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看板娘の裏アカウント  作者: 多部 好香


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2/11

看板娘の裏アカウント 2

 こういう調査や護衛の費用の相場なんて知らないし、払えるかもわからないのに身勝手にお願いなんてできませんよ、と首を横に振った夏美の手を握り込んで、言葉数と勢いで言いくるめるようにして頷かせた翔琉は、開店準備があるからまたあとで、と無理矢理に話を決着させて調査依頼をもぎ取った。

 一日中なにか言いたげに落ち着かなかった夏美は、最後の客が帰った途端に翔琉に振り返る。


「ねぇ翔琉さん、やっぱりお金払います。時間も手間もガッツリかかるでしょう? それってしっかりお仕事じゃないですか。せめて実費だけでも」

「いいんですよ、そんなもの。同僚割引ってことで」

「そんな割引聞いたことありませんよぅ」

「あるんですよ。知りません?」

 ととぼけながら、ドアのプレートを裏返してクローズを表にする。

 外の看板の電源を切りながらさりげなく周囲を観察するが、妙な人影はないようだ。


 ストーカーが夏美の家の場所を把握しているのはカフェ・リブレから尾けたからで間違いないとは思うが、今日の客の中にその犯人がいたのかはわからない。様子のおかしい客はいなかったように思う。


 店内の清掃を済ませ、掃除用具を片付けて戻ると、他の作業を済ませた夏美がコーヒーカップを二つ並べたところだった。

 閉店後に被害の詳細について話があると翔琉が言っておいたので、用意していてくれたのだろう。カウンターに座って口火を切る。


「今のところの被害状況を確認したいんですが。なりすましの他に心当たりは?」

「ええ? わかんないですよ……」

「正直言って、まだ序の口だと思います。これからエスカレートする可能性が高いです。お辛いでしょうが一緒に頑張りましょう」

「い、一緒に」


 と顔を引き攣らせた夏美の言わんとしていることはわかっている。

 また炎上だのJKコワイだのと考えているのだろうが、こんな時にそうも言っていられないのだ。


「まず考えなきゃいけないのは相手の目的です。それによって対応が変わりますからね。全国ストーカー対策相談センターによるストーカーのタイプ分けでは、ストーカーには八つのタイプがあると言われています」

 うんうんと素直に頷く夏美を見ていると、学生時代、いつも勉強を教える側だった記憶が蘇る。人を置いてけぼりにすんなと何度も文句を言われたことを思い出して、先程簡単に調べた内容を記したスマートフォンのメモアプリを起動してカウンターに置いた。

「こちらの八つです」


『・拒絶型ストーカー

 ・憎悪型ストーカー

 ・親密希求型ストーカー

 ・無資格型ストーカー

 ・精神病型ストーカー

 ・パラノイド型ストーカー

 ・ボーダーライン型ストーカー

  (境界性人格障害)

 ・ナルシスト型ストーカー

  (自己愛性人格障害)』


ストーカー型の名前だけ見ても夏美はピンとこないようだ。さもありなん。

 駆流は簡単に説明していく。


「分かりやすい、というかイメージしやすいところからいきましょう。被害者と仲良くなりたいとか付き合いたい、というのがこの親密希求型です。相思相愛という目的を果たすため、拒絶しても一方的に自分の好意を押し付けてくるタイプです」

 話しながら分類を指差して説明すると、夏美が覗き込んで「ほう」と呟いた。

「夏美さんと親しくなるためになりすますというのは理屈がわからないので、今回のケースからは多分外れますね」


「次に精神病型。精神病によって恋愛妄想を抱き、ストーカー対象との関係性を妄想しているうちに現実との区別がつかなくなり、ストーカー行為を起こしてしまいます。最近あった、見ず知らずの女性が人気歌手の妻だと言い張って騒動を起こしたニュースがこのケースですね」


「そして無資格型。ストーカー行為を行うことに対し罪悪感がなく、拒否されても気にしないタイプ。アイドルの現場や自宅に付きまとうケースなどがこれに当たります」


「夏美さんは商店街のおじさんたちのアイドルではありますが、そんなことをしたら他の夏美さんのファンに袋叩きにされるのがわからない愚か者はさすがにいないでしょうし、この二つも違うでしょうね」

 メモから消去する。


「そういえば、いきなり物が送り付けるようなことはありませんか」

「うーん。知らない人からの届け物はないですね。お兄ちゃんが出張土産送ってくるぐらいかなぁ」

「お兄さんだけなら心配しなくてもいいかな。知っている人がストーカーになる事例はかなり多いんですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「それがこの拒絶型です。元夫婦や元恋人に執着するタイプです。よりを戻そうとつきまとったり、それができないとわかると攻撃に走ったりするんです。夏美さん、失礼ですがそういった相手は」

