9 キモタク騒動完全収拾(裏)
主である東院あずさは仕事に追われていた。
今日やるのは、東院系の仕事の他に、昨日サボった分と明日の分の通常業務、さらには、昨日の始末についての店側の処理、とまさに目が回るほどの忙しさに違いない。
しかしながら、彼女は昨日のように心乱されることなく、物凄いペースで粛々とそれらを片付けていき、もしかしたら夕方前にはそれらが終わるのではと思うほどのスピード、それも確認しても一切のミスのない完璧さに、長年来の付き合いである忍も内心目を見開いていた。
忍自身あずさが気分屋なのは知っていたが、ここまで違うとは思わなかった。この出来事でこれが30の若さでこの仕事を任される天才東院あずさか…と改めて自身の主に対する尊敬の念を強めることとなる。
しかし、そうは言っても、従者としては心配の一言だった。途中、鼎から電話があり、トレーニング用の室内履きを貸してほしいという連絡を受けたほんの僅かな小休止は挟んだものの、こんなハイペースでは流石のあずさでも疲労はとんでもないことだと思う。
それもむしろ電話が入ってから、さらに一段とペースが上がったのだから。
「主、少し休憩を入れては?」
「いえ、結構よ。今日は早めに帰って、鼎くんと夕飯を食べるんだから。」
これがもし自分の家で待っている娘に対する言葉ならば、この世界において最も尊い言葉の一つに違いないだろう。しかし、相手はそんな存在ではなく、十五歳の少年のため、あずさはすっかり色ボケており、彼が側にいるだけで、下手をすれば声を聞くだけでも、先ほどのように年甲斐もなく花が咲くような笑顔を浮かべる。
まあ、忍自身も気持ちがわからないでもないが……。
忍がほんの僅かな時間、そんなことを考えただけだったのだが、ふとあずさの手の動きが止まり、忍の方を見て、一瞬ニヤリと笑った。
「うっ!」
「どうしたの、忍?」そう聞くあずさの笑顔はいやに純粋だ。
「……主こそどうなさいました?」
「あら、私は小休止よ。あなたが言ったんでしょ?で?あなたは?」
「……なんでも…ありません……。」
「あら、そう?ふふふっ。」
あずさはそんなふうに笑うだけなのだが、ニヤリという笑い方が頭の中でチラつく。言葉などなくとももう言いたいことはわかっている、そんなふうに思われていることは想像に難くない。
そんなこんなで上限だと思われたペースをあずさはさらに上げていき、あまりにも勢いが良すぎたのか、さらに明後日の業務にまで手を伸ばしたところで、予想していた大仕事の知らせが届いた。
―
この国には、軍事・警察、政治、司法にそれぞれ大きな影響力を持った家系があり、それぞれ北院、東院、南院となっている。
だいぶ前には外交・メディアの西院という家系もあったのだが、テロに本家当主が巻き込まれ、その後も分家同士の対立など色々あって、四散し、なくなってしまった。
今では、残りの家がそれの役割を分割し、担うという現状がある。
まあ、その上に皇家があるのだが、彼女たちは君臨者なので特に口を挟んで来るようなことはない。
交渉に来たのは、そのうちの一つである南院に縁のある人物だった。
当然のことながら目的はわかっている。
「東院あずさ様、本日はお忙しい中、会談お受けいただき感謝いたします。私、南堂美羅こちらは娘の愛羅でございます。」
「そう。」
興味なさげにあずさはそう吐き捨てる。正直招かれざる客なので、このままこれに腹でも立てて帰ってほしいという思いからのそれに、存外簡単に娘の愛羅は眉をひそめていたのを確認し、試してみることにした。
「誰かさんが素晴らしい余興をなさってくれたお陰でとても忙しいのですが、なにか御用でしょうか?」
「ははは、これは手厳しい。」と苦笑いを浮かべ、美羅は流したものの、こんなほんのちょっとしたジャブに、ピキリとなった愛羅を見て、あずさは内心笑顔になった。
これは使える。
「どうにも私は腹芸が苦手なのです。本日、私どもがここに来たのは他でもありません。木本拓海をまたこの店で働かせていただけないかと思いまして…もちろんそれなりの謝礼と東院様への借りとして頂いても構いませんので、ここは一つ。」
木本は貴重な男なのでこの後の処遇はファクトリーかファームである。確かにそれをやめて、ここで働かせることで、南院への貸しとできるのはかなり気前の良い話だ。しかし、あずさの返答は単純明快。
「却下よ。」
「なっ!?」と交渉の席から立ち上がり、こちらへと怒りをぶつけてくる愛羅に、そっと美羅が告げる。
「愛羅。」
「……はい、お母様。」
「申し訳ありません。何分こちらの娘はこのような交渉事は初めてなので、どうかご容赦いただければと…。」
その瞬間、あずさは彼女南堂美羅に対する警戒度をかなり引き上げた。
なるほど、そういうこと…。
