺が緩い。

 ボクとサラは何の気無しにパーティを楽しんでいた。


「ソラニエル! これすごい美味しいですよ!」

「うーん、どれどれ。確かに、これは中々の味だねぇ。今度、うちのシェフに作れないか聞いてみようか」


 多くの貴族にとって緊張の場であるパーティだが、ホロラーデという家の特殊性故に、ボク達にとっては美味しい物を食べられる楽しいイベントに過ぎなかった。

 声をかけられると面倒だったりするのだが、縁談の話に発展しづらいホロラーデは、子供に唾を付けてもあまり利が無かったりする。

 魔術都市ラーヴァイスを統治している父上や母上は人気だが、ボク達は放っておかれがちだ。

 敏腕貴族レンリテン・ホロラーデに興味を持つ者は多くあれど、その子供にまで目をかける者は少ない。

 だから、驚いた。


「ホロラーデの方ですよね?」


 声をかけてきたのは、赤毛の子供。

 歳はボク達と同じか少し下。中性的な顔立ちだが、恐らく少年だろう。

 貴族然とした煌びやかな格好をしているが、その瞳の色はどこか虚ろ。

 その両手には包みのような物が抱えられている。


「はい、そうですけど」


 答えたのはサラ。

 サラにしては距離を感じる言葉遣いだったのは、今にして思えば、この少年の危険な香りを何となく感じ取っていたからだろうか。


「そうですか。それは良かった」


 少年は安心したように笑った。

 ボクにはサラのような鋭い感覚は無く、その笑顔をただ純朴なものとしか見られなかった。

 この少年はきっとボク達に用事があって、ただ声をかけてきたに違いないと。

 笑顔の仮面の下に隠された狂気に、少しも気付きはしなかったのだ。


「ホロラーデって塩魔術を研究しているのですよね?」

「ああ、そうとも。伝統みたいなものでね。ボクも少々かじっているよ」

「ああ、貴方も。それでは、あの話も知らされていますね。貴方達の叔母と祖父にあたる人の話も」


 嫌な感じがした。

 叔母と祖父の話は知っている。

 ボクは知っている。サラも知っている。父上や母上ももちろん知っている。

 でも、こいつが知るはずはないのだ。


「塩の怪魚を産んだ、罪人の話を」


 赤毛の少年は笑った。

 純真無垢な笑顔で嗤った。

 そして、笑顔のまま包みを解く。

 結び目を解かれてふわりと広がる布。そうして、露わになったのは塩の生首。

 塩塊を精巧に加工したような、真っ白な人間の頭。

 それが、いつ、どこで、どんな経緯で生まれたのか。ボクの頭が理解するより早く、少年は唱えていた。


「ブレイズ・オン・セルフ」


 瞬間、少年の肉体が炎上した。

 ボクに分かったのは二点だけ。それが火属性の魔術であること。それはボク達の命を獲るための魔術であること。

 だが、それだけ分かれば十分。

 少年は魔術の行使に際して、ワンフレーズの詠唱を必要としていた。

 対するボクは実戦用の塩魔術のほとんどを無詠唱で扱える。後手に回ったとしても、塩魔術による防御は間に合う。


「サラ、こっちに……!」


 サラを近くに抱き寄せながら、ドーム状に展開した塩の障壁。

 塩魔術は防御に適した魔術。塩魔術によって作り出す塩の障壁は、一般的な防御魔術よりも高い硬度と持続性を誇る。瞬発力に関しては一歩劣るが、そこは術者の技量が埋めた。

 直後、塩の障壁に炎が激突する。

 轟々と燃え盛る炎は塩の障壁を表面から焦がしていく。その中に籠っているボクにも、その熱波が確かに感じられた。

 それでも、受け切れてはいる。

 少しずつ表面を削られてはいるが、障壁に穴を空けられる気配は無い。これならば、中から塩を継ぎ足していくことで、少年の炎から身を守り続けられる。

 これだけの火力だ。魔力の消費も相当だろう。魔力切れまでの粘り合いをするなら、燃費の良い塩魔術を使っているこちらが俄然有利。

 となれば、向こうはどこかで魔術を中断する。そのタイミングで攻勢に転じれば良い。

 大丈夫だ。向こうは不意打ちが可能な初撃でワンフレーズチャントを使用していた。無詠唱で撃てる魔術があるなら、初手で使ってきていたはず。つまり、あの少年は最大でもワンフレーズまでしか詠唱を省けない。

