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第十二話 日常の中で

 ホロラーデ邸、居間。

 中央に置かれた長机を囲んで、ソラニエル達は食事をとっていた。

 父と母とソラニエル。そそっかしい妹は相変わらず遅刻しているけれど、家族みんなで昼食を食べる。

 そんな、ありきたりで美しい日常の記憶だ。


「ソラニエル、魔術のお勉強は順調? ちゃんとお父さんの言う通りできてる?」


 そう訊いてきたのは銀色の瞳をした美人。名はナタフィア・ホロラーデ。

 ホロラーデ家に嫁いだ、ソラニエルの母にあたる人物である。

 ソラニエルは何か言葉を返そうとしたが、それよりも早く父が言った。


「順調すぎて怖いくらいだ。私が十年かかった魔術を一年足らずで習得した。直接戦闘では既に私を超えている。ソラニエルはホロラーデの歴史でも最高峰の才人かもしれんな」


 父の口から零れたのは手放しの称賛。

 厳格で知られるソラニエルの父だが、ソラニエルの前では相当甘くなる。普段は敏腕貴族であるレンリテン・ホロラーデも、娘の前では一人の父親だった。

 といっても、彼のソラニエル評が贔屓目に歪んでいるわけではない。

 ソラニエルが持つ魔術師としての才能には目を見張るものがある。ホロラーデ三百年の歴史で見ても、彼女ほど魔術の才に優れた者はいないだろう。


「大袈裟だよ、父上。一族代々同じ魔術を研究しているんだ。代を経るほど洗練されていくのは道理だろう? ボクは先人の残したノウハウを使って、効率良く魔術を学んでいるだけさ」


 謙遜半分本音半分のソラニエルの言葉。

 実際、ソラニエルからすれば、父から学ぶ塩魔術はそう難しいものではない。

 自分に才能があるというのは確かなのだろうが、難しいことをやってのけているという実感は無かった。


「はっは、そう謙遜するな。私はついぞ先代には追いつけなかった。お前は十分優秀だ。少なくとも私に比べれば、な」

「もう、あんまり甘やかさないでよ? あなたはいつもこの子には甘いんだから」


 上機嫌に笑う父とそれを窘めるように苦笑する母。

 会話は平和で安穏。

 少なくとも、ソラニエルはこの三人で話していて、空気が剣呑になった記憶は無い。

 剣呑な空気になるのは、いつも彼女がいる時だ。


「ただいま戻りましたー!」


 バタンと大きな音を立てて扉が開く。

 後ろで纏めた長髪を揺らし、勢いよく登場したのは、砂と汗に塗れたサライエル・ホロラーデだった。

 庭で剣の鍛錬をしてきたサラは砂まみれであり、とても貴族には見えない様相をしている。彼女の指南役の女性がその後ろで立っているが、彼女の方はまだ身綺麗にしていた。


「サラ、昼食の時間には居間に来るよう言っていたはずだ」


 先程まで上機嫌だった父の顔色が変わる。

 ゴゴゴと音が鳴りそうな圧力でサラを問い詰める父だったが、当のサラは平気そうな顔で席へと歩いていく。


「鍛錬が長引いたんです。あ、今日のクロワッサン美味しそうですね」


 平然と席に座って昼食を食べようとするサラに、父は思わず立ち上がった。


「待て。そのまま食べるつもりか? いつも言っているだろう? 食事の際にはテーブルマナーを守れと。時間を守ることも身なりもその一環だ。昼食を食べたいのなら、まずはその汚れた服を着替えてから――――」


 パクっと。

 父の言葉をガン無視し、サラはクロワッサンを口に放り込んだ。

 ピキピキと、父のこめかみが音を立てる。


「サラ! お前というやつは! 人の話を聞け! 良いか? お前には貴族としての自覚が全く足りていない! 社交界では所作の一つ一つが、家の興亡に直結するんだぞ! それなのにお前は食いたい放題、やりたい放題……!」

