46 マヒルのイタズラ
あずさが文の説得をしに佐倉邸に行っていた頃、鼎はテレビ東堂に来ていた。
目的はやはりドラマの撮影で、歴史的人気を博したショートドラマ【ヘタレクールOLは甘えん坊弟に手をだせない】の第2期制作のためである。
この撮影は前日のテレビ西堂のドラマと2日連続ということもあり、どことなく疲れを感じていた鼎だったが、よし!と軽く頬をはたくと、「おはようございます。」と、いずれ一般公開するらしい、このドラマ専用に作られたスタジオへと入っていく。
鼎の声が聞こえると、スタッフたちは一斉にこちらを向き、挨拶を返してくれ、流れのままに準備にいこうとしたところで、ふと鼎は足を止めた。
「おはよう、カナ。」
「あっ、おはようございます、ヨル先輩…それに…マヒル先輩。」
「……。」
「ん。カナはいい子。ほらマヒルも。」
「……おはよう。」
どこかチッという舌打ちが聞こえてきそうな、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたマヒルは、鼎にそう挨拶をすると、もういいでしょという風に、鼎に挨拶させるべく腕を引いていたヨルの手を振り払い、控え室へと入っていく。
この前はこんな表情、そして低い地声なんかは、鼎と一対一の時以外には出さなかったのに、どうしたのだろうと鼎が思っていると、ヨルがおそらくあまり人には聞かれたくないことなのか、鼎の耳元に顔を寄せ、コソッと教えてくれた。
「カナも知ってるかもだけど、実はマヒルってかなりの男嫌い。」
「ええ、それはまあ…。」
…この前、はっきりと伝えられましたしね。あの打ち上げの時に…。
「ん、わかってるならなにより。」
どこか申し訳なさそうに頷くと、ポンと鼎の頭の上に手を置くヨル。彼女は続ける。
「…それで今日は撮影とはいえ、カナとのお風呂シーンがある。前みたいに水着着るみたいだけど、たぶんかなりくっつく。それがちょ〜嫌みたい。今日はあんな感じだと思うから…その…。」
ああ…あのなぜか原作と違うシーンで…ですか…。
「…はい、わかりました。大丈夫ですよ。嫌ったり、怒ったりしません。どうやらマヒル先輩にも色々とあるみたいですから。」
「ん。感謝。」
そう言うと、ヨルはすぐに鼎から離れて行くのだと思ったのだが、なぜかはわからないが、むしろぎゅっと抱きしめてくるヨル。
「ん?どうしたんです、ヨル先輩?」
「……マヒルは可愛いけど……。」と口にし始めたヨル。
しかし、すぐに「…なんでもない。」と言うと、軽く頭を撫で鼎から離れ、「頑張ったら、ご飯奢ってあげる。」と言って去って行ってしまった。
よくわからずに首を傾げる鼎だったが、あんまりモタモタして周りに迷惑を掛けてはいけないと思い、準備を始めることにした。
―
鼎への挨拶の後、不機嫌そうにスタジオを出ていくマヒル。
マヒルは怒っていた。いや、まあ、この怒っていたというのは、現在ではなく過去、いわゆる過去形という形のそれだ…と本人は思っていたのだが、どうやらスタジオに入った瞬間、それが再燃したらしい。
「…なんで原作と違うのよ。」
そんな言葉が無意識にも口から出た。
実はマヒルはこの作品の隠れファンだった。
だから、一期がドラマで作られると知った時はもちろん憤慨したし、最初は見ないと心に決めた。
…しかし、あの異様な人気と話題性から、周囲で自分以外見ていない者がいなかったため、親友であるヨルが出ているのだからという納得できる言い訳を作り、それを見ることにしたほどなのだ。
この作品に関して、そんな原作厨の中の原作厨と言っても過言ではないほどの彼女。
そんな彼女なので、いざ撮影!と勢いのままとならないのは仕方のないことだろう。
また、こうして、イライラしているのも…。
「あ、あの、マヒルさ…ひっ!?」
マヒルは声を掛けようとしたマネージャーをキッと睨みつけると、苛立ちのままに歩き続ける。
このままではいけないとわかっている、だからこそ大人なマヒルは無意識のうちに、この苛立ちを瞬間的にでも解消するべく、ぶつける先を探していたのだ。
最悪、あのシーンの撮影中だけでもいいから…と。
特設倉庫の前を通りがかるマヒル。
すると、なにやら面白い話が聴こえてきた。
『あんた、なにやってるのよ!!』
ん?なにかあったのかしら?
声がした方にそっと顔を覗かせるマヒル。
そうして、「なにをしてるのですか?」と口に出そうとしたマネージャーの口をなんとなく塞ぐと、その会話に耳を傾けた。
『あ、先輩?』
『あっ、先輩?じゃないでしょ…あんたって子は…ってそれってカナ様たちの水着じゃ…。』
『あはは、これですか?違いますよ〜。これは私の私物です。本物はこっち。』
『なんだ〜そうなの……って、いやいや!むしろ今、レプリカやダミー的なものを持ってるほうがおかしいでしょ!!』
『そうですか?普通ですよ~。ちょっと妄想用に、撮影中、懐に入れておくなんて。』
『いやいや、普通じゃないから!!』
…同感。明らかに普通ではない。
『それにこれって凄い機能があるんですよ〜。』
『って…聞いてないわね…。』
『聞きたいですか?聞きたいですよね!!』
『…はあ…聞いてあげるから、さっさと言いなさいな。』
『実はですね!この水着…。』
『この水着、水に溶けるんです!!』
ババーン!!
『……は?』
……は?
『は?じゃないですよ!!なんと水に!!』
『溶けるんでしょ?それが?』
フルフルと拳を震わせる後輩らしきスタッフはばっと顔を上げた。
『先輩にはわからないんですか!!この素晴らしさが!!この女の夢が!!』
『いやいや、あんた、なに熱くなってんのよ。それに意味わかんないし…。』
まあまあと嗜める先輩らしきスタッフのそれが功を奏したのだろう。後輩の興奮は少しずつ治まっていく。
『…すいません。言葉足らずでしたね。要するにですね。この溶け溶け水着をカナ様たちが着るのを妄想すれば、美味しさ2倍、いえ、3倍以上ということですよ!!』
『…うん…もっと意味がわかんなくなった。というか、今、あんた、たちって、カナ様たちって言った?』
『てれり。はい、実は私、可愛い女の子も…きゃ♪』
『……さささ(後ずさり)。』
さささ(後ずさり)。
『あっ、先輩は大丈夫です!なんていうか、正直強面過ぎて、まったく好みじゃないんで。』
……つまり、私はタイプってこと…よね…やっぱり…。
私の着るらしき水着と似たのも持ってるってことは確実に…。
さささ(さらに後ずさり)。
あの娘は要注意ね。
『強面って、あんた、私が気にしてることを…。…はあ…でもまあ、あんたのターゲットにならなかっただけ、生んでくれた親に感謝ね…って、こんなことしてる場合じゃなかったわ。残りの準備するわよ!』
『イエッサー!!』
去っていくスタッフたちを尻目に、いいことを思いついたとマヒルは口元をニヤリと歪め、マネージャーの口元から手を離す。
「…ねぇ、マネージャー、ちょっと頼みがあるんだけど…。」




