48 脱衣場でばったり
「ハァハァハァハァッ、ゲホゲホッ!ゲホゲホッ!!」
ひどく身体が熱い。
「ハァッ!ハァハァッ!!」
息が乱れ、呼吸がひどく苦しい。
腕も動かないくらい身体も重くて、そして視界が朧げで…思考もまったく定まらない。
心は、ただただ寂しくて…心細くて……。
誰かに側にいてほしかった。
ふと、ドアが開く。
……よかった……〇〇さん……。
「はっ!」
ふと安堵の気持ちに晒され……鼎はそこで目を覚ました。
……身体中びっしょりと汗を掻いて。
「…なんだったのでしょう…今のは…。」
今、鼎が住んでいるここではない、そして、鼎が見た覚えのない部屋で苦しんでいる夢。
それはあまりにもリアルな夢だった。
部屋という仕切りのある空間にいるという感覚、天井が遠くも近くも感じるという熱がある時のぐらぐら感、そして、熱が身体に纏わりつく不快さと不自由さ。
それに、風邪をひいた夢?こんなものを見たのは鼎自身、生まれて初めてだ。
もしかして、なにかの予兆だろうか?
…いや、もしかしたら、誰かに頼りたい。甘えたいなんていう思いの表れなのかもしれない。
そんなふうに思うと、妙な毛恥ずかしさを覚え、ひどく汗を掻いたかもしれないが、ブルリと身体が震えたので、着替えを持つと、この感覚を洗い流さんとシャワーを浴びに風呂場へと向かった。
鼎が風呂場に着くと、ドアが開いたまま、灯りが漏れており…。ドアが開いたままだったので、鼎はてっきり誰かが顔でも洗っているのだろうと思って、中へと入ろうとドアを押して見ると……「「えっ?」」
鼎と、誰か知らない同年代の女の子の困惑した声が重なったのだった。
―
「こほん。え〜…鼎くん、こちら忍の妹の文よ。それで、文…こっちは…。」
「美馬鼎…お前の主となるはずだった者の名だ。」
……ゴゴゴゴッ!
そう忍は威圧感を床に伏した文へとぶつけた。
「ひいっ!?ご、ごごごご、ごめ、ごめんにゃしゃいっ!ね、姉様っ!」
「は?姉様?」謝る相手が違うだろう?と忍はさらに威圧を強め…。
「い、いえ、いえいえいえいえ、ご、ごめんなさい。か、カナ様っ!!」
と口にし、深々と額をこすりつけるも、忍の様子はまったく変わらない。それどころか、それに満足することなく、もういっそのこと腹でも斬れと言わんほどに視線は鋭くなるばかり。
「だから…忍お姉ちゃん、僕は別に気にしていませんので…。」
鼎がそう言葉にすると、忍の妹をぶち殺さんばかりの雰囲気はすぐに鳴りを潜め、それどころか慈愛に満ちた表情とともに親愛100パーセントのそれが鼎へと向けられる。
「鼎、ありがとう。うちの妹の過ちを許してくれるのは嬉しい。」
「えっと…それなら…。」
「…しかし…。」
「…しかし?」
「同じ家の者として、血縁者として、この妹のやったことを許すことなど私にはできない。ましてこんな公然わいせつなどということはな……なぁ、文?」
「ひ、ヒィッ!?ご、ごめんなさいっ、カナ様っ!!ゆ、ゆ、許してください。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。」
このように文は鼎への謝罪を繰り返す。
果たして、なにがあったのか?
その答えは単純だった。
鼎が脱衣場のドアを閉め忘れた文の裸を見てしまった。
これが全てだ。
これを聞けば、文が悪いのかというと、やはりそんなことはなく、完全に鼎の不注意であり、鼎が責めを負うべきことに違いないと誰もが口にすることだろう。
しかし、ここは男女貞操観念逆転世界。
常識というやつが異なる。
男が女の裸を見る。元の世界でこれはアウト。
女が男の裸を見る。これはセーフ寄りで、ひどい場合によっては男の方が捕まる。
これは男の方が性欲が強く、女の方が比較的弱いため、それをもとにした考えから生み出されたものである。まあ、場合によっては女性がこれを悪用する時もあるが、それは今はここでは置いておこう。どこにでも性別年齢関係なく悪い人はいる。
…とにかく、元の世界では性的なことは大体なんでも性欲が強く見られる男の方が悪い…という考えになる。
さてさて、この世界ではそれが逆。
それにさらに男女比なんてものが加わればどうなるだろう?元の世界では一対一だったそれが、こちらでは……。
実際、男が少ない影響で道行く男に裸を見せつけるという事件が一日に何件もニュースで流れ、鼎に大きな困惑を与えている。
…今回の文のこれもそれではという疑いがあった。…というよりも、否定することができなかった。
忍がなぜこんなにも文に厳しく接しているのかというと、鼎たちの同情を引き、絶対に外で口外されないようにという意図があるのが、鼎やあずさにはわかっていた。どうやら忍はよほど文が大切なのだろう。
その代わりと言ってはなんだが、忍は普段の冷静さを欠き、それにばかり気を取られていて、終わりを見据えられてはいなかった。
しかし、それ故にか、見るからに、落とし所というやつの見当がついていない様子だった。
忍は時折悲しげになりながらも、視線鋭く、文を非難してみせた。
これでは誰も救われない。
さて、どうしたものかと、いつの間にかどこか頼るような視線をあずさに向けていた鼎。
そんな鼎の視線にあずさは気がつくと、任せなさいと自信満々にウインクで返してきた。
「忍、このままでは埒が明かないわ。そんなに言うなら、なんなら警察にでも突き出す?」
あずさのその言葉に文はブルブルと震えだすと、今度は即座に忍が床に膝をつき、額をこすりつけた。
「そ、それだけはどうか…どうか平に!平にご容赦を…っ!!」
そんな変わり身を見せた忍に文は「ね、姉様…。」と困惑した声を上げる。
あずさはどうやら忍に甘いらしく、文が気がついていなかった忍の本意に気がつかせると、こんな提案をしてきたのだった。
「…はあ…じゃあどうする?もういっそのこと鼎くんに罰でも決めてもらう?」
「「……。」」佐倉姉妹はお互いに顔を見合わせると、コクリと頷いた後、鼎の方をじっと見つめてきたのだった。
…えっ……ま、丸投げ…ですか…。
「「…ごくり。」」
一言二言で状況を変化させたあずさからは「さあ、仕上げよ!」と言わんばかりのウインク、渦中の二人からはなんとも言えない視線を受けた鼎は頭を悩ませつつ、できるだけソフトにと、こんな答えを出した。
「…えっと…それじゃあ……。」
しかしそれは彼女たちにとって地雷だったらしく、鼎の答えが言い終わると、渦中の二人はまるでこの世の終わりのような表情へと変わったのだった。