 一瞬一秒が物を言う実戦で、無詠唱魔術を使えるボクが負ける道理は無い。


「ソラニエル! 防御を解除したら、魔術で長剣作って下さい! 私が前に出ます!」

「いや、攻撃魔術を撃つ。さっき見ただろう? 少年自身が燃えていた。あれは近接にも対応できる魔術だ。サラを接近させるリスクも、向こうに再び詠唱の時間を与えるリスクも無視できない。今日集まった人間の中にも、多少は戦える者がいるはずだ。仮にいなかったとしても父上は十分強い。距離を取って魔術で封殺するのが一番安全だろう?」

「違います! そんなレベルの話じゃない! 私が言ってるのは――――」


 サラが言葉を言い終えるより早く、ボクの魔力感知は炎が途切れたことを察知した。

 即座に塩の障壁を解除し、攻撃魔術を叩き込めるように魔力を――――


「ホロラーデの歴史上最高峰……噂に違わぬ防御性能。半端な守りは焼き貫けるつもりでいましたが、貴方のそれは些か格が違う」


 何故、思い至らなかったのか。

 ついさっきまで、ボクは勝ち方について思考していた。どう勝つのが最も安全か。どの勝ち方が最も確実か。

 確かに、そんなレベルの話じゃない。

 サラはどうしたら勝てるかについて言っていたのだ。

 そもそも、この相手に対して勝利を掴み取るにはどうしたら良いのか。

 既に勝ち方を選んでいられるような状況ではないのだと。


「貴方達だけは、仕留め切れなかった」


 一面に広がる炎。焼け落ちていく屋敷は、じきに全焼するだろうと察せられた。

 熱波で粉砕した壁と天井。火の手は今も消えることはなく、屋敷の残骸を焼き続けている。

 崩れた天井から見える空は、ほんのりと赤い夕闇。燃えて崩落した屋敷の中心に、ボク達は立っている。

 ツンと鼻を突く、肉の焼ける臭い。焼け落ちたのは、何も屋敷だけではない。その中にいた人も同様。人肉の焦げる悪臭が、その結果を物語っていた。

 父上と母上の姿を探すが、火の手が邪魔でどうにも見つからない。


「ご家族は存命ですよ、今はまだ。塩魔術で身を守ったらしい。しかし、御父上は貴方ほど優れた魔術師ではなかったようだ。もう身動きは取れないでしょう」


 ボクの視線を読み取ったのか、少年は丁寧な口調で言った。

 子供らしからぬ老獪な話し方は、あどけない容姿とかち合っていない。

 歯車のズレた機械のような、首の曲がった人形のような不気味な感触が、少年からは伝わってくる。

 少年が両手に抱えていた塩の頭部は、炎の熱でドロドロに溶け出していた。

 熱した飴をスプーンで掬ったように、かつて人の頭だった何かはどろりと溶けて地面に垂れる。

 溶解する塩の頭部を、赤毛の少年はひどく寂しげな眼差しで見下ろしている。


「私が年若い少年に見えますか?」


 奇妙な問いを少年は発する。

 この時、ボクは少年の言葉など無視して攻撃魔術を叩き込むべきだったのだ。

 でも、あまりの出来事にフリーズした脳味噌は、正常な判断を下せなかった。


「……そうとしか見えないが」


 悪手かと言えば、そうでもない。

 ボクが塩魔術でサラに武器を与えれば、この少年はすかさず攻撃態勢に移るだろう。

 現状維持という意味でも、この少年の無駄話に付き合う意義は十分にあった。