「ふるはいえす!」

「飲み込んでから言え!」


 説教モードに入った父に対して、サラはリスのようにクロワッサンを頬張りながら反論する。

 父は普通の子供なら委縮してしまいそうな剣幕でサラを叱りつけるが、当のサラは反抗的な目をしてクロワッサンをもぐもぐしている。


「外で鍛錬すればこのくらい汚れるんです! ず~っと引きこもって、魔術がどうたらこうたら言ってる父さんには分かんないですよ!」

「お、ま、え、は……! だったら着替えるなり湯を浴びるなりすれば良いだろう! 不清潔な身なりで食事の場に顔を出すな!」

「良いじゃないですか! これくらい! ご飯なんて美味しく食べられればそれで良いんですよ!」


 サラと父がガミガミと言い合う姿を横目に、ソラニエルは母と目を合わせる。

 そして二人、困ったような顔で苦笑した。

 サラと父が言い合うのは、数えるのも億劫になるくらい繰り返されてきた光景だ。

 ソラニエルにも母にも見慣れた場面ではあるが、慣れようが騒がしいことには変わりない。

 全く困ったものだ、とお互い視線だけで語り合った。


「じゃあ良いですよ! 私はソラニエルと一緒にお風呂入りますから!」

「…………え?」


 急に流れ弾が飛んで来たソラニエルは、腑抜けた声を出す。


「ああそうしろ! さっさと湯を浴びて、その汚れた服と心を清めて来い!」


 ヒートアップした父もサラを止める気配は無い。

 気付けば、サラの手がしっかりとソラニエルの腕を掴んでいた。


「サラ? その、それは色々と……」

「ほら! 行きましょうソラニエル!」


 多少抵抗の意を示したソラニエルだったが、あえなくサラに引きずられていく。

 助けを求めるように上げた視線には、微笑ましいものを見るような母の瞳しか映らなかった。


「私のご飯食べないで下さいよ!」

「食べるかぁ!」


 捨て台詞のように昼食を取っておくように要求したサラは、そのままソラニエルを引きずって廊下に消えた。

 残ったのは父と母。そして、サラの指南役の女だった。


「悪かったな。サラ嬢の鍛錬が長引いたのは、指南役であるあたしの責任だ」


 指南役は背の高い女。女性にしてはかなりの短髪で、黒髪は耳にかかるほどの長さしかない。湖畔のような水色の瞳が特徴的だ。


「……良い、ラクルス。どうせサラが無理を言ったのだろう」


 サラが出て行っていくらか冷静になったのか、父は落ち着いた口調で言った。


「いいや、あたしも止められなかった。あの子はどんどん腕を上げていく。それを見ているのが楽しくて、つい時間を過ぎちまうんだ」


 姉とは対照的に、サラには魔術の才能がこれっぽっちも無い。

 ソラニエルが優秀だったこともあり、父は早々にサラを魔術師として育成するのを諦めた。

 放っておくのも何だったので習わせた武術だったが、これがサラの性には合っていたようで、ソラニエルとは違う方面で才能を発揮している。

 魔術師の家系であるホロラーデにおいて、ソラニエルが王道の天才だとすれば、サラは突然変異の異才であると言えよう。


「で……どうなんだ? サラの調子は」

「ズバ抜けてる。少なくとも、十六の時のあたしじゃ手も足も出ない。槍じゃなくて長剣を使いたいって言い出した時は面食らったが、持ち替えさせて正解だったな。今の方が合ってるみたいだ」