すると、愛羅はやはり気に入らないのか、頬をヒクヒクとさせつつ、あずさに尋ねる。
「な、なぜでしょう?」
「なぜって?ああ、わからない?理由は簡単。彼には面子を潰されました。」
「……えっ?それだけっ!?」
もちろんそんなことだけではないのだが、仕方がない南院の思惑に乗ってやるとしよう。
「ええ、他になにかある?」
「えっと……。」
愛羅の頭には、あずさが言うことのほかに、彼のこれまでの行動、さらには酒がつきもののホストクラブという職場にも関わらず酒乱という再発防止が困難なこと、もしかしたら南院のメディア部門への妨害などいくつもの考えが浮かんだ。
そう、南堂愛羅?は別に馬鹿というわけではないのだ。
しかし、相手が悪い。相手は経験を持った天才東院あずさだ。
あずさは考えが出揃った頃を見計らい、なんでもないことのように告げる。
「まあ、今あなたが考えたようなことが理由のほとんどね。」
「ぐっ……なによ、やっぱり他にも考えてるんじゃない…。」
こんな呟きのようなそれも、堪らえようとしたが、口から溢れた。
若さである。
それからも当然ながら話を続け、何度も愛羅が感情を爆発させかけるたびにそれを諌める美羅というのを見ていると、ふとなんでもないことのように、鼎のことが話題となった。
「そうです。なんでも木本に暴行を受けた方がいたとか。木本は私の持つ事務所所属のタレント。お見舞いをさせていただければと……。」
来たか本命。
おそらく今回、木本の件は上手くいかなくても構わないと南院は判断している。木本はやり過ぎた。詐欺に、この店のことで、上流階級からは総スカンだ。未だ市井に影響力はあるが、それも今後は怪しい。
それに反し、女性を守る美しい少年。
性格はわからないが、木本よりも扱いやすく、さらには大きな利益を生む可能性を多分に秘めた存在。いや、南院がバックアップすれば、確実に利益を生むと確信しているのだ。だからこそ手に入れたい。
「確かこちらにいらっしゃると聞いておりますが……。」
彼女の言う通り、このビルの50階以上は関係者以外立ち入り禁止のホストたちの居住区となっており、彼らはそこで生活している。しかし、ここまで読めていれば、あずさの答えは決まっているはずなのだが、どうやら詳細を聞き及んでいなかったのか、愛羅は完全にブチ切れた。
「悪いけど、それも却下。」
「あんたいい加減に……南院を舐めるのも大概にしなさい!あんたなんか南院に掛かればチョチョイのチョイなんだから!!」
「それは宣戦布告と受け取っても?」
「上等よ!南院の次期当し…「夏希様。」………コホン。ということを言う方もいると思われますが、母の後を継ぐ私、南堂愛羅としましてもやはりしっかりと謝罪せねばと思うのです!そう!南堂愛羅としても!」
はい、確定。
むしろここまで上手くいくと、罠ではないかと疑ってしまうほどだ。
「ごめんなさいね、からかい過ぎたわ。実のところ彼、今日は私の方で預かっているのよ。」
そう東院である私の方で♪
「…それならばまた後日お伺いしても?」
当然断られるだろうと思っていた美羅だったわけなのだが、あずさの返答は予想外のものだった。
「ええ、どうぞ。こちら会員カードとなってるので、ご指名すればいいのでは?」
それからの愛羅は狐につままれたような顔をしているのみで、ただただ噛みついてくることなく、この話し合いは終わった。帰り際、美羅はようやくあずさの言葉の意味を理解したのか、苦虫を噛み潰したような顔をすると、それを隠すようにそそくさと部屋を後にした。
南院の二人が退室して、あっ、一応静江には面倒掛けるかもだから連絡しておかないと、と携帯を取り出した時、忍は苛立ちを覚えながら、あずさに尋ねた。
「なんです?あの小娘は?」
「特殊メイクをした南院の次期当主候補筆頭の南院夏希よ。まあ、彼女が子供の時見たとき、かなり似ていたから髪型を変えて、口に綿でも入れただけかもだけど…。」
「は?」
「まったく喰えない女よね……南院も南堂も…。」
「……はい。」
「あっ、もしもし静江?」とあずさが電話しているとき、忍の中では、私としてはあなたが一番そうですという思いと、流石、主という思いとでごちゃごちゃとなっていて、なぜかあずさに立ち会っていただけなのに忍の方が物凄く疲れていた。
ただ一言言えるとすれば、「今すぐ鼎に会いたい」……主、こちらを見ながら言うのやめていただいてよろしいですか?静江様も混乱してますよ。
「えっ?カナきゅん?そこにいるの?代わって!」
……ほら………ん?カナきゅん?
ちなみに疲れた忍は家に帰ると、鼎と仲良く話をしていた美月を見た瞬間、「だ、誰だ貴様!!」と叫んだらしい。
はい!泉からではなく、ドロドロの性欲沼から這い出てきた綺麗な美月ちゃんです。