 その上で言える。

 これはボクにとって最悪の選択だったと。


「今年で三十五です。見えないでしょう? 私の外見は十五歳の状態に保存されてしまっている」


 寒気がした。

 この少年は三十五歳でありながら、外見年齢は十五歳に保存されている。

 つまり、彼の年齢保存が行われたのは二十年前。

 そう、二十年前の――――


「今から二十年前、貴方の叔母と祖父は子供を作ってしまった。経緯は知りません。純然たる事実として、彼らは禁忌を犯した。その結果、子供は産まれて間も無く塩の怪魚へと変成。その際に叔母は命を落とし、祖父もそれに巻き込まれて死亡」


 二十年前の禁忌。

 二十年前に誰かが触れた禁忌が、巡り巡ってボク達の所へやって来たのだ。


「ソラニエル! 早く武器を下さい! 私が出ます!」


 隣でサラが何か言っている。

 でも、耳に入らない。ボクはただ、取り憑かれたように少年――――少年の姿をした何かの話に聞き入っていた。


「そして起こった塩の怪魚討伐戦。貴方達ホロラーデが起こした戦いに、偶然私は巻き込まれたのです。よく晴れた日でした。私は怪我で足を悪くした母の買い物を手伝っていた。そのついでにホロラーデ邸の方まで散歩をしようと母が言ったのです。母が外に出られるのは、私の助けがある時だけだから、せめて外に出られる時は母のしたいようにさせてあげたいと思った」


 薄々と気付いてはいた。

 ボクとサラは禁忌に触れている。

 ほんの爪先だけではあっても、手を出してはいけないモノに触れているのだ。


「私が戦います! ソラニエル! 武器を作って下さい! 武器をっ!」


 その代償はいずれ降りかかる。

 その過去のモデルケースが、今ボク達の目の前に立っている。


「ホロラーデ邸に近付いていた私達は、塩の怪魚討伐戦に巻き込まれた。私は命からがら逃げ延び、足の悪い母は逃げられなかった。私が家まで持って帰ることができたのは、物言わぬ白い塊と化した母。その折れた頭部だけでした」


 赤毛の少年が語る悲劇は、いつかボク達が起こしかねない未来。

 愚かな先人がしでかした過去なんかじゃない。今、ボク達が触れているモノの話なのだ。


「その際に私の肉体も少なからず影響を受けた。強力な塩魔術の余波により、私の体は表面を中心に状態が保存されている。人の体とは流動的なもの。回り続ける歯車のようなものです。その一部が保存されて停止してしまえば、当然軋む。あの日から、私の体は悲鳴を上げ続けている」

「ソラニエルっ! 私がやる! 私が戦いますから! だから! 武器を……!」


 何も聞こえない。


「ボクは…………」


 ただ、少年の言の葉が脳裏に響く。


「ホロラーデ。貴方達は死ななければならない。これは単なる復讐には非ず。母のような犠牲者をこれ以上出さぬように、貴方達は取り除かなければならない邪悪なのです」

「ソラニエル! 武器を――――」

「心苦しいと言えば嘘になる。私は母を殺した貴方達をずっと憎らしく思っていたのですから。直接手を下せば、少しは気晴らしになるとさえ思っていました。……中々どうして蟠るものです、無辜の子供を手にかけるのは」