「そうか……なら良かった」


 指南役の評を聞いた父は、表情の読めない顔で歩く。

 そしてサラの席の前に立つと、サラの分の料理に手をかざして、ブツブツと魔術詠唱を始めた。


「どうしたの? サラのお昼に塩魔術なんかかけて」


 その様子を見た母が訊く。

 訊かれた父は当然とでも言わんばかりに答えるのだ。


「保存しておかないと、湯を浴びている間に冷めてしまうだろう」


 不器用な優しさで包まれた昼食。

 その温かさは消えずに残っていた。


     ***


 二人きり、並んで湯に浸かる。

 大浴場はボクと彼女の二人が両手両足をいっぱいに伸ばしても問題無いくらい広いけれど、ボク達は肩が触れ合うほどの至近距離で座っていた。

 もちろん、お互いに服は着ていない。触れあう肩と肩は素肌。沸騰してしまいそうに熱い身体は、きっと湯の温度のせいだけではない。

 コツン、と。サラは頭をボクの肩に乗せてきた。


「サラ」


 彼女の名を呼ぶけれど、返答は無い。

 その代わりとばかりに、サラは私の手を握った。温かい水中で指先を絡めて、ボク達は手を繋ぐ。

 味を占めたというわけでもないだろうが、サラはさらにこちらへと体重を預けて来る。

 寄せられる体がぎゅうと密着し、肌と肌が吸い付くようにくっついた。


「サラ、それは……」

「分かってます」


 分かっていると言いながら、サラは離れようとしない。

 流石にマズいと思ったボクはサラを少し押し返すけれど、彼女はビクともしない。むしろ、さらに強い力でこちらに寄りかかってくるように思えた。

 それは振り払わなければいけないのに、とても甘くて心地良い。跳ねる心臓のときめきが、彼女の体をどうしようもなく受け入れている。

 いつからだろう、この奇妙な関係が成立したのは。

 明確なボーダーがあったわけではなく、ただ気付けば、ボク達は恋をしていた。

 双子だからだろうか、お互いの考えていることは何となく分かる。そうやって通じ合って、想い合って、愛し合ってしまったボク達は、禁忌に触れる一歩手前で曖昧な関係を続けている。

 同性でさらに双子の姉妹。あまりに禁断の相手にボク達は恋をしてしまった。しかも、それが明確な禁忌とされるこの家で。

 想い合ってはいるけれど、決して結ばれてはいけない。

 そんな曖昧で不明瞭な関係性の中、ボク達は緩やかな日々を過ごしている。

 最初はもっと、普通の姉妹を演じていた。どこにでもいる普通の姉妹のように、過度な接触を避けようとしていた。

 でも、近くにいるのに触れられないもどかしさは想いを一層色濃いものにして、少しずつ、少しずつエスカレートしていった。

 そうして結局、一緒にお風呂に入って裸で肌を寄せ合うまでになっている。

 行く所まで行ってしまうのに、どれだけの時間がかかるのだろう。


「私達、なんで姉妹なんでしょうね」


 ふと、耳元でサラが囁いた。

 それは今まで何度も思ったこと。ホロラーデ家において姉妹であるというたった一つの理不尽が、ボク達を生殺しの牢獄に閉じ込めている。

 このまま一生、自分達は結ばれることはできないのだと、そう考えるだけで胸が締め付けられるような気分になる。

 これから、ボク達はどうなっていくのだろう。

 ボクやサラも結婚したりするのだろうか。無論、お互い以外の相手で。貴族が縁談も無く一生を終えられるなんてことは無いだろう。

 でも、父上はボクに甘いし、何とかならないだろうか。ボクもサラも能力は高い。一生仕事人間でも許されるくらいの成果は残せるんじゃないか。

 サラが他の男と結婚するなんて、ボクにはきっと耐えられない。


「もう、いっそのこと……」


 それも考えた。考えたに決まっている。

 一度くらい考えた。ホロラーデ家の呪いが血の濃さを辿るのなら、同性であるボク達はその穴をつけるのではないかと。

 でも、それはギャンブルだ。この家の呪いが概念的なものに足を突っ込んでくれば、何らかの形で呪いが発動する可能性はある。

 そしてそれ以上に、その行いは禁忌なのだ。

 ホロラーデは貴族にしては色々融通の利く家だ。結婚相手も基本的には選べるし、縁談が来ても断ったって良い。

 けれど、近親間で結ばれたいと願うことだけは絶対に許されていない。

 塩の怪魚誕生防止という理屈以上に、その禁忌はこの家に根付いている。それだけは絶対にあってはならないと、この家に染みついた戒律なのだ。


「ダメだよ、サラ」


 だから、ボク達は踏みとどまっている。

 溢れ出そうになる欲望を堪えて、禁忌に爪の先で触れるくらいの曖昧な場所で、お互いの心を舐め合っている。


「分かってますよ」


 そう言ってサラはボクのうなじのあたりに首をうずめた。

 拒まなきゃいけないとは分かっていたけれど、彼女に甘えられるのが嬉しくて、ボクはその感触を甘受していた。

 爪の先とはいえ、それが禁忌に触れていると、本当は分かっていたはずなのに。

どこまでも幸福で、どこまでも閉じている

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