「元彼ですか?」

 夏美は視線をくるりと巡らせた。

「えーっと、二人だけ……でも一人はもう既婚者ですよ。もう一人は札幌に引っ越したらしいし、高校時代に二ヶ月付き合っただけだし」

「絶対にないとも言い切れませんが……例えば破局を渋られたり、復縁を迫られたりとかは」

「全然なかった。これっぽっちも」

 そうですか、と言って、キーボードの削除ボタンをタップする。


「このパラノイド型は、挨拶しただけで自分のことが好きと思い込むなど、相手との妄想によってストーカー行為を行い、現実的な思考ができなくなるタイプです。妄想の部分以外は正常の考えで、話しの内容は論理的で、行動は緻密なことが多いとされています。妄想は妄想でも、好意を表す行動ではないので、これも違いそうですね」


「ボーダーライン型(境界性人格障害)は、孤独に対する恐怖感があり、相手に依存するタイプ。見捨てられることを強く恐れるが故に、相手が自分から離れていくことを支配によって引き留めようとして付きまとい、ストーカー行為に走ります。今のところ支配とは違いますし、これも考慮しなくてよさそうです」


「このナルシスト型(自己愛性人格障害)は自尊心が強く、それを拒絶や否定されることで付きまとうようになるタイプ。好意を抱いた相手に拒否されるなどして「否定された」と感じ、相手の感情は関係なしに強引な人間関係を築こうとした場合に、ストーカー行為に発展することがあります。関係を築くためになりすます、はさすがに意味がわからなすぎますし、これも違うでしょうね」


「とすると、残るのは」

「ぞうお」

「はい。消去法ですが」

 と一応断りを入れる。


「憎悪型は、相手に恐怖や混乱を与えるためストーカー行為に及ぶタイプです。些細なきっかけで憎悪をむけストレス発散対象とすることを正当化しようとします。集団型だと愉快犯の要素が強くなりますが、例のアカウントを複数名で運用しているようには見えませんし、そちらは考えなくていいでしょう」


「夏美さんの評判を貶めるのがなりすましの目的のようですから、今回のケースに当て嵌まるのはこの憎悪型ではないかと。自分がされたことで被害者に恨みや愛憎入り混じった感情を抱いて、嫌がらせをするんです」

「恨みって、私がなにかしちゃったってことですか?」

「さぁ、それは本人にしか。事故の被害者が加害者をストーカーすることもあれば、挨拶を無視されたとか、自分だけ目が合わなかったなんて被害妄想まで、動機は色々です」

 そんな、と呟いたきり、夏美は言葉を失う。

 この手のタイプは隣の家の住人から接客相手、全く知らない赤の他人の場合まであるので、犯人を特定しづらいのが厄介なのだ。


「手がかりは少ないけど、カフェ・リブレに何度も来店していて、夏美さんの家の周りにも現れる、ということだけは確実にわかってます」

 視線だけで翔琉を見上げて、頷いた。眉尻がへなへなと下がっている。


 恐怖を煽るような言い方をしてしまっただろうかと、慌てて続けた。

「帰り道はできる限り家まで送ります。ついでに、張られているなら張り返すのが手っ取り早い。早速今日からはじめましょう」


 顔を青くして

「め、目立たないようにお願いします」

 と言った彼女が今度はなにに怯えているかは、言うまでもなかった。




 夏美のマンションの前で、彼女の後ろ姿が自動ドアの向こうへ消えるのを眺める。

 エントランスでオートロックを解除してから、もう一度振り返って手を振ったので、笑顔を返した。


 カフェ・リブレを出る前こそ近隣住民に目撃されることを恐れてびくびくしていたが、人気のない夜道で世間話をして笑い合っているうちにそんな意識はどこかへいってしまったようで、マンションに着く頃にはすっかりリラックスしていた。

 やはり毎日のように暗い道を一人で帰ることをよしとしていたわけではないらしい。


 飲食店や店舗が並ぶカフェ・リブレの付近は昼間こそ人通りが多く安全だが、閉店して従業員が帰れば、途端に大声を出しても気付く人のいない道に変わる。

 途中で通る大きめの公園や自宅前の小さな公園にしても、あまり夜中にそばを通りたいものではないだろう。

 夏美の背より高い生け垣に差し掛かるとすっと翔琉のほうへ体を寄せていたのは、無意識の行動だったに違いない。


 夏美と別れたあと、件の公園のトイレに入って簡単な変装をした。前髪を上げてキャップを被り、縁の太い眼鏡をかける。夏の青空色のシャツは脱いで鞄に仕舞い、かわりに薄手のナイロンパーカーを羽織る。このくらいの着替えや小物はいつでも使えるようカフェ・リブレのロッカーに置いてあるのだ。

 周囲の人の気配を確認して、夏美に電話をかけながら公衆トイレを出た。


 はい! と元気のいい声のあと、ゴッ、とぶつかるような音と猫の鳴き声、水道の音が聞こえて、思わず小さく笑う。ずいぶん賑やかな電話口だ。


「今日はありがとうございました、翔琉さん」

「どういたしまして。今軽く周辺を見回ってますが、不審人物は見当たりません。帰り道も後を尾けられた様子はありませんでした」

「そういうのわかるものなんですねえ」

「自分ならこう尾行してこう張り込むだろう、というところから気配を探るんですよ」

「なるほどぉ!」


 わかっているようないないような、適当な相槌が返ってくる。

 スピーカーにして通話しながら家事を片付けているようで、声が近くなったり遠くなったりしている。


「玄関の郵便受けや鍵穴はどうでした?」

「翔琉さんに言われたとおりに確認したけど、おかしなところはないと思います」

「ベランダはどうですか?」

 そう尋ねると、不思議そうに声を高くして「ベランダ?」と聞き返してきた。

「窓に傷がついてたり、鍵の滑りがやけによくなってたりはしてませんか? というか前にも虫入って来て大騒ぎしてたけど、あれからちゃんと気をつけてますよね」

「気をつけてるよぉ」


 そう答えたすぐあとに夏美が「あっ」と言ったので、翔琉は思わず夏美のマンションのほうを振り返った。まさか窓からの侵入の形跡があったのか、またカーテンを開けたままにしていたのか。