 多分、ボクは死を受け入れたのだ。

 だって、赤毛の少年が言うことは文句の付けようがない正論だったから。

 そもそも、ホロラーデの血が絶えれば、塩の怪魚なんて脅威に怯える必要は無くなる。

 塩の怪魚という可能性に気付いた時点で、ホロラーデの血筋は子供を作ることを一切止めれば良かったのだ。

 それなのに、ホロラーデは三百年もしぶとく血を残してきた。

 子孫繁栄という夢を捨てきれなかったのか、みんな家族が欲しかったのか、ただ己の肉欲に従った結果か。

 終わろうと思えばいつでも緩やかな終わりを迎えられたのに、この一族は未練がましく塩の怪魚という脅威を三百年もの未来に受け継いだ。

 今まで、塩の怪魚が殺した人間の数は測り知れない。これから塩の怪魚が殺す人間の数は無限大だ。

 それだけの犠牲を黙認して、自らの血を遺し続けることが禁忌でなくして何とする。

 ホロラーデが犯し続けた禁忌の果てが、この赤毛の少年であるとするならば。

 この地獄の業火がボク達に与えられた罰だとするならば。

 ここで死ぬのが道理だと。道理に反して生きるくらいなら、もうここで死んでしまいたいと。

 ボクは死を受け入れた。


「どうか、来世では罪無き血筋に生まれますよう」


 少年が迫る。右手に炎を纏わせて、立ち尽くすボクへと走って来る。

 ボクは反応できない。というより、反応する気力が起きなかった。

 もう死にたかったのだ。

 どうやってもサラと結ばれることはできない人生。無理矢理結ばれようとすれば、最悪の呪いを解き放つことになる未来。

 そんな閉じた未来を生きる気にはなれない。サラに恋することが禁じられた未来なんて、欲しくはないのだから。

 そうして、僕は、燃える手刀を受け入れて――――


「――――え」


 思わず声が漏れた。

 なんで、彼女がそこにいるのか理解できなくて。


「まさか、動けるとは」


 それは少年の方も同じだったようで、驚いたようにそんなことを言っていた。

 炎を纏う少年の手刀。火属性の魔術を凝縮させた一撃が、ボクの体を貫くことはなく。

 ただ、ボクの前に飛び込んで来た彼女の胸を焼き貫いていた。


「母上……?」


 少年の手刀に胸を貫かれた母上は、ボクとサラの方を振り返って、口を動かしたように見えた。

 しかし、肺をやられているのか、その口からは頼りない呼吸音が零れるばかりで、意味ある言語は発せられない。

 言葉一つ言い遺すことすらできずに、心臓を焼かれて死にゆく母。

 もう、彼女の肺も喉も焼け落ちた。言葉を発することなどできない。

 それでも、逆流した血液を吐き出すばかりの口が「生きて」と告げた気がした。


「ナタフィア・ホロラーデ。理解できません。動けたとしても、貴方は大人しくしているべきだった。貴方はホロラーデに嫁入りしただけの一般人。ホロラーデの呪いも及ばない。私に貴方を殺す意図は無かった。このような状況でさえなければ、私が貴方に危害を加えることは――――」


 少年の言葉が途切れる。

 続く言葉の代わりに吐いたのは真っ赤な血。

 ボクが塩魔術で作り出した白い刃が、彼の胸を貫いている。


「死んじまえ……っ!」


 明確な殺意を以て突き出した塩の刃は、少年の急所を正確に潰した。

 それなのに即死してくれないのは、少年の肉体が常人のそれとは異なるからだろうか。


「…………はは、なるほど。確かに、許すはずもない。それは私が最もよく知っている。……ふ、他でもないこの私が母殺しとは。何とも、皮肉な幕引きだ」


 どこか満足そうな言葉を遺して、少年は目を閉じた。

 急所は既に穿っている。その瞼が開くことは二度と無いだろう。

 それは母上も同様。命は絶え、二度と目を覚ますことは無い。

 地面に倒れる二人の亡骸を見下ろして、ボクは自分でも自分が何を考えているのか分からなかった。

 この少年を恨んでいるのか。母上の死を悲しんでいるのか。二人を死なせた自分を責めているのか。

 少年の正当性を噛みしめているのか。命を賭した母上に感謝しているのか。どっちつかずの自分が嫌なのか。

 ただ、見開いた銀色の瞳で二つの骸を見下ろしている。


「――――――――っ」


 屋敷の火の手は治まる気配が無く、ボク達の前には二つの死体。

 ボクは縋るようにサラの手を握りしめ、引き攣った顔で引火して燃えていく死体を眺めていることしかできなかった。

焼け落ちていく、日々の欠片

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