 遠ざかっていた声が近付いて、スマホを移動させたのが音で判る。


「洗濯物干しっぱなしだった」

 独り言のように呟かれた言葉に、「夏美さん?」と低い声を出す。

「なんでそう無防備なんですか」

「だってストーカーなんてさっき初めて知ったし……下着はちゃんと内側にしてるし」

「そういう問題じゃないでしょ、ストーカーがいなくても不用心すぎます。三階くらいの高さなら誰でも忍び込めるって前にも」


 からから、と窓を開ける音。まともに聞いているのか、夏美は電話の向こうでぱたぱたと行ったり来たりしているようだった。

 にゃう、とまるで文句を言うようなムギの鳴き声は、静かにしてとでも言っているみたいだ。


「あっムギ、お外出ちゃだめ」

 声が遠い。ベランダに出て洗濯物を取り込んでいるのだろう。

 翔琉が聞いていることを意識していないのか、意識しているからこそあえて口に出すのか、独り言が多い。夏美の生活を垣間見ているような、むず痒い気分だ。

 再び窓の動く音を聞いてから、「夏美さん」と呼びかけた。


「今日は収穫なさそうですし、また明日以降様子を見ましょう」

「遅くまですいません、えっと明日は」

「夏美さん午後からでしたっけ」

 ガードレールに凭れて、鞄からタブレット端末を取り出した。スケジュールアプリを開いて明日の予定を確認する。


 また明日、と言いかけながら、例のSNSのなりすまし犯のアカウントを開いてみたのは、何の気なしにだった。

 手も、視線も止まる。三秒口を噤んでから、また夏美を呼んだ。


「うん?」

「あの、さっき取り込んだ洗濯物ですが」

「ハイ」

「下着もあったって言ってましたよね?」

「ハイ?」

「下着です、あったんですよね? 色は?」

「は!?」

 夏美が裏返った声を出す。

「翔琉さんまでストーカーみたいなことを」

「違います! なりすまし! 更新されたんですよ、今」


 電話の向こうの夏美は「え」とか「は」とか意味のない音ばかり発しながらも、頭の回転は追いついていたようだ。翔琉の言った断片情報ですぐにノートパソコンを開いた彼女は同じアカウントを確認したようで、「うそ」と呟いた。


『今日もお疲れさまです!えっちな下着外にほしっぱなしで出かけちゃってた(><)色んな人にやらしい妄想♡♡されちゃったかな?』


 一番上に上がっていたそんな文面に、添付画像は下着だけを身につけた姿。

 それもシースルー素材とリボンだけでできたような、いわゆるセクシーランジェリーと呼ばれるものだ。


 淡い紫色を纏った写真を見た夏美は、震える声で「お、同じ色です」と言った。続いてすぐに、ぴこん、というノートパソコンのポップアップ音が聞こえる。

 まさかと思って手元の端末で情報を更新すると、続けざまに投稿されたツイートがあった。時間はついさっき、十五秒前、となっている。


『ネコちゃん♡♡かわいいでしょ?』

 添付された写真は、足を伸ばして膝に猫を乗せたもの。他と比べれば普通の微笑ましい写真ではあるが、当然のように太腿は大胆に曝け出されている。なにより一緒に写った猫が、ムギと同じようなトラ猫なのだ。


 夏美が今取り込んだ洗濯物の色、ベランダに出たトラ猫。それを見てから、これを投稿した。

 つまり、ベランダが見える場所に、ストーカーはいた。


 電話越しに動く音が聞こえる。翔琉は咄嗟に鋭く叫んだ。

「夏美さんっ! 顔出しちゃ駄目です!」

 がら、と窓を急いで開ける音。

 もう一度名前を叫ぶが、彼女に声は届いていなかった。


 夏美のマンションを振り返る。

 部屋の灯りを逆光に、ベランダに出て辺りを見回す夏美の姿が遠目に見えた。

 洗濯物の色までわかるほど近くにいたのなら、ストーカーには今夏美がどんな表情をしているかまで見えているだろう。不安に崩れそうな顔をしているか、恐怖に泣いているか、翔琉には見えないが、きっと。



 夏美がストーカーの存在に気付いていることが、ストーカー本人に知られてしまったのだ。


 この話では全国ストーカー対策相談センターによるストーカーのタイプ分けを参考にしましたが、これ以外の分類もいくつかあります。

 説明に関しては自己流の解釈も含まれていますのでお含みおきください。

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